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Universe Create Online  作者: 星長晶人
第三章

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矢崎刀奈のリアル

久々ですみません


来週から孤独で蠱毒も更新再開できるかなと言ったところです。


珍しくリアルでの話メインです。

 リョウ達《ラグナスフィア》がギルドイベントに向けて動いている時。


 カタラは真剣に悩んでいた。


 『鍛冶』のことではない。言ってしまえば、UCOのことですらない。


 ――私、影薄くない?


 と。


 立場上は『ラグナスフィア』の副ギルドマスターだ。βテスターでもあり、その時には《銃士(ガンナー)》をやっていた。刀を主な武器としており、日本刀が好きで自分の手でオリジナルの刀を作成したいからこそUCOを始めたと言っても過言ではない。プレイヤー名は本名の刀奈(かたな)を文字ってつけており、彼女の刀好きには子供の名前に「刀」の文字を入れた両親の影響もあった。戦闘スタイルは刀に加えて炎を扱う。これには『鍛冶』に使う炎が綺麗だったからという理由があるのだが。


 ……最近、あまり目立ってない気がする。


 彼女は悩んでいた。それはもう、真剣に。


 なにせギルド内で言えばリョウとの付き合いが一番長く、クーアの母という立場を保持している。

 ヒロインとして立場を確立できる機会に恵まれていながら、あまり目立っていない気がするのだ。


 もちろんギルドの人数が増えたこともある。リョウの妹が強烈なこともある。

 だがしかし、このままでは終われない。


 なんとしても圧倒的ヒロイン力を見せつけなければ。


 カタラは意を決し、『鍛冶』を始める。

 日課の『鍛冶』を行っている間が一番頭が回るのだ。


 ……どうしよう。


 しかし目立とうと思って目立てるわけではない。ユイなら兎も角、それができていないからこそ今の状況があると言っていい。


 逆に、自分を見つめ返して目立たない理由を考えよう。


 金槌を振るって熱した金属を叩きながら、思考していく。


 一に、派手さがない。

 しかしこれはこの間開発したスキルによって多少改善されている。戦国武将イメージを炎として具現化させ、スタンドのように使うスキルを作った。ド派手かつ迫力あるスキルだ。


 二に、スキンシップが足りない。

 正直これはどうしようもない。しかしクノは割りと平然とやっていることでもある。ゲーム内の身体だからと言って男子に抱き着くのは難易度が高い。今度クノに心境を聞いてみよう。


 三に、ラブコメが足りない。

 ヒロイン力を見せつけるにはラブコメが必要だ(たぶん)。あのリョウがラブコメっている姿を想像できないが、兎も角ラブコメっぽいイベントを設けなければならない。ゲーム内でやることと言えば、戦闘と生産くらいでラブコメ要素が一切ない。なにか考えてみよう。バレンタインやクリスマスなら楽だが、今は夏休み真っ只中。海ぐらいしかないが、海はこの間のイベントで散々やった気がする。


 別に彼女になりたいだとかもっと親密な関係になりたいだとかは思っていない。自分がそうなることも想像できない。

 ただ今の「クーアの母親」や「リョウにスキルを創ってもらっている人」という印象を払拭し、自分という存在を刻みつけてやるのだ。……誰にとは言わないが。


 とはいえ。

 強烈な個性がなければ人々の記憶には残りにくい。しかしカタラは自分がその立ち位置にいるとは思っていなかった。

 急にキャラを追加するのも……周囲に困惑されそうだ。リョウの関わりが比較的少ないだけで、『ラグナスフィア』のメンバーは仲良くしている。女性プレイヤーは全体からすれば少ない方だが、このギルドには多くいるので精神的に楽だった。というよりも、女性プレイヤーがいるギルドに入った方が安心できるという思いもある。もちろんそれぞれ他の理由もあってギルドに入ったというのもあるのだが。


 ……どうしよう。


 色々考えてみたが、どうすればいいかなんて答えが出ない。とりあえず一つずつ試していくのがいいだろう。


 ……一先ず『鍛冶』を終えてから。


 集中するために行っていた刀造りを押し進めていくが、


「……」


 出来上がった刀を眺めて僅かに眉を寄せる。


「……イマイチ」


 ぼそりと一言感想を述べた。考えごとをしていたせいか、出来があまり良くない。やはり無心で造らなければいい刀は出来ないのか。心の迷いが刀に現れてしまっているようにも見えた。


 一回だけやり直そう。


 『鍛冶』に対しては妥協をしたくない。失敗することが悪いことだとは思わないが、失敗を失敗のままにするのは良くない。きちんと成功させて終わりたい。


「……」


 カタラは無言で素材を取り出すと、再度同じ刀の『鍛冶』を始めた。


 なお、こうして一日目が終わったのは言うまでもない。


 ◇◆◇◆◇◆


 二日目。


 昨日は結局『鍛冶』だけで終わってしまったので、今日は行動を起こそう。

 『鍛冶』中に考えていた策をいくつか実行しようと思っている。


 作戦その一。

 リョウに抱き着こう。


 クーアの我が儘で添い寝をすることはあるが、メインがクーアなのでできることでもある。正直に言って抱き着きが実行できるとは思わない。

 まずは抱き着きの先輩であるクノに尋ねてみる。


「……クノはスキンシップする時なに考えてるの?」


 テーアを抱いて寝かせる忍者プレイヤーに聞いた。


「……親愛の情。お母さんが、小さい頃感情を表に出せないなら行動で示せばいいって言ってたから」


 クノは小首を傾げつつも答えてくれる。

 なるほど。彼女はどうやら小さい頃にそう言われてから実行して、今に至るらしい。長年そうしてきたのだから自然とできるわけだ。


 つまり、気の持ちようということだった。


 要は外国人が出会った友人とハグするようなモノだ。


 そして、友人とでもあまりスキンシップをしないカタラにとってハードルが高いことには変わりない。


 しかし、得てしてそういう時は実行するまでに悩むのであって、実行してしまえばどうということはなくなるのだ。


 ……でもクーアは連れてこう。


 単に抱き着くだけでは気恥ずかしいので、クーアを使うことにしたのは仕方がない。


「……ん」


 さて。実行するのはいいが、タイミングをどうするか。できれば誰もいないタイミングがいい。だからと言って逃げ場がないのは困る。


 ということで、一階の共有スペースでの挑戦だ。……目撃されそうなのは言うまでもない。しかし寝室で抱き合うのは後が気まずいし、なにより珍しくリョウがソファに座っている。呼び出す、移動したタイミングを狙うよりか実行しやすかった。

