三十二.
大理石の床を鮮血が濡らしていく。
三笠の足下には、倒れ伏した河内の体があった。ほぼ両断されたその首筋から、だくだくと血が零れている。
三笠は小さく吐息して、刀から血をふるい落とす。
「――キサマも大概甘ったれだわ」
背後から聞こえたため息に、三笠はちらりと背後を一瞥する。
腕組みをしたスワロフが顎をそらした。
「何故、殺さない? 魄炉を壊せば良いものを」
その言葉に、三笠は再び視線を足下に戻す
文字通り首の皮一枚で繋がっている状態の河内。しかし魄炉が埋め込まれているその左胸には、三笠は一切触れていない。
魄炉を壊さない限りマキナは死なない――いずれ河内も意識を取り戻すだろう。
「私の一存でそこまで決めるわけにはいかない。……彼女の処遇は霊軍に委ねる」
「フン、人を殺すのが怖いだけのくせに」
「ああ、そうさ」
「……キサマ」
スワロフは針のように目を細くした。
三笠は重々しい所作で、刀を鞘へと収める。【皇國興廃在此一閃】――漆黒の鞘へと呑み込まれていくその銘を見つめ、深いため息を吐いた。
「私は元来、臆病なたちだ。切った張ったなんて好きじゃない。――なのに何故、今も昔もこんな風に血まみれになって戦っているのだろう」
刀を腰につるし、三笠は天を仰いだ。
まぶたを閉じれば、様々な情景がその裏を通り過ぎていく。スワロフと殺し合った崑崙戦争、巡り会った様々なマキナの顔、自分の手を濡らす松島の血――。
「やっと戦いから遠ざかったと思ったらこのざまだ。望まずとも乱に呑まれていく。私はまだ、生きる意味さえ見いだせていないのに」
「フン、くだらないわね……そんなモノが簡単に見つかるんだったら苦労はないわ」
小さなため息に、三笠は振り返った。
眉間にぐっと皺を寄せたスワロフが、きつく自分の肘を握りしめていた。
「腹立たしいことだけれどね、きっと人は曖昧なものをずっと探して生きていくのよ。夢だとか希望だとか、そんなものを」
「お前も、そうか?」
「どうなのかしらね。ワタシは、ずっとキサマを殺すことを目的にしていたから」
「今は違うのか?」
三笠がたずねると、スワロフはきつく唇を噛んだ。
そして、どこか悔しげな様子で三笠を睨み付けてくる。三笠はその視線をまっすぐに受け、じっと彼女の回答を待った。
やがて観念したように、スワロフは目を伏せた。
「……ワタシは」
苦々しげにスワロフは言葉を発する。しかし、それが最後まで紡がれることはなかった。
突如、凄まじい重圧が二人を襲った。
「うぅ……!」
「ぐっッ!?」
その場の重力が一気に数倍になったような感覚に、三笠は地面に膝をつく。
さらに、激しい耳鳴りが脳を貫いた。
「なに、この巨大な霊気は……!」
同じように地面に座り込んだスワロフが頭を抱える。
三笠はこめかみを強く押さえつつ、涙のにじんだ目で頭上を見上げた。
「空が……!」
青いオーロラは曇天全体に広がっていた。同時に禍々しい雲の渦から、青い電光のようなモノが絶えず迸っている。それはまるで、空のひび割れのように見えた。
その時、三笠のポケットから小さなベルの音が響く。
三笠は重圧に喘ぎつつもなんとかポケットに手を差し込み、床にラジオベルを落とした。
その画面には、朝日からのメッセージが表示されている。
『何ヲ為テイル 【星】が墜チテクルゾ』
「星……アマツキツネか!」
「バカな! 万魔の剣は破壊したはずでしょう!」
スワロフが叫び、地面に落ちたままの万魔の剣を顎でしゃくる。その刀身は確かに、真っ二つに折れていた。
三笠は奥歯を噛みしめ、なんとか空からの霊気に逆らって立ち上がる。
「恐らく、破壊が少し遅かったんだ……そのせいでアマツキツネが重力圏に入った」




