三八二年 実の十二日 ②
宿の部屋、ウィルバートは荷物の中からククルへのプレゼントを取り出した。
ふたりのときに渡したいと、朝から機会を待っていた。思っていたよりも遅くなってしまったが、これでようやく渡せる。
前回ここへ来たのはレザンへ行く前、ほぼ月ひとつ分前のこと。
再びここに来られるまで、本当に長かった。
―――今回のことで、ウィルバートはジェット付きの事務員のまま、ギャレットの補佐に任命された。
ギャレットの補佐は以前からふたりいるが、ジェットに関する業務をすべてウィルバートが引き継いだ。尤も、今まで補佐を通していたギャレットへの報告が直接できるようになったことで、ほかの業務に充てる時間も取ることができるようになったのだが。
今までと同じ、英雄付きの延長のようなものではあるのだが、肩書がつくことで余計な反感を買うかもしれない。そうギャレットに言われたが、即答で受けた。
力がなければ動きたいときにも動けない。
守りたいものも守れない。
今までより少しだけ、自分にも守りたいものが増えたから。
その為なら、自分自身に向く敵意などどうでもよかった。
手にした包みを眺め、少し笑う。
誕生日までの日数も、プレゼントを探す時間もほとんどなかった。それでもこれしか思いつかなくて、限られた時間で目一杯探した。
本当に、思うようにはならないけれど。
喜んでもらえたら、今はそれでいい。
店に向かおうと宿を出たところで、ちょうど丘を降りきって町のほうへと向かう人影が見えた。遠目だが外套姿の男だとわかる。少し胸騒ぎを覚え、ウィルバートは慌てて店内へ駆け込んだ。
「ククル!」
名を呼んでから、その姿がないことに気付く。
騒動の間ずっと抱えていた不安と心配が蘇る。
恐怖にも似たそれに、血の気が引いていくのがわかった。
手に持つ包みをテーブルに置き、カウンター内へ入る。
倒れたりしていないことを確かめ、作業部屋も覗くが姿はなかった。
「ククルっ?」
もう一度名を叫んだ、そのとき。
近付く足音と共に、ククルが急いで二階から降りてきた。
「ウィル?」
驚いたように自分を見るククル。
何も変わりないその姿に、安堵の息をつくのも忘れて手を伸ばす。
「どうか―――」
しましたか、と問いかけたククルの言葉が途切れた。
胸の中に引き込んだ華奢な身体を抱きしめ、ウィルバートはその存在を確認する。
「…よかった」
抱きしめる手に力が入る。
「無事で、よかった…」
心から、そう呟いた。
「すみません、取り乱して…」
我に返ったウィルバートが、申し訳なさそうに謝る。
「見慣れない人が帰っていくのを見かけた上に、ククルがいなかったもので…」
ククルは二階の自室にロイヴェインの花瓶を置きに行っていただけなのだが、無人の店内に余程慌てたようだ。
らしからぬ取り乱し様に、心配をかけたことを申し訳なく思う。
「ご心配をおかけしてすみません。ウィルのいない間に、ゼクスさんのお孫さんが来てくださってて」
ロイとヴェイン、どちらの名を伝えていいかわからなかったので、そう呼んで。彼らからプレゼントをもらったことを話した。
「そう、だったんですか…」
少し思案顔でそう呟いてから、ウィルバートはテーブルに置いたままの包みを持ってきた。
「ククル」
改めて、まっすぐにククルを見つめる。
「誕生日、おめでとうございます。当日に渡せて嬉しい」
細められる紺の瞳。時々見せる大切なものを見るようなその眼差しに、ククルは内心動揺する。
先程ウィルバートに抱きしめられたことを思い出し、何だか気恥ずかしい。
「あ、ありがとうございます…」
差し出された包みを受け取り、促されるまま開けてみる。
「…レシピ…」
少々重みのある菓子のレシピ本が、中にはあった。
