(52)交渉
「妾が、ムンフ・アルトゥだ。そなたのことは承知している。ヒューマル軍の若き英雄よ」
玉座のような司令官席に座り、長い足を組みながら自己紹介をすると、ヒューマル族の少年――のように見える男は、わおっと、感嘆の声を上げた。
アルトゥの軍服は特注品である。メリハリのあるボディラインに吸いつくような黒色の布地で、丈長のスカートにはスリットが入り、胸元の部分が大きく開いている。
年頃の青少年であれば思わず目がいきそうなものだが、常に平伏される立場であるアルトゥは、その不躾な視線に奇妙な違和感を覚えるだけだった。
んんっと、画面外から可愛らしい咳払いが聞こえて、サダム・コウロギはぎくりとしたように表情を取り繕った。
『いやぁ。今回は、“交渉”に挑戦しようと思いまして』
ムンフ・アルトゥは訝しく思った。
相手の所属と階級のことである。
今回の戦いの前、サダム・コウロギは少将――いち艦隊長の身に過ぎなかったはず。
中将かつ要塞司令官代理とはどういうことか。
混乱に乗じて下克上でも起こしたのか、それともマスオ・マスイという名の、軍人としてはまるで実績がないはずの不可解な責任者が、突然病気にでもかかって、無理やり押しつけられでもしたのか。
いや、おそらく偽称なのだろうと、アルトゥは推測した。
権限のない者とは交渉などできないし、中性子星が荒れ狂うこの宙域では確認のしようがない。
詐欺に近いが、上手いやり方ではある。
しかし、子供のように無邪気な顔に似合わず、なんと冷徹な戦術家であろうか。
このヒューマル軍の英雄は、ひとり盤面から外れた位置にいて、戦況を俯瞰しつつ機会を窺っていたのだ。
たとえば、自分が短距離ワープを行い、無防備になる瞬間を。
味方の艦隊が全滅の危機に陥っていたというのに、見殺しにして――
「そなた、知らぬのか? 我らデモリア軍は、戦場において交渉などはせぬ」
通信に応じたのは、ただひとつ確認したいことがあったからだ。
『まあまあ、いいじゃないですか、お姉さん。何事も経験です。きっと損はさせませんから。ね?』
デモリアの叡智と称えられている自分に対して、やけに気安い。そして強引な話の進め方は、あのいけすかないマシナリー族を思わせた。
それにしても、頭に銃を突きつけておいて交渉とはよく言ったものだ。
仮に今ここで、自分が百八十度回頭の命令を出したならば、背後にいるヒューマル軍第九十九艦隊は、波動粒子砲と呼ばれる強力なレーザー兵器を一斉に撃ち放つだろう。
旗艦の位置は知られており、避ける術はない。
相手の要求は見え透いていた。
この宙域における即時停戦、およびデモリア軍の完全撤退だろう。
交換条件は、自分の命というわけか。
『それでは紹介しましょう。じゃじゃーん!』
どんと、何者かに押し出されるようにして画面に入ってきたのは、奇妙なデモリア族の男だった。
顔は分からない。GRDC――ギャラクシー・レイン・デリバリー・カーテルのロゴが入った段ボール箱を頭から被っていたからだ。目の位置には穴が空いており、上部からは見慣れた二本の角が突き出ている。
次に、白い毛並みを持つアニマ族の少女がやってきて、冷徹な口調で命令した。
『お座り』
段ボール箱の男がふんぞり返るような態度で無視すると、アニマ族の少女がにこりと微笑んだ。
次の瞬間、画面が激しく乱れて――
『うげごっ!』
再び映った時には、段ボールの男が腹を押さえながら蹲っていた。
画面左側から、にこにこしているヒューマル族の若き英雄、苦しそうに呻いているデモリア族の男、そしてすまし顔のアニマ族の少女。
あまりにも奇妙な絵面に、一瞬、呆気にとられてしまったムンフ・アルトゥだったが、
「……貴様。そこで、何をしている」
底冷えするような声で問いかけると、段ボールの男が、びくりと硬直した。
顔を隠したところで角が丸見えである。
デモリア族にとって、角はアイデンティティであり、個性の象徴でもある。見間違えるわけがなかった。
ムンフ・ダェン――軍人として将来を嘱望されていたはずの弟だ。
