3 日常にはティータイムを
「もみじ──……」
紅葉が大きなティーポットを持って、ショーンの目の前で笑っている。
この1週間で、あまりにも非現実なことばかり起きた。
退屈だけど大切だった、日常のほとんどを失った。
「大丈夫。心配しないで、今回はちゃんと砂時計で時間を計ったんだから」
でも、紅葉の笑顔は1週間前のものと、銀曜日にショーンの部屋へ、勢いよく入ってきたものと変わりなかった。
「——あ、ありがとう——……」
ショーンは紅葉に礼をいった。彼の今までの人生で一番素直に。
お礼に慣れない紅葉は面食らい——いいから飲んでよと、ショーンに重たいポットを押しつけ、ワタワタと鞄からカップを取り出した。
3月12日金曜日、時刻はちょうど昼3時のティータイム。
病院の廊下の隅で、2人はお茶を飲むことにした。
半日前まで傷病者が詰めかけていた廊下は、すでに大半の人が帰宅している。残って手当を待つ者も、治癒呪文により痛みが治まり、穏やかな顔で時を過ごしていた。
「ほらね、緑山茶。ちゃんと綺麗な緑色でしょう」
「色はいいけど……何か匂うぞ、カビ臭っていうか……ポット洗った?」
「…………。エヘヘ」
「おい」
紅葉は、1週間前にショーンの部屋を軽やかに去った時と、同じ顔して笑っていた。
彼女が傍にいる限り、日常はここにある。
「——それでね、私の事情聴取がちょうど終わった頃に、車掌室にいた警察の人たちがサウザスに到着したの……」
紅葉は昨晩の動向をポツリポツリと語り始めた。ファンロン州産の緑山茶の鮮やかな緑を眺めながら、ショーンは耳を傾ける。
『クッ……これは……我々の捜査ミスだ……!』
時刻は深夜。夜空に月が浮かんでいる。
3月11日森曜日が、12日金曜日に移り変わるころ、線路上を歩いて到着したオールディス警部補は、黒コゲの瓦礫と化したサウザス駅を見て落胆していた。
まだ建物内には行方不明者がいて、捜索が続けられている。吹っ飛んだ駅舎の中には、重要な事件の手がかりがあったかもしれない。もちろん犠牲者の中にも……
『——最初にサウザス駅を詳しく捜査すべきだったのだ……! 町長が消えた役場のほうを重点的に調べてしまった!』
今思えば恐ろしいことに、オーガスタスの尻尾事件が起きた後も、列車は通常どおり運行していた。客人の出入りはとうぜん激しく、州警察の捜査も手薄だった。
『……列車を止めていれば良かったですね』
『まさか! 列車を止めることなどできない! 我々州警察でさえ、事件当日の朝に “列車で” サウザスまで来たのだから‼︎』
部下の警官が慰めたが、正義感の強いオールディス警部補は、骨折してない方の拳をふり上げ、線路の枕木を苦しそうに叩いた。
州鉄道の開通以来、ラヴァ州の交通と経済は、鉄道に大きく依存している。
町長ひとり消えたくらいで、歩みを止めることは許されないのだ。
しかし、それが時として、このような大規模な厄災に繋がることもある……
コリン駅長、ユビキタス、そして組織は、果たしてこの心理を見透かしていたのか?
紅葉は自分の唇を黒く噛み、オールディス警部補の肩を強く叩いた。
『オールディスさん、事件の手がかりはまだあります! 手伝ってください!』
確証はなかったが直感があった。モイラが渡してくれたインタビュー記事。コリン駅長のショベルカーに、何か秘密がある気がした。
サウザス駅。
州鉄道の開設に合わせて建てられた、旅客用の駅舎だ。
中央通りの終点南に、ちょっとした駅前広場があり、駅舎の表玄関に通じている。
表玄関は4階建ての四角いとんがり塔となっており、中には待合室に切符売り場、塔の天辺にはサウザスの旗がはためいていた。
とんがり塔以外は普通の2階建ての建物で、売店や土産物屋、駅員室などがあり、奥に駅のプラットホームがある。プラットホームは三角屋根の吹き抜けで、立派な黒いオーク木の梁を眺めながら、列車を待つ。
そして、紅葉にとって忌まわしき鉄製装飾門——これはプラットホーム突入前の線路上に、東西3本ずつ建てられている細い門だ。お世辞にもデザインが合ってるといえないこれらは、州鉄道最後のトレモロ駅完成記念に、当時のトレモロ町長であるエリザベス・ワンダーベルによって寄贈されたものである。
彼女は私財を投じ、ラヴァ州すべての駅に、この鉄製装飾門を寄贈したのだが……どこの駅でもジャマ扱いされ、今じゃほとんどの駅で既に引っこ抜かれている。サウザス町では紅葉の事件が起きた後も、そのままにしてくれていたのだが……今回の爆破で、すべてグニャリと折れてしまった。
駅舎の残骸を踏みながら、紅葉はオールディス警部補とともに聞き込みを開始した。
『コリン駅長のショベルカー? ああ、オリーブ色のなぁ……駅でもよう使わせてもろうちょった』
黙々と瓦礫を取り除いていた老駅員が、夜山羊族の尻尾を揺らして頷いた。
オールディス警部補が口を挟む。
『——ショベルカーは今どこに?』
『ケッ、無事ならとっくに使っちょる。爆発に巻き込まれたさね。昔は大型倉庫からいちいち引っぱっちきたけども、最近はいっつも駅舎ん裏手に置いちあった』
あの辺さね、とサウザス駅舎の南西端を、ショベルの柄でぐるりと示した。プラットホームの裏手に当たるそこは、割れたレンガに折れた木材、行き場を失った屋根瓦たちが積み重なっており、オリーブ色の重機は視認できない。
『南西の駅舎裏……装飾門とも至近距離ですね。私はショベルカーを使って、町長の尻尾を吊るしたと思ってるんです』
『尻尾ぉ? ハァン……なるほど、確かにハシゴじ運ぶより楽かもなぁ』
そげなこつどげえでんいいわと、山羊の尻尾をフリフリ振って、駅舎の瓦礫の山を、鉄ショベルで地道に退かす作業に戻った。細い枯れ木のような腕を振るい、ジョリ、ジョリと少しずつ破片を取り除いている。
『お忙しい所、ご協力ありがとうございました』
『……失礼いたしました!』
紅葉とオールディスは深々と礼をし、その場を去った。背中越しに、老駅員がモゴモゴと『コリンぅ見つけたら全身クシ刺しにしちくりい!』と唸っていた。




