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第26話 応急処置

 あわただしい足音と怒声が聞こえて来て、リーリエは顔を上げた。リディアに頼まれて始めたアロマキャンドル作りもようやく様になってきて、納品しても問題がないレベルになった。

 リーリエは何が起こったのかと立ち上がり、部屋の扉を開ける。


「へ?」


 開けた先にはオズヴァルトの姿。険しい表情でリーリエを見下ろしている。


「あ、あの。オズヴァルトさん? 何が……」


「その間抜け面……。演技だとしたらとんでもねぇな。とりあえず来い」


「え? キャァッ!」


 いとも簡単に腰を抱えられる。


「オズヴァルトさん! お、降ろしてください!」


「クロードが毒を盛られた」


「……え?」


「今はまだそれしかわからねぇ。夕餉に入っていたのか、一緒にいた弟のライルが盛ったのか……いつも飲んでいるスタミナポーションに仕込まれていたのか」


「ポーション……ぁ……」


 オズヴァルトの言葉を聞いてリーリエは理解した。疑われているのだ。

 しかし、今はそんなことはどうでもいい。


「く、クロード様は大丈夫なのですか!? 容体は!?」


「……分からねぇ」


 そこでリーリエは気が付く。オズヴァルトから香る異臭。アルコールと、ブドウ……これはワインの香りだ。その中に混ざる胃液、そして甘く、どこか青臭い鉄のような香り……。


「オズヴァルトさん! 何を盛られたのかもう分かってますか!?」


「分かるわけねぇだろうが! 今ここに連れて来たばっかりなんだよ! リッツが容体を確認中だ!」


「スズランです!」


 リーリエは確信をもって叫ぶ。


「盛られたのはいつですか!? 木炭を細かく粉末にしたものを水に混ぜて飲ませてください!」


「お前、なんでそんなことが……」


「毒を服用して一時間以内なら間に合います! 急いで、早く!」


「……嘘だったら承知しねぇからな!」


 オズヴァルトにはリーリエの言葉の真偽は分からない。しかし、嘘だと断じて手遅れになってしまうことが一番の悪手だ。

 オズヴァルトはリーリエを抱えたまま、クロードの元へ駆ける。



 リッツはクロードの容体を見て焦っていた。どんどん症状が進行していく。早く処置をしなければならないが、毒の種類がわからなければ、どうしていいかわからない。

 オズヴァルトが持って来たポーションの瓶に目をやる。ほかの調合士が作ったポーションを飲ませるか。いや、それでそっちのポーションにも毒が盛られていたら、クロードの命の火はほぼ確実に消えるだろう。


「症状からして、夾竹桃か……いや、砒素類の可能性も……くっ、断定できない」


 強く歯を食いしばる。判断せねばならない。己が。しかし判断材料がない。

 下手に投薬を行えば症状が悪化する可能性だってある。

 だったら今からポーションを作成するか。時間が、足りるだろうか。

 歯噛みするリッツのもとに、オズヴァルトがリーリエを抱えてやって来た。リッツは驚き、そして怒鳴る。


「ヴァル! どうしてリーリエを連れて来たんですか!? 彼女は第一容疑者ですよ!?」


 オズヴァルトが答える前に、リーリエが口を開く。

 

「リッツさん! スズランです!」


「スズラン!? なぜあなたにそんなことが分かるんですか!?」


「匂いです! スズラン特融の甘い香りと、毒が反応した青臭い鉄のような匂い!」


「多量のワインに溶けた毒の匂いが分かるわけ……っ!」


 言いながら、リッツは思い出す。以前、彼女を疑って尾行していた時のことを。常人であれば絶対に気が付くことなどできないであろう、自分の魔香。数百メートルは離れていたというのに、彼女は確信をもって問いかけて来た。市場に何を買いに行ったのかと。常人離れした彼女の嗅覚であれば、確かにかぎ分けることが出来るのかもしれない。


