第08話 調香
「わぁ、すごい! これが調香の道具なんですね! まるで小さなオルガンみたい!」
誘ってしまった手前、今更ノーということもできず、リーリエはソフィアを自室に招いていた。もしこの部屋でソフィアがこけて、割った試験官で指を切るなんてことが起きてしまったら、斬首刑になるのだろうか。などと内心ひやひやである。
「今回は柚子の香りで香水を作ります。私は『柚香』と名付けています。えっと、興味がありましたら、なんとなく説明しながら調香しますが……」
「ありますあります! お願いします!」
最初見たときは何処か表情の暗かったソフィアだが、だんだんと少女らしい爛漫さが現れてきた。
「今から作るのは柚子の香りの香水ですが、柚子の香料のみを使用する訳ではありません。香水は揮発性の高いトップノート、油分が多く揮発性の少ないラストノート、その中間のミドルノートの三種類の香料を混ぜて作ります。柚子は揮発性が高いトップノートなので、それだけだとすぐに香って消えてしまうんです」
「きはつせい?」
「えっと、なんていえばいいんだろう……。まぁ、簡単に言うと柚子の香りはすぐに消えちゃうので、消えにくい香りも混ぜて心地よい香りの香水にするということです」
「そうなんですね。でも、混ぜてしまったら変な匂いになりませんか? 絵具も、いろいろと混ぜたら暗い色になってしまいます」
「聡明ですね。その通りです。なので、私のような調香士がいるのです。 どのような香りにしたいかの方向性を決めて、その人の魔香に合うように調香します」
「まぁ。その人の香りに合わせた香水を作れるのですか?」
「そうです。先ほどソフィア様がおっしゃられたように、においは混ざり合いますからね。その人本来の香りと混ざって変なにおいになってしまったら元も子もありません。せっかくなので、ソフィア様に合った香水を作ってみましょうか?」
リーリエの問いかけに、ソフィアに満面の笑みが咲く。
「本当ですか! とても、とても嬉しいです!」
飛び跳ねて喜びたいのを何とか抑えて、体を少し揺らしながらソフィアが言う。そこまで喜ばれるとリーリエだって嬉しい。
「すこし失礼しますね」
リーリエはソフィアを抱くように両腕で包み込み、その柔らかな金髪を書き上げてうなじに顔を近づける。
「は、はわわわわわ」
「……フルーティで、それでいてやさしく甘い。とても甘え上手で愛され上手な人の香りです。ミドルはティーローズ。ラストは……バニラ? いや、ホワイトムスクがいいか。少し背伸びして大人っぽい香りにしますか?」
「し、したいです!」
「だったらイランラインも少し混ぜちゃいましょう。失礼しました」
香りの方向性が定まったのか、リーリエがソフィアから離れて椅子に座り手袋をする。その表情は真剣そのものだ。
まずは柚子、ティーローズ、ホワイトムスクの香料を混ぜ合わせ、そこにイランイランを二滴落とす。清涼感がありながらもエレガントな香りがふわりと部屋に広がった。混ぜ合わせた香料にエタノールを加え、さらに精製水を少しだけ混ぜる。
「うん。やっぱり青柚子から直接採香してよかった。香りの立ちが全然違う。失礼しますね」
「ふえ?」
リーリエはソフィアの手を取り、そのドレスの袖をまくる。傷もくすみも全くない彼女の腕の内側に、調香したそれを数滴たらした。清潔な布でその柔らかな肌にちょんちょんと馴染ませる。
「あ、あの……」
ソフィアが困惑した表情でリーリエを、そして繋がれた手を見る。それもそのはず。本来王族の肌に、一般人が触れるようなことはあってはならない。しかもソフィアは婚約前の乙女である。そんなソフィアの柔肌に許可もなく触れようものなら、最悪斬首刑になってもおかしくはない。
しかしリーリエはそんなことは露ともしらず、作った香水のチェックに余念がない。
「うん。とても良い。ソフィア様本来のかわいらしい香りと混ざり合って、とても素敵な香りになりました。嗅いでみてください」
ソフィアが何かを言う前に、その腕をそっとソフィアの顔の前に近づけるリーリエ。注意するタイミングを逃したソフィアは言われるがままに顔を近づけて、そして……
「わぁっ! とても良い香りです! すごいです、すごいです!」
すぐにそんなことは頭から吹き飛んで喜んだ。どこか母リディアの香りに似た、しかし違う香り。ソフィアの良さが引き立つ良い香りだ。
そんなソフィアの様子を見てリーリエが満足そうにうなずく。今まで自分の香水を使って喜ぶ人の姿を直接みたことがなかったのだ。今まで買ってくれた人たちも、こんな風に喜んでくれていたらいいなと思った。
リーリエは作った香水をほんの少しだけ小瓶に移し、それをソフィアへと差し出した。ソフィアが少し残念そうな顔をする。
「全部はくださらないんですか?」
「もちろん差し上げますよ。ソフィア様のために作った香水ですから。ですが、香水は本来、数週間寝かせて、ろ過をしてから完成します。なので、こちらはしっかりと仕上げてからお渡ししますね。それまで我慢が出来ないと思いますので、こちらの小瓶で香りを楽しんでください。仕上がったものはもっと香りが馴染んでよいものになっているはずですから」
「分かりました!」
ソフィアはルンルンといった様子で香水を付けた腕に鼻を近づけては笑顔になる。そして小瓶を大事そうに受け取った。
「あの。また来てもいいですか?」
「もちろんです。二週間後には香水は完成してますよ。ですが今日はここまでにしておきましょう。太陽も沈んでしまいましたから」
「はい! 絶対に取りに来ます! あの、リーリエさん。今日はありがとうございました!」
「いえいえ、私も楽しかったですから。もちろん二週間後とは言わず、いつでもいらっしゃってください。仕事時間以外はたいていは部屋にいますので」
「はい! ではリーリエさん、また!」
「気を付けてお帰りくださいね、ソフィア様」
ソフィアはリーリエの部屋から出ると、嬉しそうに小瓶を抱えたままパタパタと去っていった。
そんなソフィアを見て、リーリエもまた笑みを浮かべる。まさかの第二王女ではあったが、とても親しみやすい良い子であった。
少し年下の友人が出来たようで、リーリエは少し嬉しくなった。