この瞬間、アルトゥが思い描いていた未来予想図は、粉々に砕け散った。
ここで自分が死んでも、問題はない。
別の戦場にはダェンがいる。参謀役にはツェベクもつけている。あのふたりであれば、残存艦隊を取りまとめて、自分に対する復讐と戦略的成功を同時に成し遂げてくれるに違いない。
そう、考えていたのに。
同時に、この通信に応じることになった理由――何故、ヒューマル軍が、デモリア族の王族専用回線を使ってアクセスしてきたのかという疑問も解消された。
それは、別働隊を任せていたはずの弟が捕虜となり、こともあろうに生き恥を晒していたからであった。
『まあまあ、お姉さん。このひとは、客人としてうちにお招きしたんですよ』
そう言ってサダム・コウロギは、段ボールの男の肩をぽんと叩いた。どういうつもりか、愚かな弟の身分を隠したまま話を続けたいらしい。
『ほらダェン君――じゃない、段ボールのひと。お姉さんに事情を説明してあげて』
『うっ』
おそらく箱の下で羞恥を噛み締めながら、男はしどろもどろに言い訳をした。
『わ、私とて、デモリア軍人の端くれ。命が惜しくてこの場にいるわけではありません。こ、これだけは是非とも信じていただきたい。本来であれば、意識を取り戻した時に舌を噛み切って意地を見せるところでしたが、その――』
隣に座っていたアニマ族の少女がにこりと微笑むと、再び画面が激しく乱れて、
『ザザッ――わ、分かった。た、端的に話す。実は、姉――いえ、あなたに戦況をお伝えするために、私は愚かにも生きながらえております』
ぜいぜいと荒い息をつきながら、段ボールの男はこう告げた。
別働隊は、すでに破れ去ったと。
「……なんだと?」
ムンフ・アルトゥにとって、それは信じ難い事実だった。
『誰ですか?』
出来の悪い生徒に答えを促す教師のように、アニマ族の少女が問いかけた。
『お前の艦隊を、まるで赤子の手を捻るがごとく鮮やかに打ち破ってみせた銀河最高の英雄は、いったい誰ですか?』
『そ、そんなこと誰が――ザザッ――わ、分かった、言う。そこにいる、サダム・コウロギのやつ――ザザザッ――角はやめよ、折れ――ザザザザッ――はぁ、はぁ』
画面が乱れ復活するたびに、段ボール箱がぼろぼろになっていく。
『サダム・コウロギ……中将閣下、です』
『全滅したのは、お前の艦隊だけですか?』
『ほ、他の艦隊も、全滅しました。別働隊四個艦隊すべて――』
『誰ですか?』
『うっ』
再び、アニマ族の少女は問いかけた。
『神の如き御技を行使して、そんな奇跡を成し遂げた宇宙最高の英雄は、いったい誰ですか?』
『サダム・コウロギ中将閣下、です!』
事前の情報によれば、サダム・コウロギ率いる第九十九艦隊は、三千五百隻ていど。千二百隻の大隊六個にて構成されているデモリア軍の艦隊、六大隊の半数以下だったはず。
まさか、約三万隻もの別働隊四個艦隊を、わずか半個艦隊で打ち破ったとでもいうのか。
いかに地の利があるとはいえ、そんな芸当は、たとえ英雄であろうとも不可能に近い。
この場にダェンがおらず、サダムの口から聞いたのであれば、アルトゥは一笑に付したことだろう。
だが、脅されてはいるが洗脳された様子のないダェンが報告するのであれば、情報の確度は高いと言わざるを得なかった。
『と、いうわけなんですよ、お姉さん』
得意げな少年の顔を瞳に写しながら、アルトゥは頭の中の未来予想図を、高速で描き換えていた。
別働隊が全滅したということは、今回の戦略の要ともいえる工作部隊を失ったということだ。
もし仮に、ここで自分の命が失われたなら。
王族であるダェンはいない。比較的慎重かつ温厚な性格であった上級魔士たち――モゴェ・ハドゥやウール・ヒーなどは、重要な役割を担う別働隊に配置していた。
何よりも、引退間際で能力は衰えたとはいえ、自分を除けば唯一の現役の英雄、ツェベクを失ったのは大きかった。
復讐心にのまれた血気盛んな部下たちは暴走するだろう。マスラオを粉砕した後、ヒューマル軍の本星に向かうかもしれない。
この隙を、緩衝地帯でよからぬ策謀を企てていたアニマ族の“獣王”ライオカンプが見逃すだろうか。
