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第07話 第二王女 ソフィア

 西日が差す王宮の庭園を一人の少女が歩いていた。名前はソフィア・ヴェランクール。この国の第二王女である。

 なお、第一王女は他国の王子に嫁いでしまったため、現在ヴィランクール王国にいる王女は彼女ひとり。

 年のころは十にも満たないだろう。本来ならなんにでも興味を持ち、疲れなど知らずに遊びまわっている年頃である。しかし、彼女の表情は暗い。


「クロードお兄様。大丈夫でしょうか……」


 彼女の実の兄、クロード・ヴェランクールはここ数年元気がない。毎日毎日執務室に引きこもっては、仕事をこなす日々。まるで何かを振り払うように、考える隙間を作らないように仕事に没頭するさまは、見ている方も辛いものがある。当然妹であるソフィアは毎日胸を痛めていた。今日は一度も食事に顔を出していない。

 クロードはもともと明るい性格の兄であった。人格者で頭脳明晰で人当たりも良い。誰もがクロードのことを慕っていたし、次期国王として期待されていた。クロード本人もそのつもりだった。

 そんなクロードには許嫁がいた。同盟国であるローデリアの第一王女、シルヴィアド・ラ・ローデリアがその人である。

 もちろん政略結婚の側面もあったが、クロードとシルヴィアは互いに好意を抱いており、美男美女の婚約の噂に両国の市民たちも歓迎ムードであった。

 そんな暖かいムードを一瞬で粉々に壊す事故が発生した。

 二年前の春の日。クロードがシルヴィアを自国に招いた時のことである。道中の道でシルヴィアを乗せた馬車が崖から落下。シルヴィアはあっけなく、その生涯の幕を閉じた。

 その日からクロードは変わった。自分がシルヴィアを招かなければ、彼女が死ぬことはなかった。自分がシルヴィアと婚約をしなければ、彼女が死ぬことはなかった。自分が幸せになろうと願わなければ、彼女が死ぬことはなかった。自分が生まれなければ……。

 クロードは塞ぎ込み、つられる様に母リディアも元気がなくなった。ソフィアはそんな家族を、大好きな兄と母を元気づけようとずっと明るくふるまってきたが、もうそれも限界を迎えようとしていた。齢十歳の子供が背負い込めるものではない。

 目的もなく、ただふらふらと歩いていると、嗅ぎなれた匂いが漂ってきた。

 すっと鼻に通るような、さわやかでいて落ち着く香りだ。


「お母様?」


 それは母リディアの香りに似ていた。香りのする方へふらふらと歩いて行くと、武骨な建物にたどり着く。


「ここは、調合班の建物? どうしてここからお母さんの香りがするのかしら」


 王宮の敷地内とはいえ、ソフィアは第二王女。あまり一人でうろうろすることは良いことではない。ソフィアは静かに歩き、香りのしてくる部屋までたどり着く。中にいたのは一人の少女。料理をしているのだろうか。火で何かを茹でている。

 見るからに栄養の足りていなさそうな細い体の少女が、日の暮れかけた時間に一人、ゆずの香りのする何かを茹でている。ソフィアにはそれが少し恐ろしかった。浮浪者が侵入して、食べ物を漁っているのだろうか。

 どうしようか迷いながら一歩足を引くと、その足がドアにぶつかってしまう。


「あっ」


 当然その音をその少女が聞き漏らすことはなく、ソフィアが顔を上げた時には、こちらを振り向いたその細い少女の瞳と目が合った。


 ◇


 リーリエが振り向いた先にいたのは、金髪の少女であった。見るからに高貴な装い。ふわりと優しくウェーブする金髪に、くりくりとした瞳。どうみても貴族である。


「えっと。こ、こんにちは」


 貴族への挨拶の仕方など知らないため、仕方がないのでいつも通りの挨拶をしてみる。その少女は慌てつつもぺこりとお辞儀を返した。

 しばらく無言で見つめ合うも、両者動かない。たがいに何を言えばいいのかわからないのだろう。

 数十秒ののちに、火にかけられていたフラスコが沸騰し泡を吹いた。


「おっと。香りが逃げる」


 少女から目を外して、リーリエは柚子の採香の続きを進める。

 どうしてやんごとなき身分の者が今この場にいるのかはわからないが、何もしなければ不敬罪になることはないだろう。リーリエは少女のことはとりあえず置いておいて、柚子の採香を終わらせることにした。

 薄く剥いた柚子の皮を煮て、その水蒸気に交じる香りを抽出する方法だ。漏れた香りが部屋に広がり、金髪の少女の鼻にも届く。

 しばらくして少女の好奇心が警戒心を上回ったらしく、少しずつリーリエに近づいてきて、気がつけばすぐ隣にまで来ていた。


「何をしてらっしゃるんですか? お料理?」


「えっと。これは柚子の皮から香りを抽出しているんです。香りの成分は水蒸気と一緒に上がってきて、上の蓋に当たって、冷えて真ん中の小皿に落ちるんです」


 リーリエが指さしたところには小皿が置いてあり、そこに少し黄緑がかった液体が溜まっていた。


「お母様がつけている香水の香りと良く似ています」

 

「お母さんも柚子の香水を付けているんですね」


「はい。この香りを嗅ぐと、少し心が落ち着きます」


 少女は目を細めて、フラスコから漏れる柚子の香りを嗅いだ。


「もうすぐ採香は終わりです。このあと部屋で調香するのですが、良かったら見に来ますか?」


 帰れという訳にもいかず、リーリエがそんな提案をすると、少女は花の咲いたような笑顔になった。


「いいのですか!? 見てみたいです!」


「あまり面白味のある作業ではありませんが、それでよければ。あ、名乗りもせずに申し訳ありません。私は先月から調合士としてこちらで働かせてもらうことになったリーリエです」


「あ、すみません。えっと、私はソフィアです。ソフィア・ヴェランクール。リディアお母様の娘で、第二王女です」


 ソフィアの自己紹介を聞いて、リーリエが顔を引きつらせた。相手はこれ以上ないほどにやんごとなき身分であった。

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