第31話 リーリエ・アロミス
「あ、あ、あ、アルベルトしゃま。こ、こここちらが、あああアルベルト様のために、調香させていただいた、ここ、香水でごじゃりまする」
謁見の間。王のみが座ることの許される豪奢な椅子に座る現王アルベルト。リーリエはその眼前に片膝をつき、出来上がった香水を差し出す。あまりの緊張で声は震え、セリフは噛み、顔面は蒼白だ。
そんな様子を見て、リディアとクロードは笑いをこらえていた。
「ほう。もうできたか。どれ」
アルベルトが手を伸ばし香水を受け取る。それをためらいなく己の腕に振りかけた。
リーリエは顔を上に向けることすらできず、ただ王の言葉を待っていた。もし王のお気に召さなければ、自分の存在意義は消える。気分を害せば、この命さえなくなってしまうかもしれない。
そんなバカなことを考えてリーリエは震えていた。
「……ふむ。大変すばらしい。リーリエと言ったな。そなたの調香の技術、見事だ」
「あ、ありがたき幸せにございます!」
これ以上下がることのないと思っていた頭がさらに下がり、アルベルトも苦笑した。ここまで怖がられるとは思っていなかった。
「リーリエよ。その手腕を認め、褒美として男爵の地位を与える。国に仕えるものとして、より一層励むがよい」
「……ふぇ?」
思いもがけないアルベルトの言葉。リーリエが間抜けな表情で顔を上げた。
「爵位を持つのであれば家名が必要だ。今日からは、そうだな。アロミス。リーリエ・アロミスと名乗るがよい」
「ふぇ?」
ぽかんと呆けた顔を見せるリーリエ。突然のことに頭が付いて行かない。
「どうした? 不満か?」
アルベルトの問いでようやくリーリエが起動する。
「めめめ、滅相もありません! ありがたき幸せでございます!」
こうしてリーリエは、庶民から貴族になったのであった。
◇
王宮専属の調香士となり、さらには貴族の地位まで叙爵されたリーリエは、自分の部屋でぽけーっと斜め上を眺めていた。
いまだに現実感がない。ほんの半年前までは、誰ともしゃべらず、顔も合わせず、ただただ一人で香水とポーションを作る日々だったのだ。
それが何故か、王宮専属の調香士となり、さらには男爵という爵位までもらって、貴族になってしまったのだ。頭が追い付かないのも無理はない。
間抜け面で虚空を眺め続けていると、リーリエの部屋の扉がノックされた。
「あ、はい。どうぞ」
「お邪魔するわね~」
入って来たのはリディア、ソフィア、そしてクロードの三人だ。
リディアは何が嬉しいのか、その顔に満面の笑みを浮かべている。
「リーリエ! おめでとう! 爵位をもらえるなんてよかったじゃない!」
「は、はい。未だ実感は無いですし、何をすればよいのかも分かっておりませんが」
「男爵なんて名誉称号なんだからそんなに気負わなくても良いわよ。ふんぞり返ってるだけでいいんじゃないかしら?」
「お母様、その言い方はいくら何でもひどすぎませんか……?」
カラカラと笑うリディアをソフィアがたしなめた。
「でも、リーリエはそのままのリーリエでいいと思うわよ。これからも良い香りの香水、楽しみにしてるわね?」
「はい。それはこれまでと変わらず頑張ります!」
気合を入れるリーリエを見て、リディアは優しい笑顔で頷いた。
そしてその笑顔をニヤニヤとしたものに変えた。
「ふふふ、これで立場は問題ないわね?」
「問題ない? 何の話ですか?」
「何って、決まってるじゃない。これでリーリエは貴族になった。庶民ではなくなった。つまり……」
「つまり?」
「クロードと婚姻を結んでも、問題なくなったわね?」
「……え?」
リーリエが固まる。まさかクロード本人がいる前でそんな冗談を飛ばされるとは思わなかった。
「な、なな、何を言っているんですかリディア様! わ、私なんかがクロード様と結ばれるわけ……!」
顔を赤くして慌てるリーリエ。そんな彼女の前に手をかざしてクロードが言う。
「そうですよ母上。私にだって選ぶ権利はあります」
クロードは顔を真っ赤にしているリーリエを見下ろして、言い放った。
「たとえ彼女が庶民であろうと貴族であろうと関係ない。俺は、彼女を妻にする」
「え”」
リーリエは自分を見下ろすクロードの表情を見て、そして悟った。
あぁ、どうやら自分は逃げることが出来ないらしい。
この国のすべての女性が憧れるだろう、華々しい人生から。




