第30話 顛末
「……生きてる」
リーリエが目を覚ますと、真っ白な天井が目に入った。前回目を覚ました、禍々しい部屋ではない。白く清らかで、決して鉄さびと血の香りのしない部屋だ。
ゆっくりと体を起こすと、真ん丸に目を見開いたソフィアがこちらを見ていた。かわいらしいその口がパクパクと開き、ようやく音を出す。
「お母様! リーリエさんが、リーリエさんが目を覚ましました!」
「本当!? まぁリーリエ! 目が覚めたのね! 本当に、本当に良かった……っ!」
ベッドのすぐそばで待機していたのか、リディアとソフィアが目を覚ましたリーリエに抱き着いてきた。大量に血を失ったリーリエにそんな二人を受け止められるわけもなく、再びベッドに倒れこむ。
「あ、あのあのあの、リディア様、ソフィア様。なにを……」
「もう! 勝手にいなくなっちゃだめじゃない! 心配したんだから!」
「リーリエさん、良かったですぅ……し、死んじゃったかと思いましたぁ……」
突然王妃と王女に抱き着かれ、目を白黒するリーリエ。傍にいたリッツがやれやれと言った表情でリディアとソフィアをたしなめる。
「リディア様、ソフィア様、そのくらいにしてあげてください。リーリエさんは目が覚めたとはいっても病み上がりですから」
二人が離れた後、リッツはリーリエに話しかける。
「リーリエさん。貴女は一週間ほど寝ていたんですよ」
「一週間も……」
「血を失っただけではなく、その状態で魔術を使用したので、心身に過度な負担がかかったのでしょう。結構危ない状態だったんですからね。とりあえず飲めるのであれば、こちらを飲んでください」
リッツがリーリエにコップを差し出す。甘い香りがした。
「イラクサの茶にはちみつを混ぜたものです。とにかく栄養を摂ることを第一に考えてください」
「はい、ありがとうございます。それで、あの後はどうなったんですか?」
リーリエが問うも、リッツに手で制される。
「その問いに答える前に、教えてください。リーリエさん。貴女は『香術士』なのですか?」
「あ、はい。一応、そうです。父が東洋出身で、香術士をしていたので、少し私も使える程度、ですが」
「何故それを黙っていたんですか?」
「え? あ、お伝えして、いませんでしたっけ? いえ、別に隠すつもりはなかったのですが……特別なことが出来るわけでもないので、気にもしていませんでした」
「……嘘をついているわけではなさそうですね。はぁ、貴女という人は、本当に、はぁ……」
疲れた表情で額に手を当てて深い溜息を吐くリッツ。リーリエが小声で『す、すみません』というと、さらにため息が追加された。
「あの、リッツさん。こうじゅつしって、何ですか?」
ソフィアが首をかしげて問う。
「ヴェランクール王国では馴染みがないですからね。知らなくとも無理はありません。東洋の民族が使用する一種の風魔術で、香りを魔力に乗せて飛ばすというものです」
「まぁ、なんだかとても素敵ね」
能天気に手を合わせて笑るリディアに、リッツは首を横に振った。
「素敵で済ませられるほど穏便なものでもないんですよ。例えば、実際にリーリエが使用した『ケシの花』を用いた香術では、香りを嗅いだ人に幻覚を見せますし、それこそスズランの毒を乗せて使うこともできます」
「あの、実際には効果はそんなに高くないので、死に至らしめるなどは出来ないですが……」
「それでもです。一時的な士気の向上や手足を麻痺させることなどもできますよね?」
「えっと……はい、おそらく。シナモンやトリカブトがあれば、ですが」
「……実力のある香術士は、たった一人いるだけで戦争の戦況を大きく変えると言われています。王国からすれば、要注意人物にあたるんですよ、貴女は」
要注意人物などと呼ばれ、リーリエはワタワタと慌てた。
「あの、でも、私は魔物除けや虫除けにしか使ってこなかったので! そんな大層な術だということも知らず……ご、ごめんなさい」
しょんぼりとうつむいて反省するリーリエ。別に、彼女が悪いことをしたわけでは無いし、聞かなかったオズヴァルトやリッツにも責任はある。リッツはそれ以上追及することはなかった。
「はぁ、もういいですよ。それで、あの後のことですね。簡単に経緯を伝えましょう」
リッツは紅茶を一口飲んで、再び口を開く。
「まず、主犯は大公の娘、ロレッタ・ベルナドットであると判決がでました。まぁ、当然ですね。彼女は自らが王妃となるために、邪魔になるクロードを殺そうとした。リーリエ、貴女に罪を押し付けてね。彼女は絞首刑が決定しました」
「こ、絞首刑……」
「王族に謀反を働いたのですから、当然です。次にライル様ですが、クロード様のポーションを毒入りのものとすり替えたことが判明しました。しかし、ライル様は婚約者であるロレッタに唆されて強硬に及んだとして、現在処罰を検討中です。クロード様自身がライル様をかばっておりますので、極刑になるようなことはないでしょう。最後にリーリエ、貴女についてです」
「わ、私ですか?」
「はい。貴女は無罪であることが確定しました。罪に問われることはありません」
リッツの言葉にリーリエはホッと息を吐いた。
「しかし、貴女は調合班からは外れてもらいます」
「そう、ですか」
仕方がない、とリーリエは思う。自分が来たせいで、王宮に混乱を招いてしまったのだ。実刑がないだけで儲けものだ。
「分かりました。すぐに荷物をまとめます」
すべてを受け入れたかのような表情で言うリーリエに、リッツがため息を吐く。
「全く、何を早合点しているのですか。貴女には引き続き王宮に仕えていただきます」
「え? ですが、調合班から外れると……」
「王宮専属の調香士として、これから働いてもらいます」
「専属の、調香士……?」
思いもかけない言葉にリーリエが固まる。
「そうです。リーリエさん。貴女は大変に調香の腕が良い。それはリディア様、ソフィア様、イザベラ様、クロード様のお墨付きです。その腕を生かさない手はない。これからは王宮に良い香りを届けるように尽力してください」
「……分かりました」
これ以上ない人に自分の調香の腕を認められ、さらに専属で雇ってくれるという。リーリエにとって嬉しいことこの上ない。
「では、早く体調を回復させてください。もう次の仕事は控えているのですから」
リッツの言葉にリーリエが笑う。もう調香の依頼が来ているらしい。しかし、そのリーリエの笑みは一瞬で消えることになる。
「復帰してから最初の香水は、現王、アルベルト・ヴェランクール様のものです。絶対に失敗することがないように、心して調香を行いなさい」
失敗したら死刑になるかもしれない。リーリエは硬直した。