 クーアの相手をしながら、リョウが一人になる瞬間を狙う。できれば少し席を外す、よりも外出するぐらいで離れてくれるといいのだが。


 ……こうして見ると周りに女の子が多い。


 『ラグナスフィア』に女性プレイヤーが多いとはいえ、尋ねてくるプレイヤーも女性が多い気がする。これらのメンバー内で確かな地位を確立するのは難しいだろう。

 ユイのように無二の存在であればまた別だろうが。


 ともあれようやくチャンスが巡ってくる。リョウと自分達以外に人がいない状況になった。リョウはといえば、ごそごそとなにやら小さいアクセサリーを作っている。相変わらず無駄のない手捌きだ。端から見ていると美しいとさえ思う動きだ。

 そして相変わらず器用さがおかしい。ステータスとしての器用さ以外に隠しパラメータでも持っているのではないかと思うほどだ。おそらくゲームシステム的な器用さとは異なったモノなのだろうとは思っているが。それこそ生まれ持った才能というヤツだと思う。


 ……今がチャンス。


 まうまう体操なる踊りのような体操をするクーアを抱き上げ、リョウを見据える。クーアから抗議の声が上がるも、頭を撫でて誤魔化した。

 リョウには聞こえないように、クーアにリョウへ跳びつくように言う。今日はいっぱい甘えていい日だと言ってあるので嬉々として跳びついてくれるはず……。


「……リョウ」


 クーアの小さな身体を抱えて、彼を呼ぶ。いきなり真正面に立つのもあれなので、名前を呼んでこちらを向かせるためだ。クーアの柔らかな足の踏み場を腕で作り、腹を押さえるようにもう片方の腕を回している。これでリョウがこちらを向いた瞬間にクーアがジャンプするので、それに乗じて抱き着いてみようという話だ。


「……カタラか。どうかしたのか――」


 リョウは普段と変わらぬ無表情でカタラを見上げてきた。その顔へと、クーアが跳びついた。ナイスな場所に跳びついてくれた。これで彼女がなにをしようと、リョウは視界を塞がれて見ることができなくなる。顔を見られなくて済むのは非常に有り難い。

 リョウは驚いているのか動きを止めていた。作戦実行には絶好の機会である。やるなら今しかない。


 意を決し、目を瞑ってリョウの身体へと半ば突進するように抱き着いた。


「……っ」


 必然、胸板に顔を寄せるような姿勢になる。背中へと腕を回して完全なるハグを行っていた。しかし同じ人間なのか疑わしくなる胸板に顔を埋めていると、頭が真っ白になってしまう。幼い頃は父親に抱かれたこともあるだろうが、改めてこんな状況になってみれば異性というモノを意識させられてしまって本来の目的などすっぽり抜け落ちてしまう。

 カタラも動かなければ、リョウも動かない。なにかがきっかけでカタラが我に返ればこの時間も終わるのだが――。


 がちゃり。


 と、そこで共有スペースのドアが開かれた。


「……っ!」


 びくっ、と本人でも驚くくらいにカタラの身体が跳ねる。


「「「え……?」」」


 入ってきたウィネ、リアナ、クノ&テーアは必然二人プラスクーアを目撃することになるのだが。


 ……見られた。


 人の目があるところでリョウに抱き着いているという事実が急激にカタラの体温を上げる。真っ白な頭に血が上り、余計になにも考えられなくなる。


 となれば、することは一つ。


「っ――――、っっっ!!」


 全力疾走である。


 言葉にならない叫びを上げて、脇目も振らずに個人の工房へと逃げ帰った。


「「「……」」」


 突然の出来事に、残された面々は唖然とするしかない。


「……りょう、いっぱいあそんで」


 ようやく顔に抱き着いていたクーアが動いた。頭の上によじ登り、リョウに要求する。


「……それはいいが、カタラはなにか言っていなかったか?」


 彼はクーアを頭上から抱き抱える形に変えて尋ねるが、こてんと小首を傾げるのみだった。


「……そういえば抱き着いた時なに考えてるかって聞かれた」

「じゃあ他に人のいないタイミングを狙った計画的行動ってこと?」

「思いついたとしてよく実行できますよね。私には絶対無理です」


 面々の頭の上には?マークが残った。


 こうしてカタラの作戦第一弾は、メンバーに混乱をもたらして終わるのだった。


 ◇◆◇◆◇◆


 それからというもの。


「今日は親子水入らずで遊びましょうか、あ・な・た」

「べ、別にリョウのことなんてなんとも思ってないから」

「マイ邪眼の力によって世界はエンドを迎えるだろう」


 などと挙動不審に走り始めるカタラ。

 正直現実で恋だの愛だの騒ぐタイプではないので、アニメからヒロイン的可愛さを研究、実行した結果ではあるのだが。

 終わった後で我に返るまで、いやゲーム内では『鍛冶』で平常心を取り戻す、ゲーム外ではベッドの上で悶絶するまでが一連の流れだった。


 まさに熱に浮かされた、と言ってもいい。


 普段なら絶対にやらないようなことを次々と実行していた。一度やってしまえば二度やろうが同じ。そんな持論は持ち合わせていなかったはずなのだが。

 無理に実行してきたせいかリアルに戻っても顔が熱い気がする。なんだか頭もぼーっとするし、やっぱりというかおかしい気がする。


 しかし今のままではヒロインになるどころか奇行に走る可哀想な娘で終わってしまう。


 考え事する時は『鍛冶』だ。そうと決まれば早速『鍛冶』りながら思案しよう。


 ――その日。

 個人工房に籠り切りのカタラが扉を閉め忘れ、オリジナルソングを口ずさみながら『鍛冶』に勤しむ姿が目撃された。

 虚しく響くオリジナルソングは、仮にタイトルをつけるとするなら『今日も工房で独り』だったそうな。


 しかしこれが決定的となり、連絡先を知っているプレイヤーがなにかあったのか探りを入れることになった。

 その中でも巧みな話術で欠片を引き出しカタラの症状を断定したユイによれば。


 ――カタラは“風邪”である。


 実際に熱を測ってみれば確かに、38度を超えていた。

 よって彼女は風邪を引き、変なテンションになってしまっていたと認知された。これが良かったのか悪かったのかは兎も角。

 文字通り熱に浮かされていたカタラは現在自宅療養中である。


 ……心細い。


 食う寝るゲームの生活から急にベッドで寝る生活へと変わったせいか、よりそう思う。

 それに両親は仕事の休みを使って旅行に行っている。一人娘を置いていくなんて、とは思うが断ったのは刀奈だった。ゲームしていたかったし、仕方がない。


 とはいえ家に誰もいないというのは寂しいものだ。風邪を引いている時は特に。

 普段なら平日だったとしても仕事帰りの母が買い物袋を抱えて戻ってくることもあるのだが、両親が帰ってくるのは三日後だ。


 迷惑をかけてしまうことはわかっていても、看病してもらえるというのは非常に有り難いことなのだと、今更になって実感する。

 以前ならゲーム仲間と通話でもしただろうが、今は大半がUCOに夢中だ。ログインしていれば通話することはできない。ログインしてもいいが、体調が悪い状態でのプレイは推奨されていない。折角の夏休み、できるだけ早く風邪を治して気持ち良く遊びたいものだ。


