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第25話 毒

 イザベラは自らのために作られたポーションのコルクを抜き、そこにスズランの毒と、リーリエの血液を入れた。透明な液体に落ちた朱色はすぐに溶け消えた。

 さらに、リーリエから納品された香水の瓶のひとつにもスズランの毒を入れる。最後に専用の道具でコルクを再び詰めれば、準備完了だ。


「さぁライル。このポーションをクロードに飲ませるのです」


 ライルは神妙な面持ちで毒入りのポーションを受け取る。今夜、この毒を兄に飲ませるのだ。

 何も言葉を発さないライルに、イザベラが声をかけようと口を開く。


「ライル。分かっているとは……」


「分かっています。母上」


 ライルはイザベラの言葉を遮った。


「これは、国のために必要なこと。兄様を守るためにも必要なこと。分かっています」


 きつく毒入りのポーションを握りしめる。自分がやらなければ、国が滅びてしまうのだ。国を守るために必要なことは、なんでもやってやる。


「その意気ですよ、ライル」


「ところで母上。解毒剤はどちらに?」


「解毒剤? えぇ、もちろん用意してありますよ」


 イザベラは机に置いてあるポーション瓶をひとつ掴み、それをライルへと手渡した。


「クロードが少しでも苦しむ様子を見せたなら、これを飲ませなさい。すぐに解毒されます」


「分かりました」


 クロードはイザベラから受け取った解毒剤を大切そうに胸に抱いた。


「準備は整いました。クロードに毒を飲ませましょう。ライル、失敗は許されませんよ」


「はい、母上」


 硬い表情で拳を握りしめるライル。ロレッタがその手を優しく包み込む。


「ライル、貴方なら絶対に出来るわ。頑張りましょう、ヴェランクール王国の為に」


「はい、ヴェランクール王国の為に」


 決行は、今夜だ。


 ◇


「兄様。失礼します」


 控えめなノックと共に、ライルがクロードの部屋に入る。


「いらっしゃいライル。お前が俺の部屋に来るのも、久しぶりだな」


「そうですね。兄様の部屋は少し、書類が増えましたね」


 ライルは自然な流れで部屋を見回す。数年前に入った時と同じ配置の家具と、同じ香りの空気。ポーションの瓶は、机の上だ。


「ちょっと散らかってるが、まぁ気にするな」


 言いながらクロードは椅子を引いた。ライルがそこに腰掛ける。


「兄様、今日は……」


 早速本題に入ろうとしたライルをクロードが手で制した。

 

「まぁそう急くな。実はな、父さんの秘蔵庫からこっそり良い酒を拝借してきたんだ。まずは一杯やろう」


 クロードが取り出したのは一本のワイン。瓶に刻印された年は、もう二十年前のものだ。


「全くもう、兄様は……怒られても知りませんよ?」

 

「なぁに、あんなにたくさんあるんだ。一本くらい分からないさ。それに、二年前のお前の成人の義ではろくに祝ってやれなかったからな。その祝いも兼ねてさ」


 ライルが十五歳になり成人の義を迎える数ヶ月前に、シルヴィアは事故にあった。クロードは塞ぎ込み、成人の義に出席したは良いものの、ほとんど言葉を発さずに俯いていた。


「お前には本当にさみしい思いをさせた。すまなかったな」


「兄様……」


「とまあ、湿っぽいのはやめにして、今日はお前の話を肴にたっぷりうまい酒を飲ませてもらうとしよう」


 クロードは小気味いい音とともにワインを開けて、グラスに注ぐ。


「僕は相談に来たのですが……」


「ロレッタのことだろう? 酒が入っていたほうが口も回るだろう。良いからほら、乾杯」


 クロードが掲げたグラスに、ライルは嘆息しながらも自らのそれをぶつけた。


「仕方ないですね……乾杯」


 お互いにグラスを傾けた後、クロードがニヤリと笑う。


「これで共犯だな?」


「ぶっ! ちょ、兄様! 僕は……っ!」


 危うくふきだしかけたライルを見て、クロードが笑みを深くする。


「冗談だよ、冗談。まったく、ライルは素直な奴だな」


「やめてくださいよ兄様」


「それじゃ、ぼちぼち本題に入ろうか。いったいロレッタの何に悩んでいるんだ?」


「えっと、それはですね……」


 グラスを傾けながら、兄弟の会話は進んでいく。



「っと、すまない。ちょっとトイレに行ってくる」


「はい、行ってらっしゃい兄様」


 弟の恋愛話に酒が進み、クロードは尿意を覚えて立ち上がり部屋を出ていった。

 部屋に一人残されたライル。完全に信用されている。

 

