ラウル・アルディーズ/つながり
約一年振りに、僕はこの町にやってきた。
ミルドレッド地区、ライナスの町。
僕の、想い人が暮らす町。
去年の雨の月に僕がここへ来たあと、彼女には本当に色々あったらしい。
伝え聞く話がどこまで本当でどれだけ正確か、確かめることのできない自分の立ち位置がもどかしくてたまらなかった。
何が起こっているのかさえ知らされない自分。
何か起こっていても駆けつけられない自分。
これで彼女のことを好きだなんて、本当によく言ったものだと思う。
次にここに来ればどうなるかに気付いてから、機会がなかったのも本当だけれど、機会を作ろうとしなかったのも事実で。
ずっと逃げて。
でもずっと苦しくて。
次の機会まで彼女を好きなまま待てると思ってたのに。動くことも、動かないことも、どっちも辛くなってきて。
立ち竦んだまま、いくつも月が過ぎた。
前に来てからもうすぐ一年。せめてそれまでにケリをつけようと、ようやく覚悟を決めて。四日の休みをもらってひとりでここへ来た。
十四歳のときに彼女に救われて。
それからずっと会える日を夢に見て。
会えても声すらかけられず、勘違いから絶望したりもして。
ようやく知り合えた頃には、たぶんもう遅かった。
十四歳のあの日に知り合っていれば、何かが違っていたんだろうか?
あの日の僕が名乗っていれば、もっと近くにいられたんだろうか?
今更な後悔を何度繰り返しても、もうどうにもならなくて。
わかってるんだよ。
僕と彼女の縁はただ、僕が彼女を好きだということ。
それを失えば残るつながりはなく、僕と彼女には何の関わりもなくなってしまう。
でも、それでも。
僕が彼女にできる最後のことは。
ちゃんと振られることなんだって。
ゆっくり丘を登っていく。
変わらない風景ではあるけれど、職人らしい人たちが行き来してて、記憶より少しだけ騒々しい。
何をしてるのかと聞いてみたら、宿の裏側に新しく家を建ててると教えてくれた。
ナリスさんとレムさんの、だろうな。
ナリスさんがギルドを辞めて、そのあとは臨時で雇われる形になるって話はもう広まってる。
想いを貫く為に新たな雇用形態を実現させたナリスさん。
僕にはない強さが羨ましい。
歩くうちに着いてしまった食堂の入口で。何度もためらい、ようやく手を伸ばす。
カラン、と懐かしい音。
正面のカウンターの中。
変わらない彼女が、そこにいた。
僕を見て、驚いたように目を瞠って。
次の瞬間、優しく微笑む。
「ラウルさん」
名を呼ばれた、もうただそれだけで嬉しくて。
やっぱり僕は彼女が好きだ。
…好き、だけど。
「ククルさん、久し振り」
店内に彼女がひとりなのをいいことに、近付いてカウンター越しに彼女を見つめる。
「…好きです」
思っていたよりも素直に言葉が出たことに、僕自身も驚いた。
「ラウルさん」
ククルさんが手を止めて、まっすぐに僕を見つめた。
「ごめんなさい。私はテオのことが好きなんです…」
ゆっくりと頭を下げてから、また僕を見る。
「ずっと私を想っていてくれて…、それなのに私が気にしないように取り下げてくれて…。本当にありがとう…」
僕を見る紫の瞳が潤んできてるのは、気のせい、なのかな……?