「凝ったお菓子が作りたいって言ってたから」
何気ない会話を覚えていてこれを選んでくれたのだと知り、嬉しくなる。
ぎゅっと胸の前で本を抱きかかえ、ククルは微笑んだ。
「ありがとうございます」
見返す青年が、幸せそうに笑った。
夕方。カウンター内にはテオとアレック。定位置にウィルバート。
カウンター席の真ん中に座って、ククルは少しそわそわしていた。
この席から調理の様子を眺めるのは、両親が亡くなってから初めてだった。前に立つテオと度々目が合い、照れくさそうに笑われる。
町の住人たちも次々顔を出して祝ってくれた。
テオとレム以外の幼馴染、ソージュ・イレウスとエリシア・カーターも店を訪れ、各々家業の木工細工と金物細工の腕をふるって作ったプレゼントを贈ってくれた。
一段落したところで食事はと聞かれ、シチューがけのオムレツを頼む。
毎年シチューを選んでいた。しかし、今年は。
驚いたようにククルを見返していたテオが、ふっと笑う。
「了解」
少し嬉しそうな声に聞こえたのは、おそらく聞き間違いではないだろう。
慣れた手付きでテオが作ったオムレツに、自分たちふたりで作ったシチューがかけられる。
はい、とカウンターの向こうからテオがトレイを置くのを、どこか不思議な気持ちで眺める。
どうかした、と怪訝そうにテオに聞かれ、ククルは何でもないと首を振り、いただきますと告げた。
訪れる住人たちに祝われながら食事を終えたククル。テオがトレイを下げてくれたので、片付けくらいは手伝おうかと立ち上がる。
「待ってククル。お茶淹れてるから」
テオが慌てて止めて、もう一度ククルを座らせた。
待つことしばらく、ククルの前に再びトレイが置かれる。
「え…?」
載せられた皿を見て瞠目するククル。
「これって…」
お茶のカップの隣、皿に置かれているものは。
片手に乗るくらいの小振りなケーキ。皮付きのまま薄切りにしたりんごをくるりと並べて焼いたそれは。
ぱっと顔を上げてテオを見る。
「ごめん。味は再現できなかった」
申し訳なさそうに謝られるが、ククルはふるふると首を振る。
フォークで切り分け、口に入れる。
テオの言う通り記憶の中の味とは少し違うが、それでも。
「…母さんのケーキ…」
ぽろりとククルの瞳から涙が零れる。
「ククルっ?」
慌てたテオが声を上げ、ウィルバートが思わず立ち上がる中。
零れた涙はそのままに、ククルは瞳を細める。
「ありがとう、テオ」
小さな呟きは、とても幸せに満ちていた。
自室に戻ったテオは、ようやく息をつく。
(…何とかできた、かな)
両親がいない誕生日。それでも喜んでもらいたくて、ずっと準備をしてきた。
慣れない菓子作りに苦戦したが、ディアレスたちの夜食に乗じてケーキの試作を食べてもらい、何とか形にできた。
結局は、泣かせてしまったけれど。
それでもいつものように閉店作業をしてくれたククルは、最後に嬉しそうに笑ってありがとうと言ってくれた。
喜んでもらえたのだと。
彼女の為に何かできたのだと。
(そう思っていいのかな…)
いくら傍にいても、鍛えてみても、自分ではゼクスたちのようにククルを守ることはできない。それがどうしようもなく惨めで。
しかし彼女の笑顔を守ることなら、自分にもできることがあるのではないかと。
自然と笑みが浮かぶ。
(…笑ってくれて、ホントによかった…)
疲れた身体も劣等感も、少しだけ軽くなった気がした。
テオを見送ったククルは、誰もいなくなった厨房に戻り、店内を見回す。
自分の誕生日を、たくさんの人が祝ってくれた。
(…私は幸せね)
こうして気にかけてくれる人がいる。
自分の為に、何かをしてくれる人がいる。
そのことが、とても嬉しかった。