 優衣にメッセージアプリで相談してみる。


 夕方になってようやく既読がつき、ぽこんと吹き出し型のメッセージで返信が来た。


『じゃあ明日お見舞いに行ってあげよっか?』


 絵文字顔文字ありきだったが、要はそういうことだった。

 是非お願いしたい。誰でもいいから一緒にいて欲しい、話したいという欲求が燻っている。普段なら誰かと話さなくても気にはしないが、風邪だからだろうか。

 その後話を進め、なんと明日の朝に来てくれることになった。申し訳なさもあるが、嬉しさの方が大きい。とりあえず今日は早く寝て明日に備えよう。悪化させて移してしまうのも申し訳ない。なにより心細いのに会話もほとんどできず寝たきりでは勿体ない。


 頭が正常に働かないこともあって、とりあえず携帯を閉じて眠りに着いた。

 ……その後、優衣は『明日の朝にそっち行くねっ』と入力して既読がつかないことを確認してから、『お兄ちゃんが』とつけ加えたことなど知りもせずに。


 ◇◆◇◆◇◆


 翌朝。

 身体は重いままだが、きちんと朝まで眠れたようだ。まだ熱っぽいが、これなら見舞いに来てもらっても問題ないだろう。

 と考えて、時計を見やる。


 針が示している時刻は、十一時半。


 朝に、と言われていたような気はするが、とっくに過ぎている。どちらかというと昼前の時間帯だった。

 その時小さく、ピンポーンとチャイムを鳴らす音が聞こえた。


「……寝坊した」


 もしかしたら玄関前で待ちぼうけさせてしまっていたのかもしれない。申し訳なさと焦りで、ベッドから飛び起き二階にある自室から階段を下りて玄関へと駆けた。

 一瞬パジャマかつ髪も整えていない、だらしない姿を気にしようとしたが、どうせ女子同士だからと思い直して玄関の扉を開ける――。


「……え」


 扉の前に立っていた人物を目にして、刀奈は硬直した。

 未だゲーム内でしか会ったことがないのだが、かなり現実に近い容姿のアバターだったのか一目でわかる。


「……りょ、う?」


 掠れた声で尋ねた。


 目の前に立つ青年は頷いた。私服姿のため差異はあれど容姿がほぼそのままなので納得はできる。しかしなぜここにいるのかが理解できなかった。


「……優衣から聞いていないのか?」


 比較的わかりやすく目を白黒させていたからか、了は困惑する刀奈に尋ねる。


「……聞いてない、はず」


 少なくとも彼女の記憶にある限りではなかった。


「……そうか」


 了は頷くと、それきり黙ってしまう。おそらく思案中なのだろうが。

 この場にある選択肢は二つだ。帰すか上げるか。正直寝坊して待たせてしまったので帰すのは申し訳なさすぎるが、男子を両親のいない家に上げるのもどうかと思う。まぁ本人と優衣にしか知られていないと考えれば、意識しなければどうということもない気はする。バレなければ他の人にとってはなかったことも同然だ。

 ……もちろん、優衣が言い触らさなければの話だが。


「……あ、上がってく?」


 夏場の暑い時期に待たせてしまったこともあって、そのまま帰すのは忍びなかった、ということにしておこう。


「……いいのか?」


 刀奈が優衣から自分が来ると聞いていなかったことを考えたのか、念を押して確認してくる。


「……うん。暑い中待たせちゃったし」


 刀奈は言って扉を最大まで開けた。了はイメージ通りと言っては失礼かもしれないが、シンプルな服装をしている。黒い半ズボンに白い半袖、上に薄手の黒いチョッキを着ていた。よく見れば両手に買い物袋を下げている。スポーツドリンクなどが透けて見えるので、彼女のために買ってきてくれたのだろう。なおのこと申し訳ない。


「……悪いな」


 おそらく「うちの優衣が」と扉を開けたことに対してだろう。


「……ううん。待たせちゃってごめん。ちょっと寝坊して」


 了が玄関に入ってから扉を閉めて鍵をかけた。


「……ああ、それで」


 含みのある言い方だった。口数が少ないからこそ相手がなにを言いたいかを考え、推測して自分の身体を見下ろす。


「……っ」


 そこでようやく気づいた。

 暑いなと思って適当にボタンを開けた胸元に。扉を開ける都合上前屈みになっていたことを考えると、先程は控えめに言って大胆な見た目になっていたのではないだろうか。ティアーノみたいにボリュームがあるわけでもないが、薄いわけでもない。しかも寝る時につけない派だったのが災いした。というかパジャマだ。寝癖ついただらしない髪も相俟って、率直に言うと酷い。


 風邪ではない熱が昇ってきて、今更ながらに胸元のボタンを留めておく。


「……冷蔵庫借りていいか」

「……う、ん。左入ったリビングの奥にあるから」


 とはいえ了の声音は刀奈が知っているモノと変わりない。気づかなかったと安心するか、意識されていないと落ち込むか。精神衛生上良いのは前者である。


「……はぁ」


 しかし急に着替えたりするのも変に思われるかもしれない。だが風邪を引いて汗を掻くせいで汗臭かったりしないだろうか。

 異性を家に上げるという状況と、自分の状態を省みて急に不安が芽生えてくる。熱が上がりそうだ。


「……よく眠れたならいいが、食欲はあるか?」


 了はそんな彼女の心境を知ってか知らずか、別の話題を振ってくる。


「……うん、食べれそう」


 聞かれて一旦冷静になり、身体の調子を確かめた。空腹というわけではないが、食欲がないわけでもない。胃に優しいモノなら食べられるがずだ。


「……そうか」


 了は答えると、冷蔵庫を開けてスポーツドリンク数本を入れていく。続いておそらく米を掬っているであろうじゃらじゃらという音が聞こえた。


「……悪いから、いいよ」


 お粥でも作る気なのだろうと思い制止する。


「……そのために来たのだろう」


 簡潔な答えだったが、納得してしまった。元々看病してもらうつもりだったのだ。日頃から料理を手伝う優衣に作って欲しいところもあったのだが、これはこれでありかもしれない。


