1 犯人は本当にユビキタス?
【Sleuth and Truth】真相
[意味]
・sleuthは探偵、もしくは探偵する、追跡する。
・truthは真実、真相。
[補足]
「sleuth」は古ノルド語「slóth (追跡)」に由来する。同じく「探偵」を意味する detective との違いは、detective は刑事、探偵の両方を意味するのに対し、sleuth は探偵のみに使われる。
また「truth」はギリシャ語で「aletheia (真相)」と呼ばれ、元来の語義は「覆われていないこと、顕なこと」を意味する。つまり、存在が世の中に対して隠されておらず、顕わなものが truth であると云える。
「せっかくだ、すみれのコロンに合うお茶にしよう」
ラヴァ州アルバ統括長、巻鹿族のフランシス・エクセルシアは、テーブル裏にある戸棚へ向かった。宝石箱のように敷き詰められた茶缶の中から、紫色の缶を取り出しティーポットへ茶葉をよそう。ダコタ州の最高級の藤蘭茶だ。
「どうぞ、座りたまえ」
ドア前に緊張して立つショーンに対し、薄ローズピンクのドレスを翻して優雅に告げた。彼女は鹿角の下に(紅葉のものより遥かに高額な)青い花冠の角花飾りをつけている。
また、真鍮眼鏡は珍しいティアラの形をしており、レンズは額に一つだけ。初めて見た時には驚いたが、高貴な女性ならたまに選択するデザインらしい。
「失礼します」
フランシスが茶葉へ湯を注ぎ、砂時計をひっくり返す間に、ショーンはおっかなびっくり彼女の対面に座った。
6年前に、テーブルごと窓の向こうへ吹っ飛ばされた記憶が、じわりと汗腺を刺激する。あれから少しは成長したはずなのに、立派な鹿角を持つ彼女の前では、ふた回りも小さく感じた。
「フフン、この前のような戯れはしやしない。大事な手紙が吹き飛んだら困るからね」
彼女は軽く笑って、茶器セットの隣に置かれた、臙脂色のレターケースをトントン叩いた。中には十数通の手紙が入っている。どれも絢爛で物々しい印章が押されているが、彼女は封筒の束からもっとも質素な手紙を引き抜いた。
「先日は手紙をありがとう。ショーン、遅くなるが正式に返事を出そうか?」
「いいえ結構です。せっかく御目通りできたので口頭で……」
ショーンはいよいよ背中に汗を吹き出した。
1週間近く前、紅葉を怒鳴った日の深夜に書きあげ、翌日休みをとって郵便局まで出しに行き、帰りに花売りからヒナギクを購入し、その直後オーガスタス町長と銀行で出会った、ショーンの手紙——3通のうち1通がここにある。
「悪いが、この件は今は置いておこう。先に事件の話をせねばならん」
銀色の粒の砂時計がパラパラと時の終わりを告げた。彼女は手紙を元に置きなおし、貝殻形のティーカップに艶やかな紫色の藤蘭茶を注ぎ入れた。
小ぢんまりした彼女の私室に、すみれのコロンと藤蘭茶の芳しい香りが隅々まで広がっている。テーブル傍の窓の向こうには、お茶の時間にふさわしい日差しが湖のほとりで煌めいている。フランシスはお茶を数口楽しみ──カップを置いて、厳かに伝えた。
「まずは護送の件、大義であった」
「いえ僕は……何もしていません。頑張ったのはクラウディオ氏と紅葉が……」
「反省は今はいい。いったん情報を整理しよう。君が一番の当事者なことだし」
「………はい」
流麗かつ馥郁たるお茶を前にして、血生臭い事件をこれから洗い出していく。
「昨夜、オーガスタス町長が発見されたのは知っているね。尻尾が切断された状態で、公営庭園の地下室で見つかった。現時点でまだ意識が戻っていない」
「今もですか……では、尻尾を切った犯人は分かってないんですね」
「彼の口からはな」
「犯人は……本当にユビキタス校長なんでしょうか」
決死の思いで護送したが、学校の窓の呪文痕と、彼の【星の魔術大綱】が見つかっただけで、実行犯かどうか未だ明確ではない。ショーンはずっと、この点が胸に引っかかっていた。
「もしや警察しか知らない証拠があるんでしょうか……現場で指紋が見つかったとか」
「いいや、町長事件について確たる証拠は挙がってきてない。だが彼をクレイトへ護送するに足る容疑はある」
「容疑って……どんな」
「今回、ユビキタスの名目上の護送理由は『横領罪』だ」
「お……横領?」
呆然とするショーンを前に、フランシスはレターセットの中からとある手紙を引きだした。手紙にしては異常に分厚い、日付は2週間前、印章はサウザス銀行、差出人は——オーガスタス・リッチモンド。
「ユビキタス・ストゥルソンは町長就任期間中、サウザス地区の財貨に手をつけて横領を繰り返していた。もちろんラヴァ州からの交付金もな。オーガスタスは銀行頭取時代からユビキタスの不正に気付き、自身の町長就任後も内密に調査をし続けた。ようやくカネの流れを全て突き止め、資料をまとめて送ってきたのがつい最近の話だ」
フランシスはドサッと彼の分厚い手紙をテーブルに置いた。何十枚にもわたり、日付と費目と金額が──ユビキタスが町長を務めていた4年間に、深刻な経済危機に陥った原因が、こと細かにビッシリ書かれている。
オーガスタスが町長になって今年で5年目。
彼はサウザス財政を建てなおす傍らで、これを調べのけたのか……。
「さすがは金鰐族だな、金にがめつい。改竄された町帳簿から使途不明金を1ドミー単位で見つけてくれたよ。消えた財宝のリストもね。残念ながら多くはサウザス外に流れたようだが、一部の金は町の闇市場に渡っていた。おかげで闇市場の関係者から、ユビキタスに関する証言を引きずり出せた」
「や、闇市場って……北区にある賭博場ですか? よく聞けましたね」
「さすがの悪人たちも尻尾切りするようだ。極悪人相手はな」
フランシスは片頬でクッと笑ってお茶を飲んだ。
ショーンは茶器も茶菓子も視界に入らず、うわの空で書類の束をめくった。
あの日、学校の給食でサンドイッチが出せることを喜んでいたユビキタス——
だが、もはやショーンは、彼のいかなる悪行にも心を揺さぶられなかった。
代わりにある疑問を口にした。
「オーガスタス氏はなぜ、アルバ統括長にこのお手紙を? 直接お知り合いなんですか?」
「そうだ」
コトンと、彼女がティーカップを置いた。湖からの突風が、部屋の窓をガタガタと揺らし、藤蘭茶の水面にわずかな振動を起こした。




