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眠る私とお人形な王女様  作者: フォグブル
第三章 『眠り姫』と丘の街の午後
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外伝2 -秘密の厚さは-

 ――運行暦1513年 3月。 オールト王国

 王都リシテア市第二街区『貴族街』。シュタットフェルト侯爵家王都邸宅。



 大地を照らしてきた太陽の光が、遠く西の空に沈む頃。世界を司る役目が、光の女神から闇の女神へと移り変わると、王都リシテア市は地上に輝く星ぼしによって美しく煌き始めていた。

 近年広く普及するようになった魔法具製のランプの灯り。その光は街の隅々にまで行き渡り、『黒』の脅威に晒され続けてきた人々を優しく包む込んでいる。

 それは王国の中枢たる『王宮』と、そこから同心円状に広がる高級住宅街も同じであり、今宵もどこかで華やかな夜会が開かれることだろう。


 シュタットフェルト侯爵家が王都での滞在を目的に所有する屋敷もまた、そんな華やかな街の一角に佇んでいた。


 周囲を広い庭に囲まれた、小さいながらも重厚な趣を漂わせる建物。貴族の本邸と言うよりかは、別荘と読んだほうが相応しそうな家は今、周囲の雰囲気に反してしんと静まり返っていた。


 本来ならばこの日。シュタットフェルトの屋敷の中では、侯爵家の末娘であるアズマリアの為の夕食会が開かれているはずでだった。


 彼女のささやかな――いや、とても大きな一歩となる門出を祝しての、家族だけで開かれる晩餐会。


 末っ子の気質を考え、貴族の邸宅にしてはこじんまりとしている食堂。そこに置かれた小さなテーブルの上には、今日の主賓たる少女の好物が手付かずのまま並べられている。

 彼女がいつも好んで食べていた、故郷の山菜を使った料理の数々。それを一緒に食べるのは、五人の家族のうちで三人だけ。領主として所領であるシュタットフェルト領に留まっている父と、頑なに誓いを守ろうとする一番上の姉がこの場に居ないのは残念だけれど、それでも彼女は十分に喜んでくれるはず。


 そう期待して用意してきた席上には、今は彼女の兄がただ一人。

 ケント・シュタットフェルト。父譲りの金色の髪を持つ、シュタットフェルト侯爵家の長男にして次期当主である青年だけが、主役のいない席に座っている。


 一つだけ灯されたランプの光が、彼の端正な顔に濃い陰影を映す。王家から領地を授かるほどの貴族の屋敷としては、異例なほどに使用人の少ないシュタットフェルト家の王都屋敷。静寂に包まれた食堂の中で一人目を瞑りながら、彼はその手に知らせが届くのを待っていた――




 ■ ■ ■




 妹が王女殿下のご学友に選ばれた。


 幼少の頃より、他者と顔を合わせる事を恐れ続け、外の世界に出る事を頑なに拒み続けてきたシュタットフェルト侯爵家の末娘アズマリア。そんな彼女が、森と丘に囲まれた領地の館を出て、我らが女王陛下の一人娘である王女殿下のご学友として、殿下と共に学校に通う。


 告げられた事実をただ言葉にするならば、たったこれだけの事。

 だがしかし、そこに込められた意味はとても大きい。


 黒い魔物の災厄から13年。


 国内の復興もようやく終わりを向かえ、王国は今次なる発展の段階へ向かって、その歩みを着実に進めている。

 激戦となった南部に近い地方では、災厄時に撒き散らされた『黒い雫』が未だまだらに残っており、そこから魔物が零れ落ちる事も多い。それでも哨戒に当たっている国軍や、協会からの依頼を受けた冒険者たちの手によって、発見しだい順次駆逐されていると聞く。魔物の脅威は過去のもになろうとしている。


 広範囲に及んだ『黒い雫』にによる大地の汚染浄化もひと段落済むと、大きな都市へと逃れてきた人々もまたそれぞれの故郷へと戻っていく。農地には人の手が入り、街道では荷を満載した馬車が行きかう。停滞していた経済に活気が戻り、失われたモノを取り戻そうと人々が活発に動き出す。


 長い夜を越えた先に、ようやく明るい光が差した。この国に住む多くの人がそう実感していた。


 そうした時代のうねりが王国に広がっていく中で、それでもアズマリアだけが変わらずにい続ける。

 もし変化があるとしても、それは緩やかなものになるはず。シュタットフェルトの四兄妹のうち、少なくともロッテとケントの二人はそう思っていたのだ。


 