否、である。
ここでサダムの要望を受け入れ――たふりをして、マスラオへ進軍するという手もないわけではないが、当初の戦略目的を達成できる可能性は不明であり、リスクも残る。何よりも、王族であり英雄であるという彼女の矜持と誇りが、姑息な手段を許容することができなかった。
つまり、自分は生きたまま艦隊を連れ帰るしかないということか。
その事実を、アルトゥは受け入れた。
「よかろう」
『え?』
「だが、少し時間をもらえぬか?」
『時間、ですか?』
サダムは訝しそうに首を傾げた。
「ああ。何しろこれだけ大きな決断だ。いかに妾といえども、すぐには決められぬ。茶でも飲みながら少し考えねばな」
『はぁ、まあ。家族の大事ですしね。あ、シロ。わるいけどワサビ茶、入れてくれる?』
『かしこまりました』
「ちっ」
はっきりと、アルトゥは舌打ちした。
今この瞬間も戦いは続いている。包囲殲滅状態にあるヒューマル軍の軍人たちが、ひとりまたひとりと命を散らしている状態で、あえて決断する時間を要求したのは、せめてもの嫌がらせだった。
まさか、涼しい顔をしてお茶を出させるとは。
これでは、こちらの決断の遅さと相手の豪胆さだけが際立ってしまう。
神ならぬムンフ・アルトゥのあずかり知らないところであったが、この時、デモリア軍の攻撃は停止していた。
副官であるホルホェより状況が伝えられ、このまま攻撃を続けた場合、アルトゥを失うと気づいたデモリア軍の上級魔士たちが、一斉に、自主的に攻撃を中止し、後退したためである。
一方のヒューマル軍は、突然攻撃が止まったことに戸惑い、身を寄せ合うように固まったまま周囲を警戒するばかりであった。
交渉の場にいた四人の中で唯一この状況を理解していたのは、電脳制御へアクセスができるシロのみ。
だが彼女が、敬愛する主人の思考を邪魔することはなかった。当然のことながらサダムは現状を想定しており、この交渉によって味方を鮮やかに救い出すと決めつけていたからである。
しかしサダムは、何も想定していなかった。
実のところ彼は、味方の窮地を救うために駆けつけたわけではなく。
『あ、姉上っ! この艦隊と正面から戦っては――』
突然、段ボールの男が何かを伝えようと叫んだが、すぐさま画面外から白い影が飛んできて、角と角の間に手刀を叩き込む――その直前に、画面が激しく乱れノイズが走った。
今回はかなり長い。
再び画面が回復した時にはサダムしかおらず、やや頬を引きつらせながら、画面の外を眺めていた。
やがて、何食わぬ顔でアニマ族の少女が戻ってきた。
『艦長、お待たせしました。ワサビ茶です』
『お、おう。死んでない?』
『死んではいません』
ちびりとお茶に口をつけた少年が、何ともいえない表情を作ったところで、
「もう、よい」
ため息とともに、ムンフ・アルトゥは諦めた。
この交渉を成功させる可能性は、ほぼゼロに等しかった。
まずは、わずか半個艦隊で別働隊四個艦隊を全滅させ、王族専用の回線を持つダェンを確保する。
愚弟の様子から察するに、第九十九艦隊が別働隊を打ち倒した戦術を伝えるために、生きながらえたのだろう。
だが、それこそが罠であった。
釣り上げた魚とはいえ、餌がなければ泳がせることはできない。ダェンが専用回線を使うことはなかったはず。
つまりサダムは、ダェンの意思をコントロールし、まんまと協力者に仕立て上げたのである。
その後サダムは、機会を窺った。
古くからある格言通り、先に“ワープ戦術”を繰り出したアルトゥ艦隊の背後をとることで、第九十九艦隊は艦隊戦における実質的な勝利を収めた。
そして、王族専用回線を使い、自分を交渉の場に誘い出した。
今思えば、最初にばら撒かれた意味不明な宇宙花火も、自分を逆上させ、判断力を失わせるための演出だったのだろう。
あとは自然の成り行きに任せるだけでよい。ダェンに別働隊の顛末を報告させることによって、情報の信頼性を確保した上で、自分に戦闘継続の無意味さを理解させ、デモリア軍を撤退させる。
ありえない!
