3-13 【略名は本王女で】本当の貴方は王女様ですと言われたので、別の世界に行ってきます!
5歳の頃、私の将来の夢は、お姫様だった。
当時の私は、16歳にでもなれば、勝手に、自動的に、素敵なお姫様になれるものだとばかり思っていた。
5歳の頃、お芋屋さんになると息巻いていた友人は、高校生になって教師になる夢を見つけた。鼻水を垂らして遊んでいた友人は、お医者さんになるために勉強を頑張っている。
私だけがお姫様にはなれないと分かって、そこで夢の成長を止めてしまった。
先生や家族は、「将来のために頑張りなさい」と言う。
だけど自分のやりたいことも分からず、夢や目標もない私は、何を頑張ったらいいのか。
分からない。
自分のことなのに、分からない。
立派な人間になりたいのに、どうしたらいいのか、分からない。
そんな折、教室にとある人物がやってくる。
名をグーシュ。
彼は私に跪いて、こう言った。
「お迎えにあがりました。今こそ、本当の貴女様に戻るべき時です」
幼少期、私の将来の夢は、お姫様だった。
だけどこの16年で痛感させられた。
結局、私は私でしかないと。
やりたいことも叶えたい夢もなく、ただ時間を通り過ぎてきた。
周囲には明るく振る舞うが中身は空っぽ。
それが私、今野 唯だ。
「なんかこう、人生を変えるようなこと、起きないかな」
代り映えしない毎日。
変わらないといけないのに、変われない自分。
だから、そう呟いた。
自分で自分を変えられないのなら、せめて他の誰かに変えてほしいと願って。
休み時間の高校の教室。
頬杖をついていると、扉を隔てた廊下の奥から、カツンと音が鳴った。
やけにハッキリ聞こえた音に、私の視線は教室のドアに注がれる。
カツン、カツンと連続して、段々に大きくなっていく音。
これが足音だと理解できたときには、その主はすでに教室のドアを開けていた。
現れたのは、黒いタキシードを着た外国人風の男だった。
背が高く、薄墨色のウェーブがかった長髪は背中まで伸びている。
「ここにいましたか」
ぞっとするほど優しい声だった。
面長な整った顔についた優しそうなたれ目、眉根から伸びた高い鼻。
幅の広い奇麗な唇が、流れるようにして言った。
「え? やば! めっちゃカッコイイんだけど!」
「何あれホスト?」
色めき立つ声を無視して、男が長い足で近づいてくる。
何故だか、私はすぐにでも逃げ出したかった。
だけど動けなかった。
青っぽいグレーに黄色いヘーゼル色が混ざったような男の瞳が、私を捉えて離さなかった。
男はやがて私の席前まで来ると、唐突に膝をついて頭を垂れる。
「お迎えにあがりました。今こそ、本来の貴女様に戻るべき時です」
恭しく、という表現が似合うだろう。
男は顔を伏せたまま、私に向かってそう言った。
「さあ、この手をお取りください」
机の向こう側から伸びた、大きな手のひら。
(なによこれ、どういう状況なの……? そもそも、この人は誰なの?)
この手を取ったら、なにか説明してくれるかしら――そんな風に思いながら、私は彼の手に右手を重ねた。
カチリと音が鳴り、ぐにゃりと視界が揺れて、真っ暗になる。
はっと気が付けば、教室の自席に座っていたはずの私は青空の下、そよ風が吹く草原の上に立っていた。
「こ、ここは……?」
辺りを見渡せば、枯草が生い茂った草原だ。
黄金色の草が一帯を支配し、ところどころに白い花が咲いている。
踝を隠す靴下よりも背の高い雑草が、風にさらりと凪いで私のひざ下をくすぐってきた。
「お答えいたしましょう」
ぞっとするほど優しく、低い声色。
その言葉にびくりと身を震わせて、私は目の前でいまだに跪く男に気が付いた。
私の2倍はあろうかという男の手の平から、慌てて自身の右手をひっこめる。
男は跪いたまま、ゆっくりと私を見上げた。
「ここは申の国。貴女様は、この国の王女であらせられる」
「王女……? 私が?」
「左様でございます。私は貴女様の剣。名をルヴィンと申します」
なんの冗談よ、と思った。
だけど冗談にしては、ルヴィンと名乗った男の表情は固すぎる。
それに私は、さっきまで教室にいたはずだ。
「あの世界でのお姿は、偽りの身分でございます。宜しければ、この手鏡を」
ルヴィンが立ち上がり、胸元から手鏡を取り出した。
意図が読めないまま手鏡を受け取って鏡に映る自分を見ると、驚愕した。
私は、どこにでもいるような女子高生だったはずだ――。
だけど鏡に映る私は、まるで西洋の令嬢だった。
透明感のある白い陶器肌に、長いまつ毛。きらきらと輝くブラウン色の大きな瞳。
「……これが、本当の私……?」
アイボリー色の長い髪の毛が、柔らかな風でそよぐ。
思わず髪に指を這わせると、何のひっかかりもなく、毛先まで一直線に指先が通った。
服は相変わらずセーラー服のままだったけど、陸上部に入って焼けた肌色とは違って腕は白いし、ベージュ色の髪は柔らかい。
夢の中にいる感覚はないし、この容姿に、ルヴィンの真面目な表情。
もしかして、本当に……?
