三八三年 実の十一日 ③
午前の訓練に出ることになったからとテオに頼まれ、店へとやってきたウィルバート。
いつものようにカウンター席の真ん中に座る。
今まで通りの態度を取るようにと言い聞かせて臨んだ今回の訓練。まさかライナスに着く前にこんな騒動が起こるなどとは思いもせず。
ロイヴェインから無事だとは聞いていても、それでも心配で心配で。
ここに着き、何も変わらぬその姿に、事前の心構えも取り繕う態度も何もかも忘れて。ただ無事でよかったと抱きしめたかった。
しかし何も知らない訓練生の手前表には出せず。ただ彼女を見つめ、言葉を呑み込むことしかできなかった。
しかし。
少し冷静になった今となっては、踏みとどまることができてよかったと思う。
ロイヴェインのように素直に行動に移すには、自分は少々大人で立場もあるのだから。
カウンターの中、お茶を淹れるククル。
いつも通りの穏やかな笑みに、今までの緊張が少しずつ緩んでいく気がした。
「あとでも出すけど、お菓子も少し食べていく?」
ポットとカップだけを載せたトレイを前に置いて尋ねるククル。
変わらぬ態度が本当に嬉しい。
「いいなら喜んで」
そう答えると、待っててねと告げられる。
作業部屋に入るうしろ姿を見送りながら、本当によかったと、もう一度独りごちた。
菓子を選び、食べながら考える。
ロイヴェインから渡されたギャレットからの手紙には、事のあらましと謝罪が書かれていた。
ハントを捕らえたことと、追求できるだけの証拠があること。そしてその証拠の存在を黙っていたことを詫びられた。
未だ終わらぬイルヴィナの悪夢。これでそれが潰えるなら、ジェットたちにとってこれ程嬉しいことはないだろうし、自分も心から喜び合いたい。
そしてまた、話してもらえなかった理由もわかっている。
ただでさえまだ上手く感情を隠すことのできない自分。加えて最近はククルのことでずっと動揺したままで、少しも周りなど見ていなかった。
そんな状態の自分に、内密の話などできるはずもない。
状況が進展したことは嬉しいが、その一方で自分を認め、この立場に就かせてくれた人々に合わせる顔がない。
自分の知らぬ間に事が進み、偶然とはいえ不在中に終わってしまったこの騒動に、自分の存在は一体どれだけの役に立てたのだろうか。
補佐の肩書はまだ自分にはすぎたものなのかもしれない。そう落胆する程度には、正直気にしてはいる。
ククルに気取られぬよう嘆息を呑み込んで。
ククルの無事を喜ぶ気持ちと。
己の不甲斐なさを嘆く気持ちと。
その狭間、それでも。
自分の目の前で微笑む彼女を変わらず大事だと思う気持ちだけは、疑いようもなく。
こんなときまでと苦笑する一方で、その存在に確かに励まされながら。
ジェット付きの事務員として。そして事務長補佐として。
自分にできることは何だろうかと、ひとり考えていた。
カウンター内で菓子を作りながら、ずっと考え込む様子のウィルバートを一瞥するククル。
こちらが作業をしているせいもあるだろうが、黙りがちなウィルバート。
ジェットたちも手紙を読んだあとには嬉しそうな顔をしていたのに、ウィルバートだけは何故か時折沈んだ顔をしていた。
「ウィル」
声をかけると顔を上げ、少し笑みを見せる。
「そういえば、ここであったことを聞いたんだ」
「ここでって…」
「ククル、すごかったって聞いた。アレックさんも驚いてた」
何のことを聞いたのか、その言葉でわかった。
「あれは…」
途端にうろたえるククルにウィルバートがさらに笑う。
「ひょっとして、ククルは俺より強いんじゃない?」
「ウィル!!」
完全にからかう口調に声を上げると、消えぬ笑いと共にごめんと謝られた。
「でも冗談抜きで、今回はそのおかげで何とかなったんだと思うから」
見返す紺の瞳に浮かぶのは、労りと尊敬。そして、どこか諦めたような自嘲で。
「本当に。ククルはすごいと思うよ」
いつもより負の感情が見えるウィルバートに、やはり今回のことには自分の知る以上の何かがあったのだとククルは思う。
もちろんそれが何かは自分にはわからない。
だがそれでも。目の前のウィルバートに伝えたい思いがあった。
「…ワーグさんが最初に謝ってくれたこともあるけど、あのとき私が動けたのは皆のおかげよ」
手を止めて、視線を合わせる。
「前に、私は何もできなくて。ものすごく後悔したの」
「……あのことは本当にすまないと…」
一瞬の動揺の後ギルド員として謝ろうとするウィルバート。その言葉を首を振って止める。
「皆がそうやって謝ってくれて。自分のこと以上に辛そうに私を心配してくれるのが、申し訳なくて」
「ククルがそんなふうに思わなくても…」
「レムにも言われたわ。私も、皆も、悪くないんだって」
だから、と続ける。
「もう皆にそんなことを言わせなくていいように、私自身が強くなりたかったの」
次第に驚きの色が濃くなるウィルバートに向け、ククルはそう言い切った。
まっすぐに自分を見据えてのククルの言葉を、ウィルバートは驚愕の中聞いていた。
皆に心配させたくないから強くなりたいのだと、目の前の華奢な少女は言い切った。
突然両親を亡くし、叔父の過去の騒動に巻き込まれ、襲われ、拐われそうになり。
それだけ理不尽な目に遭いながらも、周りを恨むのではなく、周りの為に強くなりたいのだと。
まだそう言えるのかと、愕然とした。
強くなりたいと願う少女は、自分から見れば十分に強くしなやかで。
どれだけのことが重なっても、心折られることもなく、ただありのままそこにいて。
出会った頃から変わらない、その姿勢。
そんな彼女に自分は惹かれ、恥じぬよう在りたかったはずなのに。
周りに受け入れられ、認められ、頼られるうちに、いつの間にか自分は大きな存在になった気がしていたのだろうか。
等身大の自分の精一杯がどれ程微力で。それでも自分はただそれを尽くせばいいだけなのだと。
そんな簡単なこともわからなくなる程、自分自身を見失っていたようだと。
今、気付いた。
「今度こそ私にも何かができたっていうのなら、それは皆のおかげなの」
こちらの心の内など気付きもせずに、ククルはまだそんなことを言う。
「少しはウィルにも安心してもらえるようになればいいんだけど…」
向けられる柔らかな笑みに、伸ばせない手を握りしめる。
ククル自身にそんなつもりはない。
しかし、彼女は間違いなく、沈みきった自分を引き上げてくれた。
(……これだから…)
いつまで経っても特別なまま。忘れることができなくて。
未だに好きだと思うけれど。
できることなら、この手を伸ばしたいけれど。
困らせるほうが、辛いから。
今の自分の精一杯の笑みを見せる。
「安心できるように、ククルが大男をのしたって噂を広めていい?」
「ウィル!」
本音を言うと、心配くらいさせてほしいのだが。
呑み込む代わりの軽口に、赤くなってむくれるククル。
そんな彼女を愛しく思う気持ちはまだ心を占めている。
だけどこうして特別なまま。それでも少しずつ。
自分にとってのククルの存在を想い人から変えていければと、そう思った。




