4-18 白いドレスにスイカかよ。
中学生の時に山奥の集落を離れた山瀬風夏は、毎年夏休みの四日間を利用して帰省することにしていた。
毎年帰る理由は、あこがれの年上の男性、新堂渓一に会いたいがため。そして、昔から気になる存在の瀬奈楓に会いたいからだった。
大学生になった風夏は今年の夏こそは勝負の年だと勢い込んで渓一の元に行く。大人になった自分を見せつけて、渓一の気持ちを掴みたい。手作りのプレゼントを抱えた風夏。今年の四日間は今までと違うぞと単身乗り込むのだった。
一方、渓一と楓は毎年の風夏の訪問を複雑な想いで出迎えていた。
毎年、夏休み最後の日――四日目の晩は三人で花火をし、そして風夏を見送っていた。渓一は今年も風夏のために花火を用意する。それは、三人での最後の夏だった
深水沢の集落へ向かう山間の県道は、うっそうとした細道へ変わった。車がすれ違うのにも苦労するような狭さだ。
その道を二世代前くらいの型落ち小型バスが、グアングアンうるさく、ギシギシ揺れながら上っていく。
車道の両側は青々とした木々が覆いかぶさるように繁り、陰になっていた。たっぷりの枝葉がバスの天井や窓をガサガサとひっかいていく。
(こういうの、県道じゃなくて険道って言うんだよね……)
クーラーの利きが悪いのに、張り出した枝葉のせいで窓を閉め切っている。
山瀬風夏は、羽織ったシースルー・ジャケットの胸元のボタンを外した。サマーブラウスの襟を引っ張り広げてハンカチでパタパタと風を送り込む。
(あ。ちがうちがう)
風夏は胸元のボタンをあわてて留め直すと、両手を膝に揃えた。
(気を抜いた!)
周囲をキョロキョロと見回すと、スンとすました表情で座り直す。
バスの車内には乗客がまばらに座っていた。おじいちゃん、おばあちゃんばかりだ。
(いやー、限界集落ってやつ? 高齢化の波どころか、もうジャブジャブだよ)
ミシミシ揺れるド田舎バスに、こじんまりと座っている風夏の姿は浮いていた。
風夏が若い娘だから、というだけではない。
ホワイトの、肩口が露出したオフショルダー・サマーブラウスに、質感の違うさらりとしてエレガントな、やはりホワイトのフレアスカート。羽織っているのはライトなパウダーブルーのシースルージャケットで、手には差し色の淡いラベンダーパープルのポーチ。
かなり強烈な浮きっぷりだった。
中学二年の時に東京に引っ越した風夏だ。毎年八月十三日から十六日まで、四日間のお盆休みに帰っているが、今年は大学に入って最初の帰省。
そう。大学生。
大学生になったのだよ。
(けい兄ちゃん、この姿を見たら、きっとびっくりするぞ)
大人な風夏をみせつけてやるのだ。
ウチも大人になっているんですのよ。
窓に映る自分の顔が、にへらとゆるんでいることに気が付いた。
(ちがーう!)
急いで前を向いて座り直し、だらしない表情を“スン”と戻す。
しばらくして、風夏は再び窓に映る顔を見つめていた。ちゃんと大人の風夏になれたんだろうか。
窓の向こうの自分がこちらを見ている。
……まあ、少し子供っぽいかもだけど……背も伸びていないけど……。
(けい兄ちゃん、やっぱり楓さんみたいな大人の女性がいいのかな)
ふんわりと微笑む、黒髪で美しい女性を思い出す。風夏が中学二年生の頃、二十歳前だった。もしお姉ちゃんが居たらこんな感じなのかな、なんて思った。けい兄ちゃんは高校生で……そうだ、ウチもあの頃の楓さんと同じ年齢になったんだ。
唐突にその窓から光が差し込んだ。枝葉に覆われた道がパッと開けたのだ。
抜けるような青空。こんもりした緑の山々。その間を縫うように、眼下には白鷺川がキラキラと輝いている。
おんぼろの白いガードレールが下り道に沿ってカーブを描く。
(もうすぐだなあ)
小さな田んぼが見えてきた。
自分たちの家がもう無いのは寂しいけれど、自分はここの住人じゃなくなったけれど。
(今年も帰ってこれたなー)
深水沢のバス道沿いに一軒のお店がたたずんでいた。
年季の入った土壁。軒下に少し錆びが入った大きな看板があり、新堂商店と書かれていた。その下には『食料品、衣料品、種苗、雑貨』の文字。まさに田舎の雑貨屋だ。
店先にしゃがんでいる人の姿が見えた。
傍には細く白く煙がたなびいている。落ち葉を集めて燃やしているに違いない。だって、毎年そうだから。あの煙を見ると嬉しくなる。
風夏は思わず走り出しそうになったが、グッと我慢。ウズウズを抑えてゆったりと近づいていく。
今年からは私も楓さんと同じ大人になったんだから堂々と……。
この夏は勝負なのだ。
年下だから年上の楓さんのような『さん』付けはムリだろうけど、せめて『風夏』って呼んでもらえるように。
そして、この手作りのチョコを渡せたら。
風夏は紙袋を抱えなおした。
風夏が新堂商店に近づくと、その人影は気づいたように立ち上がった。
背は風夏の頭ふたつは高い。細身だがひ弱ではない、適度な“力仕事をしている身体”の男性だった。
地味でありきたりな作業着の上下に銀縁のメガネ。風夏はそこそこ整っていると思っているが周囲にはあまり評判のよろしくない顔つき。
まあ確かにお世辞にも愛想のよい顔とは言えないんだけど。そんな二十代半ばとは思えない落ち着いた雰囲気の――
「おう、ふうちゃん」
低く抑え気味の、ボソリとした声音。
「今年も帰ってきたな」
言葉はぶっきらぼう。だけど不思議と威圧感のない穏やかな渓一お兄ちゃんの声だ。
……けい兄ちゃんだ。けい兄ちゃん、けい兄ちゃん、ウチ、今年も帰ってきたぞ。
風夏は優雅に……ぴょこたんと頭を下げた。
(ご、ごぶさたしてます、お元気そぅで、ぁの、なによりでございますわ)
あれ? なんかちょっと違うかも?
