二十.
静かな、しかし重みのあるその言葉が紡がれた瞬間――場の空気が、大きく揺れた。
ほぼ同時に、敷島と八島が地を蹴る。
「っしゃあ! ブッちぎるぜ!」
「チェストォオオオ―――ッ!」
咆哮を闇に轟かせつつ、二人の姿は一気に裏路地の闇に飲み込まれた。しかし直後、無数の妖魔の悲鳴がかすかに聞こえた。
初瀬は小さくため息をつきながら、ぱんっと手を叩いた。
「おいで、私の可愛い子」
初瀬の足下で影が渦を巻いた。墨を流したように路面に広がったそれから、大鎌のような鉤爪を備えた獣の腕が伸びてくる。
むっとした水の香りとともに、先ほど見た化物じみた黒犬がのそりと現われた。
初瀬はその鼻面をそっと撫でながら、三笠を見た。
「ねぇ三笠。可愛い姉からのおねだり、聞いてくれる?」
「無茶をするな、という要望は聞けないな。無茶をしないと倒せん相手だ」
三笠はやや苦笑して首を振る。
その言葉に呆れたようにため息をつき、初瀬は左目の眼帯を押さえた。
「ほんと、いけない子。大怪我したら怒るから――さぁ、駆けなさい」
初瀬はひらりと身を翻し、黒犬の背に飛び乗った。その瞬間、黒犬は断末魔の絶叫を思わせる恐ろしい咆哮を上げ、敷島達の行った方向に向かって駆け出す。
スワロフが三笠にちらっと視線を向けた。
「それで、これからどうする?」
「ともかく走ろう。全力で皇国電波塔に向かう」
「待ちな。背に腹は変えられないわ、ここは一つ手頃な自動車を襲っ――」
甲高いブレーキの音が辺りに響き渡った。
ライトの光が闇を裂き、黒塗りの自動車が一台曲がり角から現われた。それは派手に横滑りしつつ、三笠達の前に止まる。
朝日は一瞬口をつぐんだが、すぐにバキッと片手の骨を鳴らした。
「……ちょうどいいわ。こいつをキープしましょう」
「ま、待て姉さん!」
「そもそもこの車は一体――」
スワロフがいぶかしげな顔で、自動車に慎重に近づいた。しかし運転席のドアが開くと、一気に後退してサーベルに手を伸ばす。
現われた運転手に、三笠は大きく目を見開く。
「お前…・…」
しかしすぐに、その表情は引き締まった。
「……乗せてくれるな?」




