第29話 香術士リーリエ
クロードはオズヴァルトとリッツと共に駆けていた。向かう先は大公の屋敷である。
ロレッタがライルを誑かして自分に毒を飲ませたのだと、クロードは半ば確信していた。
「しかし、分かんねぇな。なんでリーリエをさらう必要がある? 何もしなけばライルが王になって王妃になれたのによ、ロレッタの奴」
「よほどリーリエさんを殺したい理由があったのでしょうか」
「理由は分からない。とにかくリーリエを助けよう。その後たっぷり聞けばいいさ」
豪奢で大きな屋敷が立ち並ぶ貴族街の中で、ひときわ大きく構えるのが大公、ベルナドット家の屋敷である。クロードは門番に向け鋭く言い放つ。
「第一王子のクロードだ。今から押し入るが問題ないな?」
突然の王子の訪問に、門番は戸惑いつつも訪ねる。
「ほ、本日はどのようなご用件で……」
「いいから通せ」
ドンと強く門番の肩を押し、クロード達が押し入る。
屋敷の扉は施錠されておおらず、クロードが強く引くとあっさりと開いた。
「ロレッタ! ロレッタはいるか!?」
クロードが叫ぶと、玄関ホールと二階をつなぐ広い階段を、ロレッタがゆっくりと降りて来た。その美形に笑みを浮かべて。焦りもなければ動揺もない。完璧な笑顔。
「あら、クロード様。お具合はもうよろしいのですか? 何やら計略により毒を盛られたと聞いたのですが……」
「しゃあしゃあと……っ!」
いきり立つクロードの肩をリッツが掴む。
「クロード様。下手なことはしない方が良いかと」
「くっ!」
クロードは悔し気に歯を食いしばった後、一度うつむいて大きく深呼吸をし、再度顔を上げる。
「……ロレッタ。心配をかけた。実は今朝方、容疑者リーリエの姿が消えてな。今、探し回っているところだ。暗殺者である可能性もあるからな。私と、第一王妃も狙われた。ロレッタ、君も大公の娘だ。命を狙われていたとしてもおかしくない」
「あら、私の身を案じてくださるのですね? とても喜ばしいですわ」
ロレッタは本当にうれしそうに笑みを浮かべ、両の掌を胸の前で合わせる。
「だから、この屋敷も調べさせて欲しい。暗殺者が潜んでいるかもしれないからな」
クロードの言葉に、ロレッタは何も躊躇することなく頷いた。
「えぇ、もちろんですわ! どうぞ、隅から隅までお調べになってくださいな。このままだと私、怖くて夜眠れなくなってしまいます」
しなだれかかってくるロレッタを手で制し、クロードが指示を出す。
「リッツは二階を、ヴァルは屋敷の周りを確認してくれ。俺は一階を探す」
「承知」
「おう」
リッツとオズヴァルトが短く返事をし、小走りで探し始める。
「案内は必要なくて?」
「不要だ」
ロレッタを一蹴し、クロードも探し始める。十中八九、この屋敷のどこかにかくまわれているはずだ。
◇
「いたか? 痕跡は?」
「二階には何も。ヴァルは?」
「外もからっきしだ。納屋も厠も宝物庫もな」
しばらく探したが全く手掛かりはつかめない。クロードが歯噛みする。
「暗殺者は見つかりまして?」
そんな三人にロレッタが問いかける。余裕綽々だ。
「いや。ロレッタ。大公家の屋敷はほかにもあるか?」
「いいえ、王都にあるのはここだけですわ。後は北方のベルナドット領土だけ」
「……そうか」
クロードが考え込む。確かに王都にある大公家の屋敷はここだけだ。しかし、懇意にしている貴族の屋敷を借りることもできるし、ベルナドット家が目をかけている商会の倉庫なども使うことは可能。選択肢が広すぎる。
「何か、手掛かりはないだろうか……」
焦り、ギリと歯を食いしばるクロード。そんな彼の鼻孔を、甘い香りがくすぐった。
「……香り。リーリエの魔香だ」
薄い。しかし確実に鼻に届いた香り。どこからか漂ってきたのだろうか。
「……」
無言でクロードが歩き出す。かすかなその香りを辿って。
「クロード?」
「クロード様?」
問いかけてくるオズヴァルトとリッツを置いて、歩く。たどり着いた先は書斎の扉。その扉の下から漂う、甘い香り。扉を開く。どうやら香りは本棚の下から漂ってきているようだ。
「地下だ……ヴァル! リッツ! 地下だ! おそらく地下があるぞ!」
――ギィン!