「しかし……」


 悩むリッツに、オズヴァルトから降りたリーリエが詰め寄る。


「スズランの毒は摂取後一時間を過ぎたら取り返しがつかなくなります! 今ならまだ間に合いますから!」


 言いながらリーリエは墨を薬研で砕く。細かくなったそれに、水とハチミツを混ぜる。


「炭は毒素を絡め取ります! これをクロード様に!」


「だから、貴女は容疑者の一人だと……っ!」


「これで治らなかったら、私を殺しても良いですから」


「……っ!」


 リーリエはリッツの目を見て、真剣に言う。そこに嘘やハッタリは無い。ただ、クロードの命を救いたい。それだけなのだろう。

 なおも悩むリッツの肩に、オズヴァルトが手を置いた。


「信じても良いんじゃねぇか。そもそも、暗殺を企てていて、それを隠し通せる程器用な奴じゃないだろ、そいつは」


「それは……」


 リッツはリーリエのことを思い出す。初対面でよろけて倒れこんで来た時のこと、調香してよいと伝えた時の嬉しそうな顔、青柚子を買っているときの間抜けな鼻歌に、それが見られていると知った時の恥ずかしそうな表情。どれも演技だとは思えない。


「分かりました。信用しましょう。いずれにしても、クロード様が助からなければ、少なくともリーリエさんと私は絞首刑でしょうから」


 リッツはクロードをかばうように座っていた体をどける。リーリエが急いで座り、スプーンで即興の薬を口に含ませた。


「……げほっ……がはっ!」


「……お願い、飲んで……」


 幾度と試すも、クロードが拒絶しているかのように、喉を通らない。

 リーリエは意を決したような表情になると、その薬を口に含み、自らの唇をクロードのそれと重ねる。


「なっ!」


 オズヴァルトが絶句する。王族に許可なく接吻をするなど、重罪どころではない。

 クロードは意識がもうろうとしながらも、自らの唇に触れる柔らかいものと、リーリエの魔香を感じていた。

 その眉間から険が取れる。


「……飲みました」


 コクリ、コクリと弱々しくも確かに、クロードは薬を飲んだ。

 少々量のあるそれをすべて飲み切ってから、数分後、クロードが激しく嗚咽して黒い液体を吐き戻す。

 その姿にオズヴァルトが慌てる。


「お、おい! 大丈夫なのかよ!?」


 それにこたえるのはリッツだ。


「……炭が胃の中の毒素を吸着したはずです。吐き戻すのはむしろ良いことですよ」


 吐き戻した後のクロードの様子は、変わらず苦しそうではあるが、症状が進行している様子はない。


「体に入った毒素をすべて出し終わるまではしばらく苦しいでしょうが、毒がスズランのものであれば、ほとんど吐き出し終わっているはずなので、これ以上悪化はしません。その間に、ポーションを一から作成しましょう。信頼できるものの目の前で製造から服用まで行えば、毒を盛る隙も無いでしょう」


 リッツが額の汗をぬぐう。ひとまず窮地は脱したと判断したのだろう。


「オズヴァルト。王に報告を。あと、リディア様とソフィア様をお連れしてください。彼女たちに立ち会ってもらいます」


「あぁ、行ってくる!」


 リッツはその後にリーリエに視線を向ける。


「リーリエさん、ありがとうございました。貴女のその嗅覚がなければ、判断が遅れていたかもしれません」


「いえ、私は……」


「しかし」


 リッツはリーリエの言葉を遮る。


「貴女は窮地の立場に追いやられるでしょう。どこの誰が入れたのかはわかりませんが、ポーションに毒が入っていたということは事実です。まず一番に、貴女が疑われます。しばらくは慎重に行動してください。誰も信用せずに。言いですね?」


 リッツの真剣な表情を見て、リーリエは一度息を飲んでから頷く。

 クロードは窮地を脱した。次に窮地に追いやられるのは、リーリエだ。

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