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天気晴朗ナレドモ水ノ月  作者: 伏見 七尾
四.二人のインペラートル
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二十九.

 アレクサンドルは眉を寄せ、半月斧の柄をきつく握りしめた。

「そうでしょうね。貴女はかつて最強を謳われたマキナ……その奥義ともなれば、国の最高機密にも相当するでしょう。使用を避けるのも頷けます」

「そんな大層な理由はない。――それはそうと、お前に少し頼みがあるんだ」

「頼み?」

「降伏してくれないか」

 三笠は刀を下ろし、静かに言った。

 その瞬間、アレクサンドルの薄荷色の瞳が大きく見開かれた。

「……なんですって?」

「降伏してくれ、といった。加減を間違えればお前を殺してしまうかもしれない。それくらい、この黒風は荒々しい」

 アレクサンドルはなにも言わない。

 三笠は軽く手を広げた。腕に纏った黒い渦がゆらりとなびき、髪を揺らす。

「これでお前を傷つけずに済むなら、それに越したことはない。――だから、武器を下ろしてくれないか」

「――ふざけるなぁあああ!」

 アレクサンドルが口を開くよりも早く、甲高い叫びが響き渡った。

 三笠はやや顔色を曇らせ、ちらりとニコライに視線を向ける。スワロフを拘束したまま、彼女は肩を震わせていた。

「ここで負けるわけにはいかない! やっと……やっとここまできたんだ……!」

「ニコライ……アナタ……」

 複雑な表情で、スワロフが背後のニコライを見やる。

 ニコライはしゃくり上げながらも、きつく三笠を睨んだ。水色の瞳が強く輝きだす。

「もう負けたくないんだ……ボクだって――!」

 ニコライがタンッ! と高く靴音を響かせた。

 同時に二つの影が俊敏に薄霧の中を飛び交い、背後から三笠へと襲いかかった。

「今度こそ証明できるんだ――!」

「バルチックが無敵だって――!」

 ニコライの分身達が口々に叫びつつ、三笠めがけて次々に刃を繰り出した。

 怒りのこもった激烈な斬撃は、先ほどよりも遥かに起動が読みやすくなっていた。三笠はなにも言わず、最小限の動きでそれらをかわす。

 しかし、そこに半月斧が振り下ろされる。

「っ!」

 とっさに一歩下がった三笠の足に、太い鉄の鎖が絡みついた。

 地面に沈み込んだ半月斧を引き抜き、アレクサンドルは三笠にそれをむけた。

「――これでわかりましたか、三笠」

「交渉決裂か」

「むしろ成立すると思っていたのですか? 傲慢ですね、三笠」

 アレクサンドルが冷ややかな口調で言い放つ。

 足を拘束する幻覚の鎖を見下ろし、三笠は物憂げにため息をついた。

「……思うようにならないな、本当に」

「その無力感を噛みしめて倒れなさい――行きますよ」

 アレクサンドルは半月斧を振りかぶり、大きく跳んだ。同時にその左右から、双剣を振りかざしたニコライの分身達が走りでる。

 高く空中を跳ぶアレクサンドルが長身を翻し、半月斧を薙ぎ払う。

「幻の中に消えなさい――!」

 彼女の背後から大量の剣や槍が現れ、三笠めがけて怒濤の如く押し寄せる。

 アレクサンドルの幻影は、体が実際に喰らったと錯覚を起こすほどの質を誇る。まともに食らえば消耗は必須。

 しかし視界いっぱいに広がる幻影と散弾を捉えてなおも、三笠の表情は静かだった。

「……やむを得ん」

 低い呟きと共に、三笠は刀を高く構えた。

 目を細め、アレクサンドル達の位置を確認すると――袈裟懸けに刀を振り下ろした。

 轟音が大気を揺るがす。黒い烈風が生じ、大地を蹂躙するように吹き荒んだ。

「ひっ――」

「ぎゃあぁあああ!」

 結界を展開する間もなく、二人のニコライが風の渦に呑み込まれる。瞬間その体に無数の亀裂が走り、粉々に砕け散った。

 着地したアレクサンドルは、迫り来る黒い風を呆然と見つめた。

「こんな……」

 剣が、槍が、鉄球が――幾百もの幻が風に浚われ、呆気なく消滅していく。

 アレクサンドルの顔が、初めて明確な感情に――恐怖に染まった。

「こんな……! あぁああ――!」

 悲鳴は禍々しい風のいななきにかき消された。

 未練がましく残っていた霧を散らし、風は重く垂れ込めていた雲までも切り裂く。

 やがて静まりかえった地上に、淡い月光が零れた。


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