十.
「私は河内に連れられてここに来たんだ。朝日姉さんがここにいると聞いて」
「は……?」
髪をいじる手を止め、朝日は目を大きく見開いた。直後、頭を抱えた。
「バカじゃないの!? それじゃどうにもならないじゃないの! やっとここから出られると思ったのに、よりによって河内だなんて――!」
「どうしたんだ?」
言いながら、三笠はスワロフをなんとか横にどかして立ち上がる。
朝日は額を押さえ、深々とため息を吐いた。
「あんた、そこまで鈍くはないでしょう? 本当におかしいと思わなかったの?」
「……何?」
「治安の悪い下町にあるくせに物乞いの一人もいない玄関ホール、埃すら被ってない捨てられた劇場! ヒビ一つ入ってない【大襲来】前の建物!」
朝日は早口でまくし立てると、吊り上がった赤い瞳でぎろりと三笠を睨んだ。
「いい加減、認めなさい。あんた嵌められたのよ――河内にね」
「河内……に……」
その瞬間、脳内に散らばっていたあらゆる違和感が一気に霧散するのを感じた。
三笠は口元を覆い、朝日を見つめる。
「そうだ……彼女は、スワロフがバルチックの一員だと知っていた」
「え?」
スワロフが驚いたように三笠を見る。
三笠の脳裏には初瀬の店に向かう途中で、河内達に出会った時の光景が蘇っていた。
「覚えているだろう、原宿で奴が攻撃してきた時だ。河内はあの時、『バルチックを見つけた』と叫んだ。だが、先ほどは……」
「ワタシの名を聞いた……くそっ!」
スワロフは怒りをぶつけるように強く床を踏みつけた。
『バルチックみっけ』――河内は確かにそう言って、スワロフに対し攻撃を仕掛けた。しかし、崑崙戦争に参加していない河内はスワロフの顔を知らないはず。
「大方、あのアレクサンドルとかいう女からあんたの話を聞いたんでしょ。いっつも使い走りをさせてたし」
「アレクサンドルの主が河内? なら、奴の目的は……」
息を呑む三笠に対し、朝日は苛立たしげに肩をすくめてみせた。
「神州の掌握。単純明快よ、今時子供だって考えないわ」
「信じられない、何故そんな――!」
「うだうだ言ってんじゃないわよ。ともかく今はそれを止めなけりゃ」
朝日は三笠達の元に歩み寄ると、機械マスクを顔の左半分に被った。
レンズを頭上に向け、小さく舌打ちする。
「ちっくしょう、ここも防御されてる。破るのは難しそうね……」
「防御?」
眉をひそめる三笠に、朝日は機械マスクを外して投げ渡した。
それを左目にかざし、三笠は頭上を見る。薄い青色に染まった視界に、肉眼では見えなかったモノが映っていた。
「これは……糸?」
「そっ。霊視ゴーグルを通してやっと見える。初瀬くらい霊視が得意なら、肉眼でも見ることが出来るんだろうけど……」
ぶつぶつ言う朝日の言葉を聞きつつ、三笠はゴーグルで辺りを見回す。
天井だけではない。床から壁までを、無数の糸がびっしりと覆い尽くしていた。先ほど感じた肌のぴりつく感触は、これが原因だったようだ。




