4-12 神頼まれ屋、始めました
彼は、昔馴染みで「姉」と慕う女性達から声をかけられていた。
彼が右も左も分からぬ頃から世話になっていた人達の「頼み」を聞いて、可能ならば叶えて欲しいと。 子供の頃の恩を返せるならば、と彼は二つ返事で引き受ける。
だが、世話になった恩人達の正体は、神話の神々、伝承に残る妖精や神獣、妖怪といった──人ならざるモノ達であった。
時に難題を、時にはからかい混じりな恩人達の頼みを、彼は叶え続けられるのか。
苦しい時の神頼み。
本当にどうにもならなくなった時に、神様に祈りを捧げて助けて貰おうと願うことや、見ず知らずの相手でもなりふり構わずに助けを求めることの、例え。
その例えが、どうして出てきたのかといえば。
「──すまんっ! だが、もう「神頼まれ屋」の坊主にしか、このことを頼れるもんがおらんのだぁっ!!」
紋入り袴を身に着けた壮年の男性が、その動作をやり慣れたような感じで綺麗な土下座を披露しているからだ。
何も知らない人が相手であれば、すぐに駆け寄って顔を上げさせて話を聞いていただろう。
……この男性の正体が、かの悪名高き「百鬼夜行の総大将」なのだと知っていなければ、だけど。
「今月に入って今日までで、もう6回目なんだけど。今度は何したの?」
「酒呑童子の造ってる酒を、チョイと一樽分飲んじまってな。コレが天にも昇るような飲み心地でなぁ……ヒック」
「本当に何してんだよ、この酔っ払い」
これがいつも突然に人間から「助けてくれ」と頼み事を一方的にされている神様の気分か……と、顔をしかめて天を仰ぐ。
頭痛で頭が痛い、とはよく言ったものだよなぁ。知りたくもなかったし、思わずガラが悪くなったけど。
「まぁ、考えては見るけど、期待しないでよ?」
「坊主が仲介に入ってくれるだけでも、百人力だよ」
「調子の良いこと言って……」
相変わらずの変わり身の速さに呆れながらも、どうやってこの頼み事を解決させようか、と思考を回転させる。
そのついでだ。
どうして僕が「神頼まれ屋」という、聞いたこともなさそうな仕事をやっているのか。その理由ときっかけを、ちょっとだけ振り返ることにしよう。
◆
僕──朧夜〈おぼろや〉望〈のぞむ〉がこんな事を始めるきっかけとなったのは、今から数ヶ月も前。
その頃の僕は、立派な社畜サラリーマン。
ネチネチと嫌味を言ってくる上司にも愛想よく応えて、パワハラも我慢して、押し付けられた仕事を片付けるために残業するのはいつものこと。
ビールを片手に夜景を眺めてから帰るのが、僕が週末を迎える時の小さな楽しみ。
この時だけは、溜まりに溜まった仕事のストレスを忘れていられる。
仕事を辞めたい、と思ったことは何度もある。
けれど、その時に必ず思い出すのは、孤児だった僕を本当の家族のように受け入れてくれた、幽玄の里のみんなの顔だ。
育ててくれた恩を返したい。
その一念で勉強を頑張り、立派な企業にも就職した。
自分のことを気に食わない上司からのパワハラや、嫌がらせのように押し付けてくる管轄外の仕事にも耐えてきた。
……けれど、それはいつまで続ければいい?
本当にこれが「恩返し」に繋がっているのか?
「僕は、みんなに胸を張れるような大人になってるのかな」
思わず口からこぼれてしまった愚痴は、そのまま夜風に流れて消え──
「えぇ。立派で誇らしい大人になってるわよ」
瞬間、全ての音が消えた気がした。
震える手でビールを置いて、ゆっくりと振り返る。
嘘だと思いたい心と、聞き間違えるはずが無いという理性が殴り合いをしている。後ろを見てしまったら、揺れ動く天秤が壊れて元に戻せないような予感もある。
けれど、僕は見た。
そこには。
「やっほ。元気にしてた?」
「大きくなったな、望」
十数年前に里の入口で別れた、あの頃と全く変わらない姿のままで。
いつかどこかでまた出会えたら、大きく成長した姿を見せたいと願っていた二人が立っていて。
「……えぇ。元気にしてましたよ」
色々な感情が一気に湧き上がって、震えそうな声を、ぐしゃぐしゃになりそうな自分の顔をなんとかこらえてみせた。
この二人にはきっと、全部お見通しなんだろうけどさ。
「鏡子さんとニクスさんこそ、お変わりなく」
「おやおや、他人行儀なのは感心しないな」
「あの頃みたいに私達を「お姉ちゃん」って呼んでくれてもいいのよ?」
「あれは、僕が子供だったから言えてたことだよ……」
「私達にとって、貴方はいつだって子供よ?」
「そうやって意地を張るところも変わってないな、望は」
妖艶にも無邪気にも見える微笑みを返して、鏡子さんとニクスさんは屋上に設置されていたベンチに座る僕の両隣にきて。
鏡子さんは、心の中まで覗き込まれそうな瞳でこちらを。
対して、ニクスさんは血のように紅い瞳で、今も困惑している僕を見つめている。