「兄様。ごめんなさい」


 ライルは兄のポーションとスズランの毒が入ったポーションを入れ替えた。酒も回っている。ライルが進めれば、すぐにでもクロードはその毒入りポーションを手に取るだろう。


「……これは、国のため、兄様のためにも必要なこと」


 ライルは少しだけ目をつむった後に、椅子に座る。

 静寂の中で目をつむっていると、数分後に兄がトイレから戻って来た。


「待たせたなライル。それで、ロレッタが妙に冷たいときがあるという話だったよな」


「兄様、おかえりなさい。そうですが……アルコールばかりを摂取していると体に毒です。少し水分を取られては?」


「ん、あぁ。確かにそうだ。いつもこの時間にスタミナポーションを一本飲んでいるんだ。リッツの奴にはあまり常用するなと言われているんだけどな。そんなに体に悪いものでもないだろう」


 何も疑うこともなく、クロードがポーション瓶を掴む。ライルがごくりと唾を飲み込んだ。

 クロードが蓋を開け、口を付けようとして止まった。


「……これは」


「ど、どうかしましたか!?」


 気づかれた。そう思ったライルが冷や汗をかく。


「いや、なんでもない」


 そのままクロードはそのポーションを口にする。


「……甘い香り、前に飲んだものと同じだ。懐かしいようで、それでいて寂しいような、胸を締め付けられるような感覚」


 前にクロードがオズヴァルトから半ば奪うようにして飲んだスタミナポーション。それに酷似している。


「やはり、リーリエの作るポーションに何かしら秘密が……」


「に、兄様? どうかされましたか?」


「いや、なんでもない。ところで話の続きだったな」


 椅子に座ろうとして、クロードはそのまま地面に倒れた。


「兄様!?」


「あぁ、大丈夫だ。すまない、久々にしゃべりながら酒を飲んだから良いが回ったようだ。ちょっとベッドに……」


 立ち上がり、ベッドの方に歩こうとして、再び崩れ落ちる。


「っとと、本当に酒が回ったかな? ライル、すまないが続きはまた後日に……うぐっ……」


 突然、クロードが嘔吐した。床に吐き散らかされる吐しゃ物。あまり夕餉を口にしていなかったのか、ワインの紅ばかりが床に広がっていく。


「ゲホッゲホッ! ぐ、これはちょっと、まずいか……ライル、すまないがリッツを……」


 ライルは震えながらクロードを見ていた。己の吐いた紅の中で、蒼白になり視線が定まっていないクロードが、それでも冷静に自分に言葉を紡ぐ姿が異様だった。兄をそんな風にしてしまったのが自分だと信じたくなかった。

 もう十分に吐いたのに、まだ吐き足りないのか、クロードの喉からせりあがるような音が漏れ、床が赤く染まっていく。


「ライル……」


「に、に、兄様……」


 ライルは足がすくんで動けなかった。母からもらった解毒薬を早く飲ませなければいけないのに、足がすくんで動けない。

 その時、扉が強くたたかれた。


「クロード! おい! 大丈夫か!?」


「ひっ!」


 聞こえてきたのはオズヴァルトの声。たまたま通りかかったのか、それともクロードに用があったのか。

 扉の外で中の音が聞こえたのだろう。オズヴァルトは執拗に扉を叩く。


「おい! クロード! 開けるぞ!? いいな!?」


 しばらくドンドンと扉を強くたたく音がしたあとに、オズヴァルトが部屋に入って来た。


「クロードっ! ……おい、おいクロード! しっかりしろ!」


 棒立ちのライルを突き飛ばし、オズヴァルトはクロードの身体を強くゆすり、その頬を叩く。


「しっかりしろ! 何があった! ライルに何かやられたか!?」


「ぐ、おぇ……」


「クソ! 毒かよ!」


 オズヴァルトはライルを強くにらみつけた。


「ライル! お前何をした!?」


「ぼ、ぼく、僕はただ……」


 足が震え、ただただ立ち尽くすライルの姿と、床に転がるポーションの瓶。


(ライルが何も知らずに使われたか、良いように騙されたか……それともリーリエが暗殺者だったか。これだけだとわからねぇな。とりあえずは、クロードを何とかしねぇと)


「クロード! 今リッツの元に連れて行く! 少し我慢しろよ!」


 吐瀉物にまみれることなど意にも介さずに、オズヴァルトはクロードを抱えた。己の身体を抱いて震えるばかりのライルを一瞥し、走る。

 向かう先は調合班の建物だ。

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