「……ありがと」


 これから了に看病されるのかと思うと期待と不安が沸き上がるが、折角の機会だからいい思いをしたい。


 了はなにも言わずに米を研ぎ始めた。しかしただ待っているのも居心地が悪いので、蒸し暑いリビングに冷房を点ける。部屋を見回して見られたら困るモノがないかを確認。問題なさそうだがせめて顔を洗って髪をとかすくらいはした方がいい気がする。


「……あっ、昼ご飯作ってもいいから」


 自分だけ食べるわけにもいかない。了自身の分も作っていいとだけ告げて、洗面所へ向かった。


「……酷い」


 鏡を見て、思わず呟いてしまった。

 ぼさぼさの黒い長髪と、額に貼ってある熱冷ましシート。いつもあまり変わらない表情も、今は熱のせいで若干上気している。よれよれのパジャマを着ていることもあって、物凄くだらしない女子が映っていた。

 今気づいたが、熱冷ましシートを貼りっ放しだ。恥ずかしい。こんな姿でよく人前に出られたものだと思う。しかも相手は異性だ。やらかしてしまった感が強い。


 自己嫌悪は置いておいて、すっかり温くなった熱冷ましシートを剥ぎ取り顔を洗う。

 起き抜けに了と会って動揺していた頭が少しずつ冷静になってきた。まずは体調を改めて探る。少し熱っぽいが昨日よりはマシになっていると思う。後で熱を測ってみよう。とはいえ油断はできない。あまり無理をして悪化させてしまっては元も子もない。

 とりあえずお湯を被って髪を濡らし、タオルで拭ってからドライヤーで乾かしておく。これでパジャマ姿以外は問題ないはずだ。


 リビングに戻ると、了が台所から近い椅子に座っていた。座るならテレビの前にあるソファの方がいいと思うのだが、調理中だからだろうか。

 換気扇の音の中に鍋を火にかける音が混じっていた。


「……まだ名乗ってなかったな」


 刀奈が了の向かいに腰かけると、彼が口を開く。


「……実加鐘了だ」


 思えば現実での名前も知らなかった。自己紹介し返すために背筋を正し、


「……刀奈。矢崎(やざき)刀奈。よろしく」


 簡単に名乗った。

 リョウと了と比べてみると、大した差はない。自分に至っては種族の違いによって肌が浅黒くなり、耳の尖り具合や髪色も変えている。

 彼は一目見ただけでリョウとバレてしまう気がした。


「……了……実加鐘君は」

「……了でいい。呼びにくいだろう」

「……ありがとう。了は、リアルバレとかしないの?」

「……今のところはないな。元々目立つ方ではないから、傍目から見たら目につくアバターではないのだと思うが」

「……でも了はリョウってすぐわかった」

「……それは普段から見慣れているからだろう。注目していなければ、俺が俺とわかることはないと思うが」


 どうやら了はあまり気にしていないようだ。おそらくリアルバレが発生するとしたら夏休みで人がいない、もしくは了自身が外に出ない今を越えて、休み明けからだろう。了の通学手段にもよってはくるのだが。


「……そう。でも気をつけて」

「……わかった。悪いな」


 その後は今ゲーム内ではどうなっているのかとか、お互いの高校がどこだとか、ゲームとリアルを問わず思いついた話題をぽつぽつと話し、調理に向かった後は体調を考えながらテレビを観て待機していた。

 女子は絶え間なく雑談している。そんなイメージがあるかもしれないが、刀奈はどちらかというと友人の会話を聞いているだけであって、話題を振る側ではない。なので今回のように話題を見つけようとするとやや難しかったが。


 料理を作り終える頃には12時を回っており、いい匂いが漂っていることもあって空腹になる、とまではいかなくても食べたいという気持ちは湧いてきた。

 了が作ってくれたのはお粥だ。風邪と言えばお粥、と連想するような一品だがもちろん我が家の味ではない。そのために材料を買ってから来たというのもあるのだろう。


「……いただきます」


 向かいの席に着いた了が静かに手を合わせてから食べ始める。向かいに並んだ料理は色彩、栄養のどちらを取ってもバランスが良く、適量を補給できそうな具合だった。

 刀奈も遅れて手を合わせ、しかし了の作った料理を眺める。


 ……料理、できるんだ。


 お粥くらいなら普段料理をしない刀奈でも作れる。面倒だからしないだけで。

 しかし名称を気にしていないような品を並べられると、これは女子として非常にマズいのでは、と思わされる。普段作らないと優衣から聞いていた了ですらこれなのだから、優衣が来て存分に腕を振るってくれた場合、どれほどダメージがあったかはわからない。

 最近は料理ができなくても良いという認識があるものの、とはいえ料理ができるという点に対してできない人よりもポイントが高いのは言うまでもない。両親のいない今だからこそやる気を出すべきではないのか。うん、明日から頑張ろう。


 土鍋に入ったお粥をお椀に移し、レンゲで掬って息を吹きかけ冷ましてから口に運んでみる。

 だしと卵、ネギ、加えて鳥ささみと思われる具材。シンプルではあるが美味しい。量も少なめで食欲のなさを気遣っていることがわかった。

 優しい味とはこういうモノを言うのだろうか、と適当なことを考えて食べているとあっという間に完食できた。作ってもらった料理を食欲のなさのせいで残してしまうのは申し訳ない。


「……美味しかった。ありがと」


 ご馳走様、と合掌してからとっくに食事を終えた了に礼を言う。


「……なら良かった」


 彼はそう言うと、席を立って空になった食器類を重ねて流しへ持っていく。刀奈の食べた皿なども持っていってくれたが、今日は甘えてもいい日ということにしておくので問題ない。

 これから夕飯までは特にやることもない、と思う。なので熱を測ったら自室で寝よう。一刻も早く治してUCOに復帰したい。


「……熱測ったら寝るから」


 了に一言告げてからリビングのソファーに座って熱を測る。熱を測るのに体温計を脇に挟む関係上、パジャマの前ボタンを外さなくてはならず、了に見られない位置で行う必要があった。