振り返り叫ぶクロードの目に入って来たものは激しい剣戟であった。
切りかかってくる兵士と、それを受けるオズヴァルト。
「ヴァル!」
「クロード! 多分あたりだぜ! ここは俺とリッツで抑える! さっさとリーリエを探してこい!」
「あまり長くはもちません! 早く!」
リッツが魔法で牽制し、抜けて来た相手はオズヴァルトが切り伏せる。緊迫した戦闘の向こう側で、ロレッタの笑みが見えた。
「バレてしまったのなら仕方がありません。クロード様、大変申し訳ありませんが、ここで死んでいただきますわ!」
「とうとう本性を現したか……この女狐が……っ! ヴァル、リッツ! すぐに戻る!」
書斎の入り口を二人任せ、クロードが中を漁る。幸い、床に擦り傷がある個所をすぐに見つけた。本来であれば、何かしらの仕掛けがあるだろうその本棚を、クロードは力に任せて引き倒す。激しい音を立てて倒れたその本棚の後ろには何もない空間が。
「跳ね上げ式の入り口か」
探す手間も煩わしく、思い切り床を踏みつける。蝶番が外れた扉は轟音を立てて外れた。現れたのは地下に続く階段である。
開くと同時に香るリーリエの魔香。これがもし、血液から漂っているとするならば……
「急がないと、まずい……っ!」
階段を駆け下りる。どんどん濃くなる魔香。
一番下にたどり着き、扉を蹴り開ける。
リーリエは、いた。
「リーリエ!」
部屋の真ん中に置かれたベッドの上。ベッドボードを背もたれにし、ぐったりと頭を垂れている。その左手から赤を滴らせながら。
「リーリエ! おい、リーリエ! しっかりしろ!」
クロードが叫びながらリーリエの腕を縛り、その頬を叩く。
「……くろー、ど、様?」
ひとまずは息があったことに安堵しつつも、クロードは手早く手錠を断ち切る。息はあったものの、致死量の血を流していることに違いはない。
「背負うぞ!」
血だらけのリーリエを背負い、クロードが駆ける。
「ヴァル! リッツ! 逃げるぞ!」
「そうしたいところだけどなぁ!」
「抑えるので……っく! 精一杯です!」
書斎の入り口を守るだけで精いっぱいだったのだろう。とても突破できる人数ではない。
「往生際が悪いですわよ? もう素直に死を受け入れてた方が潔いんじゃなくて?」
「っは! お前みたいな女狐に国を取られてたまるかよ! 加勢する!」
クロードがリーリエを下ろし、腰の件を抜き放つ。クロードとて、剣の素人ではない。
「リーリエが危ない! 多少無茶してでも突破するぞ!」
言葉の通り、クロードが前に出る。王子を切ってよいものかと一瞬ためらった兵士の首に、一閃。こちらは覚悟など最初から決めているのだ。
しかし、クロードが加わったと言っても、多勢に無勢は変わらない。早々に突破することなど叶わない。
「クソ! こっちは一秒でも早く脱出したいのによ!」
焦れたクロードが一歩攻め入る。
「ばっ! 危ねぇ!」
オズヴァルトの忠告。しかし、間に合わず。無理をして間合いを詰めたクロードの肩を、兵士の槍が貫いた。
「ぐああぁっ!」
「あら、情けない。王になろうとも言う者がそんな悲鳴なんかあげちゃって。少しはこらえたらどうですの?」
ロレッタが呆れたように言う。
「本格的に、まずいですね……」
リッツのこめかみに汗が流れる。どうあがいても絶体絶命だ。
じりじりと間合いを詰めてくる兵士たちにどう対応しようかと焦っていると、一陣の風が吹いた。
「……え?」
クロードが目を疑った。
足元を風が吹き抜けたと思ったのも束の間、兵士たちが一人、また一人と膝をつく。あるものは頭を押さえ、あるものは嘔吐までしながら。
「これは、いったい……」
リッツが何か特別な魔術でも使ったのだろうか。そう思いリッツを見ると、驚愕の表情でクロードを、いや、クロードの後ろを見ていた。
「香術士……」
リッツがポツリとつぶやく。
リッツの視線の先にいたのは、今にも倒れそうな。いや、花瓶の飾り棚に半分倒れるようにもたれかかっている少女、リーリエの姿が。手には花瓶に生けてあった、ケシの花。
「リーリエ、一体何を……」
「ケシの花の香は、幻覚作用があります……はぁ……はぁ……長くはもちません、早く……」
そこまで言うと、リーリエが崩れ落ちた。
「クロード! リッツ! 今は逃げるぞ!」
オズヴァルトの叫び声に我に返り、クロードはリーリエを抱えて走り出す。リッツはかまいたちを飛ばし、かろうじて立っている兵士たちを切り飛ばす。
「あ、貴方たち! 早く立ちなさい! 何をして……おぇ”っ!」
ロレッタにもケシの花の毒が回ったのだろう。膝をついて嘔吐する。
「ロレッタ。次に会うときは法廷だな」
間一髪。クロード達はベルナドット大公の屋敷から逃げ出した。