 侯爵家の家族のうち、少なくともロッテとケントの二人は直前までその事を知らなかった。そもそも二人はそれまで『王女殿下』の事は知っていてはいても、その『王女殿下』の名前がユーリ・オルトティーヌとまで意識した事がなかったのである。


 ロッテは軍に所属している上、近衛騎士とも面識があったし、ケントも父アルフォードの名代として王都での社交をこなしてきた身だ。二人とも『王女殿下』の情報は当然頭に入っている。しかし具体的な内容といえば一般に知られている事と変わらぬ程度。

 曰く、光の御子たる女王陛下の一人娘であり、その陛下の立てた誓約のため王位継承権が凍結されている事。そして公式の場には、何故か一切御出になられていない事。その他に知っている事といえば、風の噂では女王に溺愛されているため外に出さないのだとか、その事を揶揄して『人形姫』と呼ばれている事くらいだった。


 普段の生活の中でならば、それでもよかった。ロッテは軍人であり、また幕僚本部第四課で兵站調整という任務の関係上、国内を飛び回る事が多いため王室の内にまで関心を払う余裕は無かったし、ケントにしても、父が王都の政事から距離をとっている以上、社交の場で困らないくらいの知識で十分だった。


 しかしその『王女殿下』の相手を、他ならぬアズマリアが務めるというのならば話は別だ。


 ただでさえ彼らの妹は、家族以外の者と顔を合わせる事を嫌がってきたのだ。二人にはそれが、単なる人見知りや人間嫌いではなく、彼女が自分の顔を誰かに見られれるのを極端に恐れているからだと知っている。それこそ無理に連れ出したりすれば、最悪彼女にとって致命的な心の傷を負わせてしまう事だってあるのだ。甘やかしでは無く、ゆっくりと慎重に社会との関わり方を教えていくべきだ。ロッテたちはそう考えていたし、だからこそ早すぎると思うのだ。


 ゆえに二人はすぐさま行動を開始した。

 まずシュタットフェルト領にいたケントが、父であるアルフォードに事の性急さを指摘し、たとえ王室からの話であっても断るべきではないかと質した。しかしアルフォードから返ったきた答えは、一言「アズマリアのため」だというもの。その意味するところが分からず、父にその真意を問い直すが、彼はそれ以上は黙して語らず、ただこの件は全て長女のイリスに任せてあると答えるのみであった。

 その経緯をケントから共鳴水晶(オラクル )を通して受け取ったロッテは、王都にいるイリスのもとを訪ね説明を求める。しかしイリスは仮面のような笑顔を浮かべるばかり。しかし長い間この長姉に付き合ってきたロッテには、目の前の女性が笑顔に裏に隠すようにして、言外に告げているものが分かっていた。


 ――これは既に決定した事であり、決して覆ったりはしなのだ――と。



 この世界を見守りし二人の女神が、我らシュタットフェルトに与えたもうた一人の少女。



 世の中が大きく動き始めていてもなお、彼女だけは変わらずにずっとここにいる。

 彼女の姉と兄は、当たり前のように信じていた。

 しかし、世界はそれを許さない。

 ロッテとケントの二人に、その流れを覆す事など叶わなかった。



 こうして王室からの知らせは、アズマリアのもとへと届けられる。





 ■ ■ ■



(……結局のところ、イリス姉さんはどこまで知っていたのだろうか)


 今日という日を振り返りながら、一人きりの食堂の中でケントは、あの日からの出来事を思う。


 侯爵家の次期当主として、領地にて政務をとる父を補佐するという役目をこなす傍ら、その合間に新聞などの記事を読み返し、婚約者のミランダに頼んで、彼女の実家経由で過去の記録や噂を集める。王都にいたロッテにしても、近衛騎士との縁を頼りに、王宮内の話を出来うる限り探っていった。そうして、アズマリアが王都に到着した日のよる。ロッテとケントの二人は、屋敷内の書斎にてお互いが持ち寄ったの情報を確認しあったのだが、その結果分かった事はあまりに少なかった。


 光の御子にして偉大なる救国の英雄たる女王セイラ・オルトティーヌ。彼の陛下のもと、強力に、悪く言えば強権的に進められてきた政策の数々。並立していた貴族軍の王国軍への統合。戦死した貴族領の再編。既得権が複雑み絡み合う都市・地方統治の改革など。

 民衆におもねる訳でもなく、むしろ市井から見える印象を巧みに操ってきた女王。自らは政治には疎いただのお飾りであるかのように演じつつも、ともすれば人気取りに走りがちな議員や、権利と義務とを常に秤で比べている百戦錬磨の貴族達の抵抗を強かに破ってきた。