「……ああ。欲しいモノがあったら言ってくれ」


 最初こそまさかの訪問者だったために慌ててしまったが、なんだかんだで落ち着きを取り戻している。おそらく現実世界でも普段と変わらない態度だからだろう。それに、刀奈自身が了と一緒にいることを自然と受け入れているのもある。

 なにせゲーム内だけでなら一番付き合いが長いのだ。といっても一番仲がいいというわけではない。微妙な距離を保ちながらそれぞれの作業をしていることが多いのだが。……それはそれでどうなのだろう。


 無理をするのは良くない、と寝に入った刀奈だったが夕方になって急に熱が上がり始めた。案の定というヤツだ。息苦しくて起きてしまい、時間を確認すると十八時過ぎだった。

 苦しくて頭がぼーっとして、少しだけ誰か傍にいて欲しいと思ってしまう。


「……刀奈、起きてるか?」


 こんこん、とドアをノックする音が聞こえた。なんとタイミングのいいことだろう。

 了は刀奈が返事をしなかったため寝ていると思ったのか、ゆっくりとドアを開けた。


「……了」

「……起きていたのか」


 時間は夕方だがカーテンを閉じたままだったので暗い。若干夕焼け色をした暗がりに、了の無表情が見えた。


「……熱が上がったのか」


 了はベッドの傍に屈むと、刀奈の額に右手を当てた。


「……っ」


 何気ない動作だったが、熱冷ましシートを貼り忘れていた額には、平熱の彼の手が心地良く感じる。というか刀奈の思う男子の手はこれほどすべすべだっただろうか。指も細長くて正直羨ましい。ゲーム内なら肉刺までは再現されていない可能性はあるからわかるのだが、今いるここは現実だ。

 手、綺麗すぎないか。


「……熱いな。病院には行ったのだったか」

「……うん。熱出てから二日目ぐらいに。ただの風邪だって言ってたけど」

「……そうか。そろそろ夕飯の時間だが、食欲はあるか?」

「……ない」

「……わかった。とりあえず熱冷ましシートを取ってくる」


 了は言うと額から手を放して腰を上げる。


「……行っちゃ、やだ」


 自分でも驚くくらいにか細い声が出た。夏休みで友達と会うこともなく、両親も数日いない。それでも普段ならゲーム内で皆と会っていたから問題なかった。だからこそ来てもらったのだが、心細かった反動が出たのだろう。


「……すぐに戻ってくるから、待っていてくれ」


 了はそんな刀奈の心境を知ってか知らずか、普段より少し優しげに聞こえる声で言って刀奈の頭をそっと撫でる。うん、と小さく応えて了が部屋から立ち去るのを見送った。

 階段を駆け下りる音がドア越しに聞こえ、いつ戻ってくるのかと耳を澄ませる。しばらくしてややゆっくりな階段を上がる音が聞こえ始めて、廊下の板を軋しませる音が大きくなっていき、ドアをノックする音が聞こえてからドアが開く。


「……待たせて悪かった」


 了は左手にスポーツドリンクのペットボトルを持ち、右手でコップと熱冷ましシートを持っていた。

 時間にして二分ほどしか経っていない。充分早いと思うが、それでも今の刀奈は文句を言いたくなる。


「……遅い」

「……悪かった」


 そう言えば了が謝りながら頭を撫でてくれると思っての言動だったが、狙い通りに撫でてくれたので満足した。

 了は早速持ってきた熱冷ましシートの貼りつける部分にあるビニールを剥がし、右手で刀奈の額にかかった前髪を上げる。そのまま左手でシートを貼った。


「……冷たい」


 ひんやりとした感触でぼーっとしていた頭が少しマシになった気がする。


「……喉が渇いたら言ってくれていいからな」

「……今は大丈夫」

「……そうか。他にして欲しいことが言ってくれ」


 了に言われて、少し思案する。思いつくことをとりあえず口にしよう。


「……手、繋いで」


 布団の中から左手を差し出す。了は自分からして欲しいことがあったら言うように言った手前か、躊躇いなく手を握った。やはりすべすべだ。もし刀奈が鍛冶をリアルでもやり出したら確実に了の方が綺麗な手になりそうだった。

 自分から言い出してなんだが、手を繋いでいるという状況と熱で手汗を掻きそうな気がしてくる。しかし了は変わらぬ無表情で手を繋いでくれているので、気にしないことにしよう。


 起きたばかりであまり眠くない今、話題がないことが少し気まずい。

 そこで風邪で心が弱り了と二人きりという状況というのも合わさって、以前から不安に思っていたことを尋ねてみる。


「……了は、ギルド抜けたくない?」


 ずっと不安だった。

 結局のところ、カタラ達とギルドを創ったのはカタラがクーアという楔を作ってしまったからであり、リョウは本心ではギルドに入らずソロでやりたかったのではないか、と思っているのだ。


 最初に加入したクノ、ウィネの二人も事情を鑑みればそう考えていてもおかしくない。

 仮にリョウがギルドを辞めたいと言っても、無理矢理ギルドを創る状況にさせた張本人なのだから引き止める資格はないと思っていた。


「……辞める気はないが、どうしてだ?」


 しかし了は心から疑問に思っているかのように聞き返した。


「……クーアの時、私が手伝ったからギルドを創る羽目になったから。リョウはソロでプレイしたいと思ってたから、私のせいで縛られた」

「……ああ、そういえばそうだったな」


 まるで忘れていたかのような反応だ。刀奈はずっと悩んでいたというのに、空かされた気分になる。


「……確かに、俺はソロでやるつもりだった」


 刀奈の弱々しい独白に対して、一種の不安を的中させる返答だった。やっぱり、と沈む刀奈へ了は言葉を続ける。


「……だがそれは、普段から団体戦をするというか、徒党を組むというか、人のグループに属すことが少ないからだろう。俺は俺が多くの人に囲まれて過ごす様を、想像できなかった」