「……」
けい兄ちゃんの反応、うっすい!!
あ……でも、ジッとウチの姿、見てる。
ホワイトコーデは成功したっぽい? 兄ちゃん好きだよね、白い服。楓さんもよく着てたもんね?
「……」
ん?
なんかないの?
キレイとか? カワイイとか?
ワントーンのコーデはダサくなりがち。でもオトナの着こなしで魅力的にって話じゃなかった?
「疲れてないか」
え。それだけ?
「ふうちゃん」
(は、はい?)
「そこ、座りなよ」
(はいー?)
風夏は言われるままにストンと店の前のベンチに座る。
あれれーー!?
いつもは店の前に置いてあったベンチが、今日は日陰になる所に移動されていた。涼しい。
けい兄ちゃんは店の傍のせせらぎに向かった。
沈めていた大きなスイカを取り上げ、半分にズバンと切るとスプーンを添えて風夏に差し出した。
「ノド、渇いてるだろ」
はあー?
「ふうちゃん、スイカ好きだったもんな」
好きだけど!
ウチのかっこ見た?
白いドレスだぞ? 真っ白なドレス着てるのにスイカ食べろってか?
「今朝、採っておいたんだよ」
たしかにキンキンに冷えてるけどっ!
そうなのだ。乙女心に鈍いのだ。だけどたまらなく優しい。大事にしてくれてるってわかる。居心地が悪いわけじゃない。
けい兄ちゃんは作業途中の手を再び動かし始めた。
シャワシャワというセミの声が、耳に戻ってきた。
うるさいけど、静かな時間が流れる。
「げんきだったか」
けい兄ちゃんがこちらに目線を合わさずにボソリと話しかけてきた。
(うん)
新堂商店に女性が近づいてきた。
ワークシャツにデニムのズボン。腕は少し日に焼け、麦わら帽子をかぶっている。両手にはカゴいっぱいの野菜。
「ふうかちゃん?」
麦わら帽子を脱ぐときれいな黒髪のポニーテールが揺れた。
楓さんだった。
ずいぶんと雰囲気が変わっている。
「やっぱり! おかえりなさい」
ふんわりとした笑顔、やさしい声。昔と変わらない。
むしろもっと魅力的になっている。
これだ。
楓さんはいつもこれだ。こういう笑顔と言葉が自然と出てくるんだ。
「今年も帰ってきてくれたんだね」
(うん……)
風夏は小さく頷いた。
「あら! かわいい!」
楓が心の底から嬉しそうな声を上げる。
「きれい! ふうかちゃんって白いドレスがすごく似合うよね!」
(ありがと……)
その言葉、嬉しいけど、けい兄ちゃんから聞きたかったなあ。
「あ、渓一くん、ダメじゃない」
スプーンを握ったまま戸惑っていた風夏を見て、楓はスイカを小さくブロック状に切ってから、フォークを差し出した。
「白い服着ているのに、これじゃ食べられないよね」
「そうだったか……悪かったな、ふうちゃん」
これだ。
けい兄ちゃんはいつもこれだ。
白のドレスは失敗。
でも、お土産は喜んでくれるかな。食べてくれるかな。
あの時――バレンタインデーに渡せなかったチョコ。今回作り直してきたチョコ……。
でも、なぜか、なんとなく渡しちゃいけないような気がするんだ。
◆◆◆
店の奥でスイカを切った包丁を洗いながら楓はそばにいた渓一に小さく話しかけた。
「ふうかちゃん、今年も帰ってきてくれたね」
「そうだな」
楓は静かに洗い続けている。
「ふうかちゃんが事故に遭ってからもう5年になるのよね」
「ああ」
「亡くなった頃の年齢のままなんだろうね」
「そうだな」
「聞いた話なんだけど……亡くなった人に会いたいって強く願っている人がいると、いつまでもその想いに引っ張られるんだって。あの世に行けずこちらの世界に縛られてしまうって」
「……」
「そして、お盆の時だけはその想っている人の所には来ることができて、その人だけには姿が見えるそうよ」
「わたし、ふうかちゃんの姿は見えるけど、声は聞こえない。渓一くん、声、聞こえた?」
「いや、今年も聞こえない」
「お話できるといいのにね、幸せ? 寂しくない? って」
「ああ」
「いつまでもわたしたちが会いたいって想っているからかな。わたしたちの勝手な想いで引き留めているのかな」
店の前に静かに座る風夏の後ろ姿を、二人は静かに見つめた。
「もう、さよならを言わないといけないのかな……」
渓一は無言のままだった。