 そんな状況の下、女王に反感を持つ者達が「次の王」に期待を寄せるのは至極当然であり事実、次期国王たる王太子殿下の元へと擦り寄る有象無象の話は嫌というほど耳にした。


 なのに『王女殿下』の話だけは、一向に手元に集まらないのだ。

 公式記録や書類、新聞といった文面上では、確かにユーリ・オルトティーヌという名前は記されてはいる。しかし人々がその名を口にする事はめったに無かった。ごく僅かに話題になるのは『人形姫』という呼び名と、それに纏わるあの有名な噂話が語られる時だけ。そしてそれ以外の話はまるで上がってこなかったのだ。



 長い間、忘れられていた王女様。



 それがつい最近になって、俄かに注目され始める。侯爵家のご令嬢が『王女殿下のご学友』に選ばれたという話が、社交界で急速に広まってきたのだ。しかしそこで話される内容をよく吟味してみれば、その中身はユーリ殿下の人となりがどうこうと言った話ではなく、ただ『王女殿下』にご学友が付くという、その事実だけが一人歩きしている印象なのだ。


 そのあまりの不自然さに、ケントたちは背筋が凍るの思いをする。

 それはまるで、誰かがそうなる様に操作してきたかのようなその不気味さ。それでいてその事を少しも不思議にも思わない人々の姿。

 少なくともケント達はその『誰か』が誰なのかを知っていた。金色の髪に縁取られた顔に穏やかな笑みを浮かべた社交界の華。それでいて誰よりもアズマリアの事を愛している一人の女性。妹のためならば手段を厭わないであろう我らが長姉。彼女ならば問題なくやってのけるだろう。


 (……でも何故?)


 その理由が理解できなかった。

 そしてケント達二人にとってなにより恐ろしかったのは、アズマリアのことが無ければ自分達もまた『王女殿下』の不在という不自然さに気付くことなく、疑問にも思わなかったであろう事が容易に想像出来てしまえた事だった。そうまでして進められる『王女殿下のご学友』の話。


 この国には、何か自分達には伺い知れない秘密がある。

 

 少なくともイリスはそれを知っているのではないか。


 王室との折衝を取り仕切ったイリスの思惑。

 それを黙認し、末娘を送り出したアルフォードの真意。

 顔も知らぬ王女様の、ご学友になるという役目を受け入れた、アズマリアの気持ち。


 王室からの勅命。貴族としての義務。それを考えれるならば、彼らの判断は正しい。むしろ自分達のほうが過保護に過ぎたのだろう。それにイリスがこの件に関わっている以上、彼女は全力でアズマリアを守るだろう。だからそう、妹が傷つく心配は無いはずなのだ。

 それでも何もせずにはいられない気持ちに突き動かされるように、ロッテの発案のもと小さな悪戯を仕掛けたりした。それらは全てアズマリアの身を案ずればの事。緊張しているであろう彼女の心が耐えられるよう、少しずつ事実を伝えていこうという方法。それは末妹を見守る事しかできない、彼らの無力感の裏返しでもあった。






 ――――そうして今日。ユーリ殿下とアズマリアが初めて出会った、その日の夜。



 ケント・シュタットフェルトの手には、早朝に王宮へと出掛けていた姉のロッテから矢継ぎ早に届いた手紙が握られていた。


 それらによると、アズマリアは明日から入学式の直前までの間、王女殿下と共に"大地の巡礼"に出発する事。その事実を直前まで知らされなかった近衛騎士団が、急遽王女達の護衛の必要性をを申し出るも、その王室からその許可が下りなかったため、反発した騎士団側が演習を名目に強引に同行しようとして王宮が混乱している事。そして手紙の最後には、殿下の傍に『青の聖女』の娘が付いている事が記されていた。


 ケント宛の手紙を携えて王宮と行き来を繰り返しているステラによると、姉は今夜はこちらへは帰らずに対策を練るそうだ。

 そして今のケントの役割とは、実家が冒険者のまとめ役である交易路協会の顔役であるミランダに協力してもらい、情報を集めて事実関係の確認を依頼し、同時にシュタットフェルト領にいる父に連絡を入れるなど、各々からの連絡役に徹する事だ。そうした指示を出し終え、次の知らせを待つ間、彼は内心の焦りを押し殺しながら、一人静かに目を閉じる。




 妹の身に何が起きているのか。

 もっとも案じている事を知らされないままに、王都の夜は過ぎていく。




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