 だからこそのソロプレイ、のはずだったのだが。


「……だから今も現実感はない。皆と一緒にいることに違和感を覚えることはないが、不思議な感覚だ」


 了は少し遠い目をしているようだった。


「……それに今は、皆といることが楽しいと思っている。《ラグナ・スフィア》を創設して、今は良かったと思っている」

「……そっか」


 了の言葉を聞いて、刀奈は少し安心する。


「……元々縁があったらギルドに入ってもいいとは思っていたのだが、それはカタラがいたからだ」

「え?」


 思わぬ語りに驚いてしまう。ギルドを創る前にカタラがリョウになにをしたか、と聞かれれば簡単に答えられる。


 同じ場所で作業していた。


 たったそれだけのことである。しかも言葉を交わしたことも少なく、別に同じ作業をしていたわけではない。


「……な、なんで……?」


 正直なところカタラに心当たりはなかった。困惑だけが表に出てくる。


「……同じ工房にいた時よりも前に、擦れ違ったことがあったのだが」


 それはカタラも覚えている。「あ、同じ生産好きのプレイヤーかな」と思ったような気がする。後は「《銃士(ガンナー)》なんだ大変そう」というくらいだろうか。

 しかしその程度のことでギルドに対して前向きになれるだろうか。


「……その時に、俺以外にも似たような生産好きのプレイヤーがいたのかと思った。それも同タイプの、一人で作業することを楽しめるタイプの人が」


 確信を得たのは工房で作業しているところを見てからだが、と加える。


「……現実世界ではあまりそういった人に合うことはないからな。だからこそ、そういう人達の集まりになら身を置いてもいいかと思っていたのだ」


 実際に今のギルドがリョウやカタラのようなプレイヤーばかりではないのだが、協力も個人作業も両方楽しめるいい人達が集まっているとは思う。

 そして了の同類を現実で見かけないという点については刀奈も同意見だ。両親が刀を好きなので全くいないというわけではないが、親族を除いたら出会ったことがなかった。


「……これは推測でしかないが」


 了は彼の横顔を見上げていた刀奈へと視線を向ける。


「……他の誰かではなく、カタラと最初に会ったからギルドに入ってもいいと考えたと思う」

「……っ」


 真っ直ぐに目を見つめてそんな台詞を吐かれては困る。とても困る。不安や悩みが一気に自分の中で好転したせいだろうか、頬が緩みそうになって布団を深く被り、目を逸らす。

 控えめに言って口説かれた気分だった。熱以上に顔が熱を持っている気がする。


「……その後ユイに誘われて人と一緒に戦うことも悪くないと思えたのもあるか」


 などと了が言っていてもほとんど耳に入ってこなかった。


「……そ、そう」


 半ば上の空で答える。


「……ああ。とりあえず今日は寝ておくといい」


 了は躊躇いなく刀奈の頭を撫でる。そういう点から若干のお兄ちゃんっぽさを感じるのは、刀奈が実際の兄妹を知らないからだろうか。


「……熱が上がってないか?」


 了が少し心配そうな声音でそう言うも、流石に看病しに来てくれた人へ「あなたのせいです」とは言えない。それと風邪による熱ではないのですぐ下がるはずだ。


「……かもしれない。寝とく」


 とはいえ寝る意思を見せるいい機会だったので肯定し、目を閉じる。

 目を閉じると慣れたベッドと布団の感触が鮮明に感じ取れた。それに布団から手を出しているせいか、了の手の感触も強く感じる。


「……そうか」


 彼は刀奈の頭を撫で続けていた。寝かしつけようとしているようにも思う。

 異性が自室にいる状況下でも、すぐ傍に人の温もりがあるというのは今の心細かった刀奈を満たすには充分だった。


 そのおかげだろう、すぐに眠りにつけたのは。


 ◇◆◇◆◇◆◇◆


「……ごめん。泊まってもらっちゃって」


 翌朝。

 ある程度熱も下がった刀奈は、しかし昨日と同じパジャマ姿で頭を下げた。


「……気にしなくていい」


 了は変わらぬ無表情で応える。


 結局あの後、刀奈が眠ってから了も寝てしまい、起きたら深夜だったため泊まってもらったという経緯だった。

 朝食を済ませた後、刀奈の調子が良さそうなのもあってこれから帰宅という時である。


 買い物袋を持たない了は、一見手ぶらにも思える身軽さだ。お礼になにかあげられればいいのだが、今家にはろくなモノがなかった。

 というわけで、玄関で了を見送る形だ。玄関扉にある曇りガラスから明るい光が射し込んでいる。


 何事もなく終わる、そう思った次の瞬間に曇りガラスから射し込む光に影が走った。


「……あ」


 その影に見覚えがあった。

 紺の影が通りすぎた後、すぐにエンジン音が離れず近くで止まる。むしろ近づいているようにも聞こえた。


 間違いない、両親が帰ってきたのだ。


 ……ど、どうしよう……っ!


 刀奈の胸中に焦りが沸き上がってくる。どうすることもできないのだが、この「両親の居ぬ間に男を連れ込んだ」状況を見られたらマズい。その後の展開が予想できてしまうからこそマズかった。


 やがて車のエンジン音が止まり、ドアの開く音がする。この後両親がどんな行動に出るかは大体わかった。

 鍵を鍵穴に差し込む音がやけに大きく響き、がちゃりと玄関の鍵が開けられる。


「刀奈ーっ! お土産を買ってきたぞーっ!」


 そう。土産を刀奈に見せつけようと、真っ先にやってくる。煩いとか子供っぽいからやめて欲しいとか文句は色々出てくるが、はしゃぐ無邪気な父親の顔を見るとなにも言えなくなる。

 そんないつもの光景が、不意に――了を視界に入れたことで変わった。


 ……終わった。


 了を隠すとかそういった無駄な足掻きすらしなかった当然の結果と言える。


「……あら」


 一足遅く顔を出した母親の惚けた声がよく聞こえた。そして二人の視線がいつもの無表情で両親を眺める了と、青白い顔をした刀奈とを行き来する。

 そして。


 二人同時ににやりと笑った。


 目は刀奈を捉えている。その顔を見て、刀奈は悪い予感が当たったことを確信した。


「刀奈! まさかお前に彼氏がいたなんてお父さん知らなかったぞ! しかも家に連れ込む仲だなんて……寂しくもあるが、嬉しいぞ!」

「本当、良かったわ! 小さい頃は『ニホントウとケッコンする!』なんて言ってたから心配で心配で……。お母さん、安心したわ」

「全くだ! ちなみに籍はいつ入れるんだ? お父さんとして刀奈が高校を卒業するまでは待って欲しいんだが、どうだろう?」

「私もそう思うわ。でも刀奈がこんなに早く大人になるなんて……若いって、いいわね」

「「どうぞ、うちの娘をよろしくお願いします」」


 矢継ぎ早な会話の次は、綺麗に揃ったお辞儀をする。


「「……」」


 了はなにも言わない。呆然としているのか、失望されたのか。どちらにせよ刀奈の思い描く最悪の展開になった。

 血の気が引いた刀奈に、一気に血液が戻ってくる。平常を通り越して顔が真っ赤になり、込み上げてきた感情そのままを口にした。


「もう! 二人共やめて!」


 怒鳴った。普段の刀奈なら怒鳴るなんていう行為とはかけ離れた位置にいるのだが、今はそうも言ってられなかった。了が刀奈を向いて驚いているように見えるぐらいには、滅多にない大声だった。