「…私はラウルさんの優しさに甘えてばかりで……本当にごめんなさい…」
零れた涙に、気のせいじゃなかったんだと知る。
「ククルさん!」
カウンターに乗り出して、少しでも近付いて。
「泣かないで。ククルさんが謝ることなんて何もないんだから」
そう言うけど、ククルさんははらはらと涙を零しながら首を振る。
「私がもっと早く自分に向き合っていればって…ずっと……」
「ククルさんがそうしてたら、僕は好きだと言う機会すらなかったかもしれない」
被せるように告げると、ククルさんがはっとしたから。
僕を見返す彼女に微笑みかけた。
「想いを伝える機会をもらえて嬉しかった。…僕の想いを君に知ってもらえて、本当によかったと思ってるんだ」
ここに来るまではあんなに苦しかったのに。彼女を前にしたら、本当に素直に言葉が出てきて。
こんなことならもっと早く来ればよかった。
彼女への気持ちが苦しくなる前に来ればよかった。
そうすれば僕は、もう少し自分に落胆せずにいられたかもしれないのに。
内心の落ち込みは沈めて、今はただ目の前の彼女に訴える。
「だからそんなこと言わないで。僕は君とちゃんと出会うことができて、本当に嬉しかったんだから」
たとえこれでつながりが絶たれても。
この先二度と会うことがなくても。
僕は君と知り合えて、想いを伝えられたことを。
よかったと思っているのは本当だから。
ククルさんは涙を拭って、ありがとうと笑ってくれた。
ククルさんがよく見える真ん中の席に座ると、お茶とお菓子を出してくれる。
話せる範囲でいいからとお願いして、あれからここで起きたことを教えてもらった。
ククルさんが襲われたことは触れずにと思っていたのに、誰から聞いたのか僕がモメた相手があの男だと知っていたククルさん。ずっと心配してくれてありがとうとお礼を言われた。
そうするうちにテオさんが来て。僕を見てものすごく驚いていたけど、たぶんククルさんが落ち着いていたから何も言わなかった。
そこからはテオさんも一緒に話して。
もう面倒だからテオでいいと言われて、僕もふたりに呼び捨てで、と頼んだ。
ククルさんもククルでいいと言ってくれた。
振られてから呼び捨てで呼ぶようになるなんて。何だか妙な感じだった。
居辛ければミルドレッドに泊まろうかと思っていたけど、三人で話すのは思いの外楽しくて。今日はどうするかと聞かれて、ついここに泊まると言ってしまった。
結局閉店まで店に居座って。今から閉店作業だという店を出て、宿へと向かう途中。
ドアベルの音に振り返ると、何故かテオが追いかけてきた。
「ラウルに言いたいことがあって」
立ち止まった僕を、真剣な表情でテオが見る。
「今日。来てくれてありがとう」
性懲りもなくククルに好きだと言ったことで責めるつもりかと思ったのに、面と向かってお礼を言われた。
「振られるだけなのに、って?」
そんなつもりはないってわかってたけど。驚きを隠す為についそんなふうに言って苦笑される。
「ククル、ラウルに何も言えてないことをずっと気にしてたから」
テオから続けられた言葉は、僕にとっては信じられないものだった。
驚く僕に気付いているのか、それとも気付いてないふりをしてくれてるのか。
わからないけど、ただ淡々と語るテオ。
「…宿もそうなんだけど。俺たちの仕事って、人には出会うけど、その場だけなんだよな」
確かに出会う人数は多いだろうけど。縁にもならずに終わることがほとんどなんだろう。
「俺たちはここから離れられないから。親しくなるには相手に来てもらわないといけないし、嫌だと思えば切り捨てるのも簡単だから」
ここに来ればいつでも会えるってことは、ここに来なければ会わずに済むってことだと、当たり前のことなのに思い至らずにいたことを知った。
「…離れていくのを自分には止めることができないから。だからククルはいつも、待ってるって言うんだよ」
お待ちしてますって。僕も言われた。
食堂なんだから、普通に客としてまた来てくださいって意味だと思ってたんだけど。
「…だから。今日ラウルが来てくれたこと、ククルは本当に喜んでると思う。俺が頼むことじゃないかもしれないけど、こっちのほうへ来る機会があったらまた来てやってくれないかな」
振られた僕を取り繕う為じゃなく、テオだって本気でそう思って言ってるんだってのは、その顔と声からよくわかって。
毎回一方的に告白して困らせても、それでも最後は笑って見送ってくれるククル。
今日振られて、それで縁が切れてしまうと思っていたのに。
…僕はまだ、ククルとのつながりを持ち続けていいんだろうか。
ここに来ても、いいんだろうか?
