十六.
敷島は大きく肩を上下させつつ、ぎろっと彼女を見上げる。
「はぁ、おれ見た途端に逃げやがって……はぁ! それより聞け! アレクサンドルが意識を取り戻してな、とんでもねぇ事抜かしやがった」
「サーシャが、意識を?」
スワロフは青い瞳をやや見張り、敷島に問い返す。
敷島はふっと息を吐くと、体勢を直した。
「おう。過労の影響で人外細胞の働きが弱ってただけでな、知り合いが処置したらすぐに回復したよ。そんで――河内の事、なんだが」
「その辺りの事情はまるっと知ってるわ、おばかさん」
朝日が肩をすくめる。
敷島はぎょっとしたように目を見開き、たった今気づいた様子で朝日を振り返った。
「お、おま……朝日か?」
「それ以外の誰に見えるわけ?」
つんと顎をそらす朝日に対し、敷島の顔がカッと赤くなった。
「お、お前! どこで何してやがった! 超心配したんだぞ」
「うっさいわね、あたしが何やろうとあたしの勝手じゃない」
朝日はぶすっとした顔でそっぽを向く。
「朝日姉さん、さすがに……」
さすがに言い過ぎではなかろうか。朝日をたしなめようと、三笠は口を開く。
しかし初瀬がそれを手で制した。
「そっとしておきなさい」
「だが……」
三笠が見下ろすと、初瀬は小さく肩をすくめる。
その間も、敷島と朝日はがみがみと言い合っていた。
「――いちいち首を突っ込まないで! こっちだって考えてやってるの!」
「うっせー! なんでも自分で背負い込みやがって! たまにはおれを頼れってんだ!」
最終的に取っ組み合いの喧嘩が始まってしまった。
乱闘をよそに、初瀬が何歩か前に進む。
「――この霊気の乱れは、前から話に出ていた万魔の剣の影響ね。河内が剣の力を使って、何か大きな妖魔を呼び出そうとしているみたいね」
「だが今は【大襲来】後だ。そんな巨大な妖魔を呼べるはずがない」
八島が訝しげな顔で空を見上げる。
【大襲来】の後は地上の霊気が安定し、強大な力を持つ妖魔は現れなくなる。それは数多の史書や史跡が語る、自然の仕組みだったはず。
「いいえ、八島。それは普通の時の話よ。……朝日姉は、わかるでしょう?」
「――チッ、まったく……」
初瀬が水を向けると、敷島と掴み合っていた朝日は小さく舌打ちをする。
朝日は敷島の手を振り払い、空を見上げた。
「……【大襲来】後は小粒の妖魔しか出なくなる。それは間違いなく正解」
「なら、アイツが万魔の剣とかいうもんを使ったところで――」
「けれども!」
敷島の言葉をかき消し、朝日は声を張り上げた。
「けれども今は――六十年目の今は、その前提が崩れ去る」
「ろく、じゅうねん……?」
その言葉を聞いた瞬間、脳内で歯車が噛み合った。
しかし三笠がその名を口にするより早く、八島が低い声で唸るように言った。
「アマツキツネ……!」
「ご名答! 今宵はあのバカでかい霊獣が最接近する夜! 奴は今晩零時までにこの星の土手っ腹をかすめてく! サイッコーだわ! なんてクソッタレな日!」
朝日は髪をかきむしり、ブーツのヒールで地面をかんかんと叩いた。