 そして身内の恥を晒した両親を説教し、事情を説明する。二人が正座して縮こまるまできっちりと。


「……初めまして。実加鐘了と言います。刀奈さんとはゲームでの仲間です」


 一段落ついて、ようやく了が口を開いた。両親も落ち着き、刀奈の怒りも収まってからのことだ。

 四人は向かい合う形でリビングのテーブルを挟み座っている。


「いやいや。こちらこそ見苦しいところを見せてしまったね。すまない」

「ごめんなさいね。あの刀奈に彼氏が、って凄く盛り上がっちゃって」


 事情を聞いて誤解と知った二人は、申し訳なさそうな苦笑で謝罪を口にする。


「……いえ、気にしないでください。自分が予定になく家に上がってしまったせいでもありますから」


 了は別段失望などをしていないようだった。顔芸が得意ではなさそうで、刀奈と同じ表情の変わらないタイプだが間違いないだろう。それに少しほっとしつつ、


「……看病してくれた了に仇で返すような真似しないで」


 厳しい声を両親へ放る。彼を下の名前で呼んだことに「下の名前で呼ぶってことは脈ありなのかな」「まだそうとは言い切れないわ」などとひそひそ声で言い合う両親に厳しめなジト目を向けて黙らせた。


「ああそうだ。刀奈、お土産なんだがせっかくだから了君にも見ていってもらっていいか?」


 なにがせっかくだからなのかはわからないが、すぐ様同意した母親と合わせてなにやら有無を言わせない圧力を感じる。

 そもそも両親がやたら異性の話題に敏感なのは、刀奈のせいだ。色恋に興味がなく、刀鍛冶に生涯を捧げてもいいとさえ思っていたのだから当然だ。二人は幸せそうだし、娘にも同じ家庭を築く幸せを味わって欲しいのかもしれない。


「……別に、いいけど」


 といっても既に土産の片方は見えている。


「一つ目はもちろんこれ」


 父がテーブルの上に置いたのは、模造刀だった。矢崎家には模造刀がいくつかあり、金銭的余裕があった時は土産として買ってくることが多い。


「……模造刀ですか」

「ああ。我が家は皆刀好きだからね。模造刀をなん振りか持ってるんだ」

「了君、これが誰の刀かわかる?」


 要するに、これは両親が行った篩だ。刀の良さを共有できる人物かどうかの。そういうところが余計だというのだが。

 しかし、即答できる人はそうそういない。刀奈でもしばらく眺めていて「あっ、あれかな」と思うくらいだ。なにより刀だけを覚えている人はいない。しかも今回は歴史上の人物でないのが少し意地悪にも感じた。


「……ああ、『煌戦機体のツヴァイステ』のメインヒロインが持っている刀ですか?」


 さらり、となんということもない風に答えた。刀奈は両親の目が怪しく光ったのを見逃さない。

 そう。この模造刀は実在した刀ではなく、架空の刀だ。アニメ分野の知識がなければ、あってもキャラの武器の造形まで覚えているとは限らないのだが。了は見事、両親の篩に残ってみせた。……別に残らなくても良かった気がするが、あまり考えすぎないようにした方が精神衛生上いい気がしてきた。


「そう! そしてこっちのお土産も作品に関連した凄いモノだ!」


 刀の持ち主を見事に当てた了にテンションを上げつつ、父は脇に置いていたもう一つの土産をテーブルに載せる。そちらは見てわかるモノではなく、包装用紙に包まれた縦長の箱だった。

 三人の視線が箱に集中したことに満足した様子で、包装用紙を一気に剥がす。


「これが旅行先なのにネットで購入したフィギュアだ!」


 そこにあったのは、模造刀の元になった黒風璃(くろかざり)という銘の刀を振り被った少女だった。正に、エフェクトやポージングも合わせてアニメ『煌戦機体のツヴァイステ』のメインヒロインたる澄谷(すみや)桐音(きりね)そのモノだった。

 服装、そして刀奈達が重要視する刀の再現度たるや圧巻の一言に尽きる。キャラクターがメインのフィギュアとはいえ細部まで拘って造り抜いたその作品は、誰が見ても素晴らしい出来であるとしか言えないだろう。

 フィギュアに詳しくない刀奈であっても息を呑むほどの逸品だった。


「いやぁ、やっぱりryoさんの作品は凄いよ。売りに出されてからすぐに見つけられて良かった。もう一つも一緒に出てたんだけど、そっちの刀を納めた方は流石に無理だった」

「贅沢言っちゃダメよ。まぐれで一つ買えただけでも幸運だったと思わなきゃ」


 両親はにっこにこだ。それも当然だろう。発売日の予定も出さず今の競争率は異常なほどに高い“フィギュア職人”とも呼ばれる人物の作品だ。買えただけでも幸運、とはこのことだろう。


「特にryoさんは細かい部分の造形が素晴らしい。見てくれこの刀紋まで正確に再現された刀! なぁ、了君もそう思わないか!?」


 父は興奮気味に語る。――が、そこでふと違和感を覚えた。歯車が後少しで噛み合いそうで、少しズレているような感覚だ。


「……ああ、はい。ありがとうございます」


 珍しく若干声に戸惑いが乗った了の言葉を聞いて、その微妙なズレに両親が笑顔のまま固まった。


「……え、っと……?」


 完全に困惑した様子の父の袖を、なにかに気づいた様子の母が引く。

 母はなにかを訴えるように、視線をフィギュアと了で行き来させる。そのアイコンタクトで通じ合えるのは長年連れ添う夫婦だからなのか。段々と父の顔に理解が広がっていく……驚愕という形で。

