二十八.
大気を揺るがし、三笠の周囲に四つの竜巻が立ち上がる。魔物を思わせる漆黒の渦は三笠の姿を覆い隠し、ニコライ達を呑み込もうと迫った。
「な、なにこれ!」
「略式結界!」
二人のニコライは結界を展開し、霧の幕の向こうに後退した。
先ほどはびくともしなかった白いもやの海を、どす黒い風はたやすく食い破った。
やがて薄らいだ霧の向こうに、輝く渦を従えたアレクサンドルの姿が現れた。大きく目を見開き、彼女は自らの霧を蝕む黒い風を見つめていた。
「これは……くっ!」
「サーシャ!」
こめかみを押さえるアレクサンドルの元に、一人のニコライが慌てて駆け寄った。
荒く息を吐きながら、アレクサンドルは首を振った。
「問題ありません……特攻鬼装を一部破られただけです」
こめかみににじむ冷や汗を拭い、アレクサンドルは消えていく霧を睨んだ。
霧が取り払われ、スワロフと本物のニコライが姿を現した。
スワロフは目を細め、黒い竜巻を見上げた。そしていぶかしげな様子で首をかしげる。
「……あのとき見た物と違う」
「【巡り揺れる楽土】が破れるなんて! サーシャ! どうするの!」
スワロフの呟きをかき消し、本物のニコライが叫ぶ。
アレクサンドルはすぐに平静な表情を装うと、半月斧を握る手に力を込めた。
「問題ありません。【巡り揺れる楽土】は完全に破壊されていない。いつでも、迎撃できます。しかし、この漆黒の風は一体――」
「――迎撃などできるものか」
暴風の中で、三笠の声がはっきりと響いた。
アレクサンドルはやや表情をこわばらせ、半月斧を黒い風の向こうに向ける。
同時に、漆黒の竜巻が収束する。
「黒風は尽く殺す」
ほどけた黒髪を風になびかせ、三笠は淡々とした口調で言った。
禍々しく――そして、どこか艶やかな姿だった。
赤い八重桜の鬼印が左肩から顔にまで広がり、鬼火のように光っている。
服が一部弾け飛び、露わになった両腕に黒い籠手を装着していた。集束した風の渦はその上から腕を覆い、まるで黒い振袖のように揺らめいている。
「それが、貴女の特攻鬼装ですか」
「あぁ、黒風という。……あまり人目に晒したくはないんだがな」
三笠は唇をへの字にして、籠手を嵌めた手を開けたり閉じたりした。その間も、両腕を包む風の渦は微かな唸りを立てている。
「しかし、またここか……」
手を下ろすと、三笠は辺りを見回した。
見覚えのある雑木林、苔むした石畳に、古びた大鳥居。鬱蒼と生い茂った木々の向こうには、常夜灯の火がかすかに見える。
スワロフが驚いたように目を見張った。
「ワタシとサーシャが別れた場所だわ……」
「そして、お前と私が再会した場所だな」
「え? あ、あぁ……そ、そうでもあったわね」
三笠の言葉に、スワロフは何故か頬をカッと赤くしてまごついた。
三笠は気にせず刀を担ぎ、ため息をつく。
「……また神前を荒らすことになるのか。それに、あまりこいつは使いたくないんだが」
渋い表情で、三笠は黒い風を纏う片手を見つめた。