「よおルヴィン。お前が帰ってきたってことは、これが新しい王女様か? 可哀そうになあ」
よく通る声が後ろから聞こえた。
振り返ると、木造のあばら家を背後に、傷だらけの鎧を纏った男が近づいてくる。
金属鎧の男は私の1m前まで来ると、重そうな兜を両手で外して、脇に抱えた。
「王女様をコレ呼ばわりするなグーシュ。それに、余計なことも言うな」
「はっ。さては何の説明もなしに連れてきたな? だが俺はお前と違って、国じゃなく先代女王に忠誠を誓ったんだ。いいか――」
グーシュと呼ばれた男が、大股で私に近づいてくる。
褐色の肌に、消炭色の短髪な男。
黄金色に近い瞳が、吊り上がった目と相まって力強さを増している。
そんな目が、私を真上から見下ろしていた。
「俺はお前を王女だと認めねえ。今すぐ帰れ」
「下がれ。無礼にもほどがあるぞ」
ルヴィンが私とグーシュの間に割って入る。
「だってこのガキ、この世界のことを何も知らねえんだろ?」
確かに私は、この世界のことを何も知らない。
だからこそ、チャンスだと思った。
「この世界のことは、これから知ります」
ルヴィンが振り向いて、グーシュと並んで私を見る。
ずっと、思っていた。
もっと尊い人物になりたいと。もっと特別な人間になりたいと。
これはチャンスだ。
ここで変われなかったら私はきっと、一生を夢や目標がないままで終わるだろう。
そんなのは、いやだった。
「……お前、干支って分かるか?」
「子・牛・寅の……?」
「そうだ。ここは12ある内の1つ、申の国。王が担うのは、この国を繁栄に導く果実を育てる責務だ。女王がいない今、執政のダンネルがこの国のトップなわけだが……。どうやら責務を果たしていないらしい」
グーシュが大きなため息を吐いて、太陽が沈んでいく方向を指さす。
その先には、いくつもの塔がそびえたつ、とても大きな白いお城が見えた。
「そのせいで食物が育たず、申の国は酷い飢餓と魔物に襲われている。何人も死んでんだ」
「待って。魔物……? 魔物がいるの?」
鏡に映る私の顔は、明らかに怯えていた。
そんな私の顔を見たルヴィンが、白い歯を見せて笑う。
「ご安心を。何があっても、全力でお守り致します」
「……おいルヴィン」
「なんだグーシュ」
「笑顔で濁すのはやめろ。やっぱりこのガキ、元の世界に返してやろう。確かに俺たちには王が必要だが、コイツにも今までの人生ってのがあるだろう。王女は見つからなかったことにして、反乱でも起こそうぜ」
「お前、本気で言っているのか?」
ギラリ、とルヴィンの目が鋭くなる。
いつの間にか、ルヴィンの右手には鈍色の長剣が握られていた。
と。
『ワォオオーーン……ッ!』
「ひっ!?」
オオカミの遠吠えのような声が、後方から聞こえた。
驚いて振り返れば、深そうな森がザワついている。
「おいガキ、こっち見ろ。んで元の世界に帰りたいと言え。お前が考えているより、申の国は危険だ。元の世界じゃ魔物もいねえんだろ? その世界の寿命で死ね」
そう言ったグーシュの目つきこそ怖かったが、怒っている様子はなかった。
いっそ心配してくれているような顔だ。
だけど私は、首を横に振った。
「帰りません。私は変わりたいんです。何もない自分から、かっこいい私になりたいんです」
私の言葉を聞いたグーシュの顔に影が差し、黄金の瞳に軽蔑の色が宿る。
「変わるだけなら、元の世界でもできるだろ。自分を変えるのに必要なのは、己の意思だけだからな。やっぱりお前、王になるな。器じゃねえ。自分の願望にヒトの生活や生死をまきこむな」
言われ、言葉に詰まる。
グーシュの言い分は正しい。
自分を変えられるのは己だけ。
だけど変えられないまま、私は今まで生きてきた。
「そう厳しいことを言うな。彼女を失えばお前が先頭に立たずとも反乱が起こり、沢山の血が流れるだろう。それは避けたい」
「お前に言ってんじゃねえ。おい、元の世界で穏やかに暮らすか、荒れ果てた申の国で民に一生を捧げるか、今ここで選べ」
グーシュの力強い目が、まっすぐに私を見てきた。
その迫力に、思わず目を背けて下を向く。
すると鏡に映る、自分じゃないみたいな顔の自分と、目が合った。
外見はこんなにも美しくて奇麗なのに、浮かべる表情は情けなく、まるで変わらず自分のままだ。
当然だ。見た目が変わっただけで、中身まですぐに変われるものじゃない。
ああ、やっぱり変わりたい。
本当の自分はこんなもんじゃないんだと、証明したい。
顔をあげて、グーシュの瞳に負けないよう、拳をぎゅっと握りしめて見つめ返す。
「ここに、残ります」
「……くそったれが」
それからくるりと背を向けて、あばら家の中へと入っていく。
数分して出てきたグーシュは、両手に大きな盾を持ち、腰には剣を携えていた。
よくよく見れば、両の足元にも短剣が2本括りつけられている。
「……完全武装じゃないか」
「何かあってもそのガキを守れるように、用心したいだけだ」
言って、私たちはお城に向かって歩き出す。
ルヴィンを先頭に、私の後ろを歩くグーシュがそっと耳打ちしてきた。
「気をつけろ。アイツは国に忠誠を誓っている。アイツが守りたいのはお前じゃなく、この国だ」





