第28話 失血
「……ここは?」
リーリエが目を覚ます。確かクロードに毒を盛った容疑者として拘留されていたはずだ。誰かが入ってきて、薬を嗅がされて眠りに落ちたところまでは覚えている。あれからそんなに時間は立っていないはずだ。
リーリエがいるところはどこかの地下室のようで、部屋に窓はなく燭台に灯る蝋燭の光だけがゆらゆらと揺蕩い壁に影を映している。身体を起こすと、最初に左右の腕に違和感を覚えた。手首にはめられている手錠。それは自分が寝かされているベッドのヘッドボードにつながれている。大男であれば壊すことが出来るかもしれないが、残念ながらリーリエはか弱い少女。壊すことなど到底出来そうにない。
現状を把握するために周囲を見回す。
斧。鉈。槍。ロープに鎖に鞭。どうやって使うのかはわからないが、その効果だけは想像できる見たこともない器具。
そして染みついた、血の匂い。
「……どうしよう」
何故自分がこんなところにいるのか、リーリエは理解できなかった。もしかしたら裁判はなく、すぐに死刑が決まったのかもしれない。心臓が早鐘のように打った。
しばらく何もできずに呆然としていると、扉につけられた鉄格子の向こう側から、ヒールが石段を叩く音が聞こえてきた。
ギィという錆びついた音がして、扉が開く
「あら、お目覚めですの? おはようございます、リーリエさん。ご機嫌はいかがかしら?」
入って来たのは紅髪の美女、ロレッタだ。
「ロレッタ様、どうして……」
ロレッタはリーリエの問いには答えず、その美しい顔に笑みを張り付けたまま近づいてくる。手にナイフを一本持って。
「何を……いっ!」
何の予告もなく無造作に、ロレッタがリーリエの手首を切りつけた。飛び散る鮮血。ロレッタはリーリエの手首から流れるそれを指でなぞると、恍惚の表情でぺろりと舐めた。
「ふふ、ふふふふふ。ねぇ、貴女何者? なぁに? この不思議な香りは。まぁ、なんだっていいわ」
ロレッタはリーリエの手首を持ち、血の滴る指先を瓶に入れる。ツウと赤が垂れ、溜まっていく。
「リーリエ様……」
「これ。この香りでクロード様を誑かしたのでしょう? ふふ、この血さえあれば、私だって……。ライル様で妥協しようともおもったのよ? けれど、やはり出来損ないの第二王子より、賢い第一王子よね」
「貴女は……」
リーリエがロレッタの目を見る。その目に浮かんでいるのは、狂気の光だ。
「もとはと言えば、見る目の無いクロードが悪いのよ。私のアプローチを無下にして、貧乏くさい他国の芋姫と婚約するなんて。だからね、殺してあげたの。この国の未来を思うのなら当然よね?」
「貴女が、シルヴィア様を殺したんですか?」
「そうよ? ヴェランクール王国にあんな不純な血を入れてたまるものですか。あの薄汚い女さえ殺してしまえば丸く収まると思ったのに、クロード様ったら塞ぎ込んでしまうんですもの。不甲斐ないわよね。だから私はライルを王にしようと思ったのよ。クロードはもう再起不能ですし。ちょっとライルだと物足りないけれど、私が王妃になって支えて上げれば良いだけですものね」
ぺらぺらと、ロレッタは語る。どんどんたまっていくリーリエの命を眺めながら。
「すべてが順調だと思っていたのに、急に邪魔が入るんですもの。誰のことを言っているか分かるかしら? 分かるわよねぇ!?」
「痛っ!」
ロレッタがリーリエの傷口を強く抑えた。思わずリーリエがうめく。
「あら、ごめんなさい。ふふ、取り乱しましたわ。まったく、クロード様ったら今度はただの庶民の薄汚い小娘にご執着だなんて。少し趣味を疑ってしまいましたわ。けれど、元気になったのなら、私がクロード様に添い遂げればよいだけ。貴女のこのはしたない血液さえあれば、彼を手に入れることなんて造作もないこと。ね、そうでしょう?」
「わた、私は……ぁ……」
血を抜かれ続けるリーリエの視界が暗転する。
「っとと。とりあえずこれくらいでいいかしら? あまり一気に抜きすぎるとすぐに死んじゃうものね」
「……」
瓶いっぱいにたまったリーリエの血液を見て、ロレッタが満足気に頷いた。リーリエの腕にきつく縄を巻いて止血する。
「とりあえず、毎日この瓶いっぱいはいただくわね? せいぜい死なないように、たくさん血液を作るのよ? 食べ物は置いておくわね」
リーリエの横に置かれたのは、堅パンと干し肉、それと水。死ぬなら死ぬで構わないのだろう。
「それじゃ、ごきげんよう」
「……」
「あら? もう死んじゃったのかしら? まぁそれでもいいのだけれど」
もうリーリエには興味がなくなったのだろう。ロレッタはベッドに座りうつむくリーリエに振り替えることもなく去っていった。
◇
「……っ! 生きてる……」
急速に血を抜かれて意識を失っていたリーリエが顔を上げた。瀉血しすぎた時のような強い貧血感と、冷たくなった手足。ぼやける視界。
「とりあえず、致死量では、なかった。だけど……」
おそらく次、血を抜かれれば、もう死んでしまうだろう。これだけの食糧で、血液を元に戻すことなんてできるわけがない。
リーリエは焦る。どうにかして、現状を打開しなければ。
しかし、こんなに弱った身体で拘束具を外せるわけもない。
「誰か、誰か来てくれれば。せめて屋敷の中まで……」
リーリエの祈りが届いたのか、上の方から喧騒が聞こえて来た。誰が来たのか、何をしているのかは分からない。
分からないが、おそらくこの機会を逃せば、リーリエを待つのは死だけだ。
「香術……使うのは、久しぶりだな」
リーリエは腕を止血しているロープを、口を使ってほどいた。ふさがり切っていない手首の傷から、血液が流れ始める。
「早くしないと……」
傷口に口を付け、その血を口に含む。
十分にすすったそれを、リーリエは霧状に噴出した。甘く香り立つその香りを、魔力にのせてリーリエは上へと飛ばす。
もし自分のことを知っている人であれば、これで分かってくれるはずだ。自分はここにいるのだと。
「お願い、届いて……」
血を失ったリーリエは、再び意識を失った。




