一.
初瀬の元を訪れてから、瞬く間に二日が過ぎた。
相変わらず朝日の消息はわからなかったが、世間は特に何事も無く回っていた。
だが、三笠の夢は確実に悪化していた。
そして――三日目の夜。
――雪が降っていた。
時折肌を切り裂くような風が吹きすさび、視界を白く煙らせる。
だがどれほど風が吹いても、むせかえるような錆臭さは消えない。雪はあちこちが血に染まり、赤白のまだら模様になっていた。
その所々に、殺された人間達の手足が突き出ているのが見える。
「――私を殺せ」
三笠の膝元で、大佐は――松島は言った。
灰色の髪は血に汚れ、鋼色の瞳はほとんど凍っているように見えた。
「なに、を……」
三笠は目を見開く。
すると松島は大きく吐息して、かすれた声でまた言った。
「私を殺せ……と言った」
「そんな――!」
松島は、やっと見つけた生存者だった。
ボーリグラートへと向かう道の途中、三笠達は無数の死体が埋められている場所を見つけた。そこで、奇跡的に生き延びていたのが彼だった。
「できません! そんなこと――どうして、私が大佐を殺さねばならないのですか!」
「……もう、私は駄目だ」
松島はおもむろに自分の襟元に手を伸ばすと、シャツを引き裂いた。
びりびりと音を立て、むごい傷が晒された。
胸は大きくえぐられ、赤黒い血に染まっている。凍り付いた血肉の中で、白い蜘蛛の足を思わせる肋骨が鮮やかに見えた。
常人ならば、すでに死んでいてもおかしくはない傷た。
「魄炉は……魄炉は、無事ではありませんか」
かすれた声で繰り返し、三笠は松島の胸元を指さす。
霜の浮いた肉塊に埋もれるように、鈍く輝く魄炉があった。
見た目はややオルゴールの機関部に似ている。無数の制御具と中枢たる核石から成る巫覡機関は、心臓を組み込むような形で移植されていた。
核石には、かすかな光が点っている――魄炉が稼働している証だ。
しかし、松島はかすかに首を振った。
「駄目だ……じきに、私は死ぬ」
「何をおっしゃるのですか! 魄炉が無事ならばマキナは死なぬと、貴方は教練のたびにおっしゃったではありませんか!」
「それでも……マキナ『松島』は、ここで死ぬ」
松島はほうと息を吐きつつ、ゆっくりと右手を持ち上げて見せた。
その手は、指先から肘までがどす黒く染まっていた。赤い亀裂のような模様がびっしりとその肌を覆い尽くしている。
「妖魔の瘴気にやられた……私の魄炉は、この朽ちた肉体が崩れぬよう維持するのにせいいっぱいだ……自力で浄化できん」
「なら、私が――!」
三笠は腰にくくりつけたホルダーを探り、霊水の詰まった瓶を取り出す。
だが、松島は首を振る。
「わかるだろう……これだけ汚染が進行すれば、もう処置は無理だ……」
「それならッ、右手を切断すれば――ッ!」
霊水の瓶を放り、三笠は短刀を引き抜いた。
『皇國興廃在此一戦』の銘を刻んだ刃を松島の右手に向け、息を整える。
しかし――松島の左手が、柄を掴む三笠の手に重なった。