二人共、生きた女神の彫像のように整った肢体と顔をしているから、真横に並ばれると「二人は人とは隔絶した存在なんだな」と改めて自覚する。
それもそうだ。
二人の正体は、人ならざるもの。
本来は、人と関わり合う機会などなかった存在。人の世とは隔絶した世界でのんびりと暮らしていたらしい。
そこに、僕という例外が来てしまった。
迷い込んでしまった。
子育ての経験を持つ神や妖怪が、そんなときに都合良く居るわけもなく。お互いにどう接すれば良いのか分からないなりに、色々と試してみて。
四季が一回りする頃には心の距離なんて無くなって、里のみんなが家族になっていた。
けれど、人はやはり人の世で暮らすべきだろう、と。
里のみんなが涙を呑むような想いで決めた総意によって、僕は里を出たのだ。
「まさか、幽玄の里に何かあったんですか?」
考えられる中で、最悪なのは『里に何かしらの異変が起きる』こと。
あそこは緩やかに時が流れる、秘境のような場所だ。
けれど「僕という人間が過ごした」という事実があることで、だいぶ人間社会の影響を受けるようになってしまったらしい。
人の世のように移り変わりの速い激動の流れは、神々の世界には劇薬に近い。それが起きていたらたまったものではないが。
「いや、望が考えているようなことなんて起きてないぞ」
「ですよねー」
里の中でも、上から数えた方が早い位置にいる実力者の二人がここにいる時点で杞憂である。
「じゃあ、どうしてここに?」
「顔を見たくなった。それが理由ではダメなのか?」
「ダメってことは、ないですけど……」
「なら、良いではないか」
むふー、と僕を抱き締めてご満悦なニクスさん。
なすがままになっている僕を見た鏡子さんは満足そうに頷いていて──それが子供の頃の記憶に繋がる。
あの頃も、僕にとって辛いことがあれば、こうやって露骨に甘やかそうとしてきたことを。
「……あなたを『視ていた』わ。別れたあの日から、ずっと」
僕の心臓がドキリと跳ねる。
見透かされていた──いや、文字通りに僕の様子を「視ていた」のだろう。
それだけのことが可能な力を、鏡子さんは持っている。
「だから、もう自重しないことを決めたの。大人げないかもしれないけど、あなたを助けたいと思ったのは事実だから」
「それに、これは里のみんなの総意でもある。望は私達にとっては得難い友人で……家族なんだからな」
真実を写し出す能力を持つという「雲外鏡」の付喪神の、雲外鏡子。
神格化された「夜」の女神の、ニクス。
そんな、正体を知った今では「さん」付けして敬意を払いたくなる二人を、出会った頃の何も知らない子供の自分は「お姉ちゃん」と呼んで、事あるごとに遊んでもらっていたのだ。
他にも、幽玄の里のみんなのことを調べてみたら、神話の動物だったり畏れられている大妖怪だったりと、それはそれは驚かされたのだけど。
あぁ、そうなんだ──と。
僕はその事実をあっさりと受け入れてしまったのだ。
だって、あの里で育った僕にとっては、そこに書かれていたことは「いつものみんな」だったから。
「なので、あの会社は潰す」
「これも、あなたの状況を知ったみんなの総意よ」
ニッコリと微笑んだ二人の笑顔が、まさしく人が理解することのできない『超常のモノの笑み』だったのも、思い出したわけで。
会社潰れたなって、直感で分かるよね。
「色々と調べてみたら、本当に真っ黒だったのよねー。退職金はもちろん、慰謝料も搾り取れる限界まで取るわよ」
「上司だった男には『話し合い』もしなくてはな」
「……えーと、その。程々にしてあげてね?」
流石に命までは取らないだろうけど、一応そう言ってあげないといけないような雰囲気を感じた。
「じゃあ、僕は明日から無職になるわけか……」
「私達の都合で悪いと思っている」
「そこで、望に私達からお願いがあるの」
ふわりとドレスの端をなびかせて、振り返った鏡子さんが僕に向かって微笑みかける。
「人間は困ったときがあれば、神様に助けてほしいと神頼みをするわ。でも、神様は手助けをするばかりで全然公平じゃないわよね」
「なら、逆に『神頼みをする神達を助ける人間』がいてもおかしくないだろう?」
なるほど、確かに理屈としては合っている。
それに、見知らぬ誰かに頼むよりは、少しでも顔見知りであれば、頼む側のみんなも気楽になるだろうし。
「そういう訳で、今後は鏡子が望の上司、という形になるな。時々はこちらの世界にも行けるよう、福利厚生もしっかり考えてくれるそうだ」
「色々と後出しで外堀を埋めてからの話だったけど……引き受けてくれる?」
心配そうにこちらを見る鏡子さんに、僕は安心させるように大きく頷く。
確かに急な話ではあったけど、そうでなくても僕は引き受けていただろう。
なんだかんだで『家族に甘い』のは、僕も同じだったのだから。