 途端に父が見てわかるほどに汗を掻き始めた。そしてしどろもどろと言っていい挙動で彼に尋ねる。


「……りょ、了君……?」


 まずは了を手で差して。当然のように了は頷いた。


「……りょ、ryoさん……?」


 次にぎぎぎというぎこちない音がしそうな動きで手をフィギュアへ向けて。やや間があって了は頷いた。


「「「……っ!」」」


 頭から冷や水を浴びせられる衝撃、とはこういうことを言うのだろうか。いや、今の場合は逆に火に油を注ぐ衝撃ではあったが。


「「……お見逸れしました」」


 両親は揃って椅子から立ち上がり床に正座をして頭を下げた。所謂土下座というヤツだ。


「二人共!」


 声を荒げる刀奈だったが、頭を上げた二人の真剣な表情に続く言葉が見つからない。


「……いや、本当にすまなかったと思ってるんだ。まさかあの天才フィギュア作成者ryoさんが了君だったとは……。いやはや、刀奈に相応しい男かどうか確かめるなんて無礼なことをしてしまった」

「……つまらない娘ですが、どうぞお待ちください」


 冗談のようなことを、割と本気で言っているようだから性質が悪い。


「……いえ。親が娘を心配して、近い男を査定するのは仕方のないことです。第一、自分が嘘をついている可能性もあるでしょう」

「それこそつまらない冗談だよ。まだ会って間もないけど、了君がそんな嘘を言う子には見えないからね。なにより娘と親しい子だ、信じないわけがないだろう?」


 立ち上がって落ち着いた笑顔を見せる父は、確かに親の顔をしていた。……暴走さえせずいつもこの調子なら娘としても落ち着いていられるのだが。


「……ゲーム内で作ったフィギュア見たことあるから、間違いないと思うけど」


 あれはネプチューンだったか。確かクーアのフィギュアもプレゼントしていたはずだ。しかもゲーム内の器用さを見ているからか衝撃的事実であっても納得いかないということはない。リョウなら納得、という風に落ち着いた。腑に落ちたと言うのだろうか。


「是非うちの婿に来てください」

「お母さんやめて」


 間髪入れずにツッコんでしまった。これ以上醜態を晒さないで欲しい。いつ了に呆れられるかわからないのだ。


「いやぁ、でも本当に驚いたよ。凄いもんだね、まだ若いのにこれほどの作品を作るとは……」


 父は笑ってしげしげとフィギュアを眺める。確かに、刀奈と同い年とは思えない出来栄えだ。


「……確かに年上と言われても納得できるけど」

「……お、同い年なのか?」


 父のまた驚いた顔に二人して頷く。


「…………うん。了君が凄いのは充分に伝わった。なぁ、母さん」

「ええ、本当に。刀奈、頑張るのよ」

「父さん達は刀奈の味方だぞ」


 この両親は。

 ただ呆れてツッコむ気にもならなくなってくる。


「それでその、もし差し支えなければ、なんだけど。フィギュア作ってるところを見せて欲しい、なぁ、なんて」


 父の媚びた笑顔を初めて見た気がする。手を擦り合わせて姿勢を低くする姿まで思い浮かべてしまったほどだ。

 とはいえ、それも仕方のないことなのかもしれない。なにせあのデザイン、造形、塗色、それぞれの分野の天才が集まったのではないかと噂されるほどのフィギュア作成技術を持つ人物だ。本音を言えば刀奈だって見てみたい。


「……構いませんよ。道具一式を持ってくる必要があるので簡単に都合を合わせられるかはわかりませんが」


 それに対して了の答えは非常にあっさりしたモノだった。技術を目で盗まれるという心配は一切していないようだ。どうせ了のことだから了にしかできない方法で作成しているのだろう、と勝手に納得できてしまうくらいには慣れていた。


「ありがとう!」


 両親はそれぞれ了の手を両手で握って感動していた。


 そんなこんなで色々とあった了の見舞いだったが、引き留めすぎるのも悪いのでせめてと昼食を一緒に食べてから見送った。

 二日で色々ありすぎたように思うが、刀奈としては了に来てもらえて良かったと思えた二日間だ。風邪を引く前にあれだけ悩んでいた心がすっかり晴れているのだから当然か。昨夜の熱でぼーっとした頭でも、了の言葉はしっかりと記憶に残っている。おかげでカタラの立ち位置が見えた気がするのだ。


 だから今日もしっかり休んで明日からUCOに復帰しよう。そしてギルドの皆に元気な姿を見せてあげたい。心配をかけてしまっているだろうから。


 刀奈はそう思うと自然と顔が綻ぶのを止められない。数日ログインできなかったこともあり、当たり前になりかけていた日々が凄く楽しみになっていたのだった。


 ◆◇◆◇◆◇


 《ラグナスフィア》ギルドホーム内にある工房スペースの一角。


 そこでは黒い蠍の尾を生やした青年が黙々と作業を行っていた。ゴム弾の素材となる液体に様々な素材を混ぜることで上位の、より跳弾によって強力な一撃を叩き込む弾を作れないかという実験だ。


 コンロに火をかけて鍋の中に入った液体を木の棒で掻き混ぜている、その胡坐を掻いて座った背中を見ながら近づいてくる足音があった。


「……」


 しかし足音の主は挨拶もせず青年の右側に座り、ごそごそと自分の使う道具や素材を取り出していく。


「……もう風邪はいいのか?」


 リョウは鍋から目を離さず隣に座ったカタラへと問いかけた。


「……うん。もう治った。ありがと」


 簡素な答えだったが、その声音は以前よりも幾分か柔らかくなったように聞こえる。


「……そうか」


 対するリョウも多くは語らない。

 互いに作業をしていれば、こんなモノだ。会話という会話はあまりなく、雑談もあまりしない。


 だからこそカタラはあれほど悩んでいたのだが。


 しかし今は違った。


 というのも、この他の人にとっては気まずい沈黙でしかない空気も楽しめる心の余裕ができたからだ。なにより思い返せばこうなるのはカタラがいる時だけなので、そう考えれば特権とも言えなくもない。

 ともあれ。

 自分とリョウは、これでいいと思えたのだ。


 いつかの初心者用工房にいた頃と同じように、別々の作業をして横に座っている。

 しかし彼我の距離はあの頃の十メートルほどというくらい離れてはおらず、むしろ三十センチほどと考えれば近いくらいだった。


 互いに横にいる同類の気配を感じながら、されど必要がなければ話しかけることはない。

 それでも相手の気持ちがわかるように感じるのだから、不思議なモノだった。

たまにはこういう話も書こうかな、と思ったものの一つです。


次話は番外編になるか、そのまま進めるかです。

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