二十七.
「……はっ」
こめかみを押さえたまま、小さく笑った。
途端、辺りを囲っていたニコライの幻影が一瞬でかき消えた。
「――気が狂いましたか?」
「いや……おかしくてな。捨てたくても捨てられない。インペラートル=アレクサンドル、お前もなかなか不器用なようだ」
「なんの話です」
冷徹なアレクサンドルの声に、三笠は乱れた髪を掻き上げながら笑った。
「はは……何、大した話じゃない。ただ、人の心とは難儀なものだと思っただけだ」
「話の意図が――」
「――スワロフ、聞こえているか!」
アレクサンドルの言葉を遮り、声を張り上げた。
三笠からはスワロフの存在は感知できない――だが、スワロフ側はどうなのか。
賭けに出た三笠に対し、アレクサンドルが小さく息を呑んだ。
「黙りなさい、無駄な話は――」
「さっきも言いかけたが、私は不器用でな。見えるもの聞こえるもの、そのほとんどに対して鈍感だ。――人の心に、戸惑ってばかりいる」
『濁った水面に月は映らない』――そう、松島は言った。
「雑念を捨てて皇国の刃となれ、と恩師は言った。だがその存在がいなくなった瞬間、私はもうどうすれば良いのかわからなくなった」
三笠は月のない夜の迷子だと初瀬は言った。実際、三笠は松島という月がいなくなったその日から、何もわからなくなってしまった。
私は生きていて良いのか? そしてどう生きていけば良いのか?
「私にはまだわからないことが多い……ただ、お前のおかげで少し色々学んだよ。だがお前は私のことを標だと言ったが、今この状態だと導けそうにない」
「ニコライ。彼女を殺しなさい」
「え、あっ……!」
「これ以上無駄な時間を割くわけには――早く!」
アレクサンドルの明らかなうろたえぶりに、確信が心の中に湧き上がってくる。
三笠は優雅に微笑み、首をかしげた。
「だから悪いが私を導いてくれないか――お前の居場所を、お前の力で」
「ニコライ! 殺せ!」
アレクサンドルの鋭い声が響く。
「う、うぉおお!」
「やぁああああ!」
二人のニコライがまったく同時に、正面から三笠めがけて突進してくる。三笠はやや表情を硬くして、刀の柄に手をかけた。
その時、ある方向から冷たい風が吹いてきた。
一瞬だけ目の前を舞った粉雪に、三笠は微かに笑ってうなずいた。
「……上出来だ」
刀を抜き放ち、冴え冴えと輝く刀身に掌を滑らせる。
赤い瞳が鬼火のように輝いた。
「――魄炉第一解放」
瞬間、風が甲高い咆哮を上げた。




