第22話 暗殺準備
薬草屋の少年ピノは緊張の面持ちでリーリエの部屋の扉を叩いた。初めて会ったときにその美しさに目を奪われたというのに、リーリエはさらにどんどん美しさを増していく。そしてピノを悩ませているものがもうひとつ。彼女の香りだった。どうしようもなく彼女にひかれてしまう。
それと同時に、ピノは彼女に恋をしてはいけないとも思っていた。リーリエと香料の抽出を行っていた時のことを思い出す。唐突に表れた第一王子、クロード。彼は明らかにリーリエを意識していた。そして明らかに、自分を見る目が冷たかった。
それがどんな感情であったにせよ、クロードはリーリエに好意を寄せている。それは明らかだった。自分のような庶民が王族の気に入っている人を奪うなど、していい訳がない。
「はい。あ、ピノさん。いらっしゃい」
「あ、は、はい」
それでも彼女と香料の、とりわけ植物由来の香料の会話をすることは、多分自分にしかできない。香料の話をしている間だけは、彼女を独占できる。
そんな自分の汚い下心に気づかれぬよう必死に取り繕って、ピノは口を開く。
「注文されていた香料をお届けに来ました。毒性が強いので取り扱いには注意してくださいね」
ピノがカバンから小瓶を取り出す。甘い香りが少しだけ周囲に広まった。その香りを嗅いだリーリエが小首をかしげる。
「スズランの香料、ですか?」
「はい。珍しい注文が入ったなと思っていたんです。スズランの香料と抽出成分の水溶液、ですよね。害虫除けの芳香剤でも作るんですか?」
「えっと、多分私の注文では無いと思います。最近香料が充実してきて、注文もしていないので」
「え、そうなんですか? 申し訳ありません。香料だったのでてっきりリーリエさんからの注文だと思い込んでいました。えっと、あて先は……ロレッタ・ベルナドット? そういえば二年くらい前にも同じ注文が、この人名義であったような……。ごめんなさいリーリエさん。間違えてしまったみたいです」
「いえ、お久しぶりにピノさんと話せて良かったですよ。もし珍しい香料が入ってきたら、ぜひ連絡をください」
「え、あ、はい! もちろんです! では、納品に行ってきます!」
ピノは少し顔を赤くして去っていく。向かう先は大公の娘、ロレッタのところである。
◇
「兄さん、少し時間を頂戴しても良いですか?」
夕方の中庭でクロードとオズヴァルトが会話をしていると、ライルがやって来た。
「あぁ、構わない。ちょうどヴァルとの会話も一段落ついたところだ。じゃあなヴァル」
クロードに会話の終わりを切り出されたオズヴァルトは、しかし、言葉を返さない。先ほどまでの笑顔を消して、ライルを見ている。
「ヴァル?」
「……あぁ、すまない。じゃあなクロード。気を付けろよ?」
「ん? あぁ」
背中越しにひらひらと手を振りながらさっていったオズヴァルトを見送ってから、クロードはライルに体を向けた。
「どうしたライル。また剣の稽古か?」
「いえ、そういうわけでは無いのですが、少し相談事がありまして」
ライルの言葉を聞いて、クロードは少し微笑んだ。
「ど、どうかしましたか?」
「……いや、少し懐かしいなと思ってな。昔はよくこうやってライルの悩みを聞いていたことを思い出しただけだ。どうしても冷えたレアの牛肉が食べられないと涙ぐみながら相談してきたこともあったな。くくく、大きくなったな、本当に」
「い、いつの話をしているんですか! 僕はもう大人です!」
「まぁそう怒るなって」
クロードがライルの頭に手を伸ばす。いつも斜め下伸びていた腕は、大分地面に平行になって来た。追い越される日も近いかもしれない。
「お前が変わらずに相談に来てくれたことが嬉しいんだ。ところで相談ってのはなんだ?」
「えっと、ここでは少し、話しづらい内容で……。今度時間があるときに兄さんの部屋に行ってもいいですか?」
「なるほど、ロレッタ関係だな? 女性は難しいよな。何だったらオズヴァルトも呼ぶか?」
「は、恥ずかしいので兄さんだけにしてください!」
「はっはっは。それはそうか。じゃあ今から俺の部屋に来るか?」
そう誘うクロードの言葉に、ライルは慌てて首を横に振った。
「い、いえ! まだ自分でも整理が出来ていないので……。来週の土の日の夜、夕餉の後にお邪魔してもよいでしょうか」
「分かった、空けておこう。要件はそれだけか?」
「……えっと、よろしければ今日も剣の稽古に付き合ってくれますか?」
「もちろんだ。では木剣を持って中庭に集合しよう」
自分に対して全く不信感を抱いていないクロードの姿に、ライルは胸を痛めながら木剣を取りに走っていった。
決行の日は、来週の土の日の夜に決まった。




