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三八三年 動の十八日

 動の月に入ってから訓練までの間は午前中に少しだけ宿の仕事をしていたテオ。今日からほぼ以前通りに仕事をすることになった。本当はジェットたちが帰った日にククルから提案していたのだが、一日様子を見たいと言うので今日からとなったのだ。

「ドアベルが鳴ったら来るつもりだけど。もし来なかったら、ククルが鳴らすか逃げてくるかして」

「逃げるって…」

 余程心配してくれているのだろう、何度も同じ注意をしてくるテオ。あまりの過保護振りに苦笑しながら、それでもククルは首を振る。

「おかしいと思ったらそうするけど、これから先私がひとりで店に立つことなんていくらでもあるんだから。人が来る度に呼んでたらテオだって何もできないし、逃げてたら私も仕事にならないでしょ?」

「そうだけど、しばらくはそうして」

「テオ…」

「頼むから」

 いつもはこちらの筋が通っていれば聞き入れてくれるのだが、今回ばかりは引く気はないらしい。

 結局それだけ心配をかけたのだと思い直し、こちらが折れることにした。

「わかったわ。来ないときは知らせるようにするから」

 ようやく安堵の表情を見せるテオに、嬉しくも申し訳ない気持ちでいっぱいになる。

「……ごめんね。テオ、大変だろうけど……」

 こちらを気にしつつ宿の仕事をすることになるのだ。一体どれだけ神経をすり減らすことになるのか。

 恐縮するククルに、何言ってんだよ、とテオは笑う。

「心配しながらいるよりそっちのがマシ」

 気遣いではなく、当たり前だと言わんばかりのその口振り。

「だから。変な気遣って知らせないとか、やめてくれよ?」

「わかってる」

 即答に満足そうに笑みを深め、テオがククルの頭に手を伸ばした。

「頼むな」

 ぽふんと頭に手を置いて軽く撫で、行ってくる、と歩き出す。

「っ! いってらっしゃい!」

 裏口へ向かうテオがカウンターを出る間際、我に返ったククルの声に振り返り、小さく手を上げた。



 早くなった鼓動に今更顔を赤らめて、ククルはうなだれる。

 ジェットやダリューンがするのと同じく労いからの行動だとわかってはいたし、テオに頭を撫でられるのも今に始まったことではないのだが。

 最近ずっとテオのことを考えているので、今まで何ともなかったことが恥ずかしくて仕方ない。

 自分はこの店にテオとふたり並んで立ちたい。

 家族同然の幼馴染で気心知れた間柄で。安心して仕事を任せられ、自分も思うように動けて。隣にいて心地よく、落ち着いていられる。

 こんな相手はテオしかいないので、自分の隣はテオでないと嫌なのかと。

 ―――最初はそうだと思っていた。

 撫でられた頭を自分で撫で返す。

 火傷をしそうになったのを止めてもらったときに動揺して、今までそんなことなかったのにと振り返ってみて。

 改めて、テオに触れることと触れられることを自然に受け入れている自分に気が付いた。

 もちろん家族同然のテオなので、ジェットやダリューンにされること、つまり頭を撫でられたり抱きしめられたりすることに抵抗はない。

 抵抗はないが、違うのだ。

 ウィルバートやロイヴェインに抱きしめられたときは、もちろん嫌悪感はないが恥ずかしくて仕方なくて、逃げ出したい気持ちにもなった。

 もちろん今の自分がテオに抱きしめられたりなどすれば、今まで以上に恥ずかしくて照れくさい思いをするとわかっている。

 しかし、おそらく逃げ出したくはならない。

 ただの『家族』でもなく、ただの『異性』でもない。自分の中でテオだけが特別な存在で。

 それに当てはまる気持ちを何と呼ぶのか、おそらくもう、自分だって気が付いてはいる。

 確信は、ないが。

 嘆息し、かぶりを振る。

 こんな曖昧な気持ちではどうしようもない。

 自分にはまだ、自分への理解が足りなかった。



 ひとり、店の中。

 考え込んでいても手は動く。むしろのめり込みすぎないのでちょうどよかった。

 仕込みをしながら、いつから()()なのかと考えるがわからない。しばらく考え、当たり前かと納得する。

 自分の中の気持ちは何も変わっていない。ただそれがそうなのだろうと気付いただけだ。

 そして同時に、同じ想いを彼らに抱けないことも。

 こんな自分に想いを向けてくれて、いつも気遣い、心配し、力になってくれた。

 自分の気持ちすらわからない自分に、それでもいいと待ってくれていた。

 そんな彼らに、自分は何も返すことができない。

 彼らの望むものを返すことができない。

 自分がもっと自分自身のことをわかっていれば、せめてこんなに待たせることだけはなかったのに。

 滲む視界に手を止めて、瞳を伏せる。

 それでも、自分の気持ちに嘘はつけない。

 誰よりも特別で。

 誰よりも大切で。

 誰よりも隣にいてほしい人が。

 自分には、いるのだから。



 お昼前に戻ってきたテオ。慌てた様子で身支度をしながら、カウンター内へとやってくる。

「ごめん、遅くなった」

「大丈夫よ」

 微笑むククルをじっと見て、テオはそのまま近付いた。

「何かあった?」

 目の前で立ち止まり、まっすぐ覗き込む。

「落ち込んでる?」

 近付く顔に、ククルは息を呑んで首を振る。

「な、何もないけど…どうして?」

「何かそんな感じに見えたから」

 違うならいいけど、と呟いて、テオは仕込みの進み具合の確認を始めた。

 気付かれないように息を吐き、ククルも止めていた手を再び動かす。

 静かな店内。テオと並んで。

 とても落ち着くのに、どこかそわそわして。

 とても嬉しいのに、どこか照れくさい。

 内に熱を秘めながら、それでも穏やかなこの気持ち。

 相変わらず確信はない。

 でも、もう自分にはそれ以外に考えられない。

「…テオ」

「ん?」

 いつも通り手元を見たままの、テオの応え。

「ありがとう」

「何だよ急に」

 笑うテオを見ないまま。

(…私は…テオが好きなんだ……)

 心中呟き、視線を落とした。

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― 新着の感想 ―
[良い点]  ああ……。  気がついたのですね。  ただの『家族』でも、ただの『異性』でもない『特別』。  わかってしまったのなら、もう変わらないままではいられないのでしょうね。
[一言] ようやく、言葉になりましたね。 アリーがいたら、 ぎゅっと抱きしめてくれるでしょうね
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