高難易度かつ複雑極まりないこの工程の、どれかひとつでも失敗していれば、ヒューマル軍は全滅していたはずだ。
もはや戦略家などという枠に収まる話などではない。先ほどのアニマ族の少女の言ではないが、まさに神業――神算鬼謀の策略家と呼ぶに相応しい所業であった。
この時アルトゥは、自分でも整理のつかない感情に戸惑っていた。
胸の奥が、もやもやする。奥歯を噛み締め、子供のように足を踏み鳴らしたい。
アルトゥは気づいた。
そうか、悔しいのだ。
十年という歳月をかけて準備した今回の作戦が、ぽっと出の、自分よりも若い他種族の男に台無しにされて、自分は今、叫び出したくなるほど悔しいのだと。
だが同時に、かつて経験したことのない高揚感に包まれてもいた。
初めて、自分と同格と思える敵が、ここにいる。
サダム・コウロギ。
次に戦場で会った時には、必ず。
どのような戦術があろうと関係ない。
反撃すら許さず、完膚なきまでに、叩きのめす!
「速やかに戦闘を中止させよう。この星域を出たのち、別働隊の状況を確認した上で、我が軍は撤退を開始する。これでよいか?」
『……え〜と』
サダムは不審そうな顔になり、アニマ族の少女の方を見た。
少女は琥珀色の瞳を潤ませ、恍惚とした表情を浮かべながら、こくこくと頷いた。
『じゃあ、まあ? そういうことで』
「了解した」
『では次に』
ようやく出番が来たという感じで、サダムは話を切り出した。
『本題である、ダェン君の今後の件ですが――』
◇
のちに“シュラ大戦”と呼ばれる、ヒューマル軍にとって絶体絶命の危機に追い込まれた戦いは、こうして終わりを告げた。
参戦した双方の兵力は、
デモリア軍、三十五個艦隊、約二十四万五千隻に対し、
ヒューマル軍、十二個艦隊、約七万五千隻。
完全破壊、あるいは行方不明となった艦艇数は、
デモリア軍、三万八千六百隻に対し、
ヒューマル軍、四万一千五百隻。
被害状況はほぼ互角だが、双方の兵力差と戦略的目的を考えれば、明らかにデモリア軍の敗戦と言えるだろう。
この戦いで、サダム・コウロギの名は銀河中に轟くことになった。
民族滅亡の危機を救ったということもあるが、“デモリアの叡智”と呼ばれ畏怖されていた天才戦略家、ムンフ・アルトゥを破ったことが、大きな要因となった。
サダムが得たのは、名声だけではない。
この戦いでサダム・コウロギが稼いだ戦果値は、天文学的数字となった。
まずは、第九十九艦隊長としての成果だが、彼は自軍に八倍するデモリア軍の別働隊四個艦隊と短期間で連戦し、壊滅せしめた。このような実績は過去に例がない。この一連の勝利が軍事要塞マスラオの防衛に対し、多大なる貢献をしたことは明らかであった。
それに加え、要塞司令官代理としての功績もある。エルフィン族領内への無謀な出兵からデモリア軍の侵略を呼び込んだことに関しては、マスオ・マスイ元帥の責任であり、絶体絶命の状況から要塞司令官を引き継ぎ、デモリア軍の総司令官ムンフ・アルトゥと交渉を行うことで、要塞駐留艦隊の全滅を回避するとともに軍事要塞マスラオを死守したサダムの手腕は、大いに評価されるべきであった。
将官の人事に関しては、自動査定システムが弾き出す数値だけでは決められない。だが、人事部によるバランス調整など、もはや意味をなさなかった。
サダム・コウロギ中将は二階級特進し、ヒューマル軍における最高位――元帥に昇進することが決定した。
それは、彼が駆逐艦ユウナギの中で目覚めてから、わずか四ヶ月後のことであった。




