三十七.
「そんなものだ」
三笠は言って、ゆっくりと体を起こした。まだ手足の感覚は曖昧で、時折視界も霞む。だが、先ほどよりも具合は良い。
じっと見つめてくるスワロフに対し、三笠は肩をすくめてみせる。
「望まずとも人は変わるものだ。だが本質までは、そう簡単に変わらないだろう」
「……ワタシの本質って、なんなのかしらね」
「お前がさっき言ったことじゃないか」
「ワタシが?」
スワロフがやや目を見開く。
目にかかった髪をざっと掻き上げつつ、三笠はうなずいた。
「あぁ……人は曖昧なものを探して生きていく。夢、希望、生きる意味――自分という存在も、存外捉えづらいものだ」
「……曖昧な物は嫌いだわ」
「そうだろうな」
ポケットから予備の髪紐を取り出しつつ、三笠は苦笑する。
そして空に輝く月へと視線を移した。もう雲はなく、大気は澄み切っている。
「どれだけ辺りが晴れていても、捉えづらい。時には形を変え、私達を惑わせる――さながら水面に映る月のように」
濁った水面に月は映らない。
かつて、自分を教え導いた松島はそういった。彼の言う『月』がなんだったのかは、まだわからない。そして、それが三笠の求めている物と果たして同じかどうかも。
三笠は目を閉じ、軽く手ぐしで髪を整えた。
「……私はきっと、生涯その水面の月に手を伸ばし続けるのだろうな」
「凍らせてしまえばいいのよ、そんなもの」
スワロフの言葉に、三笠は目を開く。
青い瞳を三笠に向けて、彼女は当然のような顔で肩をすくめて見せた。
「そうすれば、水面の月ははっきり見える。触れることだって出来るじゃない」
「……ふふっ、そうか」
「何がおかしい」
「いや……同じだなと思っただけだ」
「何がよ。はっきりしないわね。キサマのそういう曖昧な所が大嫌いよ」
「別に大した話ではないよ」
三笠は肩をすくめ、髪を結った。
今は松島の言葉よりもスワロフの存在の方が、三笠を強く導いているような気がした。
――キサマはワタシの標だったのよ。
三笠自身も、スワロフの存在を指針としていたところがあったのかもしれない。いつの間にか、かつて彼女と戦った時には考えも付かなかった関係になっていた。
きつく目を吊り上げるスワロフに三笠は微笑みかける。
「ただ、私にはお前が必要なんだろうな……と思っただけだ」
「――なっ」
「これからも側にいてくれ。少しなら酒にも付き合ってやるから」
「――ッ! こ、この!」
スワロフの白い頬が真っ赤に染まるのを見て、三笠はまた小さく笑った。
【完】