テオのうしろ、食堂を見る。
望む形ではなくても、僕と彼女のつながりがまだあるということを。
手放さずにいていいことを。
僕は、嬉しいと思っていいのかな……。
「ありがとう、テオ。もちろんまた来るよ」
そう返すと、テオがほっとしたように息をついた。
恋敵だった僕にまでこんなに気を遣うのは、きっとククルの為じゃなくて、単にテオの性格からなんだろうな。
初対面がアレだったから、お互いあまり関わらないようにしてたけど。いい奴だってことはわかってる。
「そういえば。レムさんのこと、ギルドで話を聞いたよ。おめでとう」
「ありがとう」
ちょっと照れくさくなってごまかす為にそう言うと、笑って礼を返された。
「そっちももう結婚してるかもって、心の準備してたんだけど。まだなんだ?」
ごまかしついでのからかいに、テオは驚いたように僕を見て。
「…受けてはくれたけど。そこから話を進めてもらえないから」
苦笑しながら、仕方なさそうな声で呟いた。
「保留…ってこと? どうして?」
聞いてもテオは笑うだけで、それ以上答えてくれなかった。
今まで抱えてた苦しさは消えて。
ずっと動けなかった自分への後悔はあるけど、それでも晴れやかな気分で朝を迎えた。
朝食からまた食堂に居座っていたんだけど。片付けてくる、とテオが奥の部屋に行った隙に、気になってたことを聞いてみることにした。
「ククルとテオって結婚しても生活変わらないのに。何でまだしてないの?」
最初に告白したときくらい驚いた顔で僕を見てから、一気に真っ赤になるククル。
そのまましばらく僕を凝視して。そこから視線を落として。ぽつりと呟いた。
「…心残りがあったから、待ってもらってたの」
「心残り?」
顔を上げたククルは少し笑って、でも、と続ける。
「その間にテオともたくさん話せて、お互いどうしたいか知ることができたから。これでちょうどよかったって思ってるわ」
微笑むククルはからは、何が心残りだったのか教えてもらえなかったけど。
よかったと思ってるという言葉に嘘がないことは僕にもわかった。
お昼前、帰路に就く僕をふたりは外まで見送りに来てくれた。
「それじゃあ。お幸せに」
からかい半分にそう言うと、ふたり揃って困ったような笑みを見せる。
「また」
「また来てね」
また、と言ってもらえるのが嬉しくて。
「いつになるかわからないけど。今度はパーティーで来るよ」
そう答えると、ククルは嬉しそうに笑ってくれた。
「ええ。待ってるわ」
ほらな、と言いたげなテオと、嬉しそうなククル。
ふたりを見ても落ち着いてる自分に安堵しながら。
「またね」
手を振って、歩き出した。
来月ククルが結婚すると聞いたのは、動の月の後半。訓練に行っていた奴らが食堂で話していた。
僕がライナスに行ってから二月足らず。その間に心残りは解消されたみたいだ。
結局ククルの心残りは何だったんだろうなと思いながら、あの日のことを思い出して。
ふと、引っかかる。
僕に何も言えてないことを気にしてたというククル。
どうしてかと聞く僕に、心残りがあった、と言った。
そして来月に、ククルの結婚は決まって―――。
思わず立ち上がる。
もしかして。そうなのか?
先に僕を振る為に。ククルは待ってくれてたのか?
うぬぼれかもしれない。でも、時期的にも内容も符合して。
やっぱり僕はもっと早く行くべきだった。
そう後悔しかけて、もうひとつ思い出す。
お互い知ることができたから、これでちょうどよかったと言っていたククル。
あの言葉が、僕を気遣ったわけでも取り繕ったわけでもなく、本心からのものだとしたら。
もし、本当にそうだとしたら。
それなら僕が立ち止まっていた時間も無駄ではなかったのかもしれない。
息をついて椅子に座ると、カイとフェイトが怪訝そうに僕を見てた。
何でもないよと笑って、またライナスに行きたいなと話す。
僕の想像がどれだけ正しくてどれだけ間違っているかはわからないけど。
またいつかライナスに行ったら、ふたりに聞いてみよう。
四日あれば行けるんだから。何ならカイたちも誘って行けばいい。
彼女を想う僕ではなく。
新たにもらったつながりで。
僕だってもうためらいなく、あの場所に行けるんだから。
三八四年、祝の末頃の話です。
ひとりまだ振られていなかったラウル。これでようやくふたりと友達になれました。




