第15話 魅惑の香水作り
城下町の端っこで、小さな薬草屋を祖母と二人で営む少年ピノは、おそるおそる城門をくぐった。この城門をくぐるのはこれで二回目である。前回は二年ほど前のことだったが、あの時も今と同じように緊張していたことを思い出す。
肩に触れるくらいに伸びた柔らかな栗毛、頬に残るそばかすとあどけない顔。線の細い体にエプロン姿も相まって、遠目で見ると少女に見えなくもない。
屈強な門番にビクビクしながらも、リッツのサインが入った商業許可証を見せ、調合班の建物へとかけていく。
ピノが調合班に来たのは香料の納品の為である。王宮御用達の商会から納品を依頼された香料は、『アグルウッド』と『アイリスルート』のふたつ。どちらも特殊な製法であり流通量も少ないため大きな商会では取り扱いがなく、植物関係に強い薬草屋のピノのもとに依頼が来たのだ。
ピノが依頼主の部屋までたどり着き、その扉の前で立ち止まる。
依頼があったのは結構前のことだ。随分とお待たせしてしまった。もしかしたら、依頼主は怒っているかもしれない。
そんな気弱なことを考えて足がすくむ。しかしここまで来て引き返すわけにもいかない。意を決してノックをしようとしたピノだが、ノックをする前のその扉が開いた。
「こら、リーリエ! 逃げないの!」
「わ、私にこんな格好は似合いませんよ!」
まるで逃げるように出てきた少女を見て、ピノの息が詰まった。
流れるようなグレーの髪を内巻きにした、優し気な瞳の少女。線が細く華奢だが肌艶は良い。そのはかない美しさを優しく強調する若草色のドレスと、金色のネックレス。そして何よりもピノの心を掴んだ、胸を締め付けるような甘く切ない香り。
視線も思考も、一瞬で奪われた。
「あの、貴方は?」
「……え? あ、はい! すみません! 僕は薬草屋のピノっていって、あの、香料のお届けに来ました!」
ピノの言葉を聞いて、美しい少女、もといリディアとアリスに魔改造されたリーリエは花の咲くような笑顔を浮かべた。
「本当ですか! 待っていたんです! 確認したいので、一度部屋に入ってもらってもいいですか?」
こんなに可憐な少女の部屋に足を踏み入れていいものか。ピノはそう悩んだが、ただ香料の納品に来ただけである。特に問題はないと思いなおし足を踏み入れた。
踏み入れた先にいたのは、青い髪の無表情な少女と、ベッドに腰掛ける着飾った女性。女性の方は一目みただけで絶対にやんごとなき身分の女性だと分かった。
「リディア様! 香料が揃いました! 早速調香しましょう! ピノさん、品物を出して貰ても良いですか?」
「あ、は、はい!」
緊張した面持ちでピノが香料を取り出す。小瓶に詰められたふたつの香料。リーリエはその蓋を開けて軽くにおいを確かめる。
「すごい……かなり質が良いです。リディア様、失礼いたします」
リーリエはリディアに正面から近づき、まるで恋人を抱く男性のようにその腰に手を回した。そのままリディアの首筋に鼻を近づける。
「あらあらまぁまぁ……」
「優しくて慈悲深く、包容力のある香り。それでいて上品……」
リディアの香りと、想定よりも強く香りを放つ香料を頭の中で混ぜ合わせ、想定していたレシピを微調整する。思い描いたレシピが消えないようにと、リーリエはすぐに調香を始めた。
「トップはネロリとリツェアクベバで高揚感と多幸感を出して、そこに柚子も混ぜていつものリディア様の安心感も含ませよう。ミドルはイランイランとダヴァナ。官能的でいて、それでいてダヴァナでリディア様本来の魅力的な香りを引き出す。ラストはアグルウッドとアイリスルート。セクシャルな余韻で、相手に物足りなさを感じさせる。また次もリディア様のもとに来たいと思わせる香りにしあげよう」
ぶつぶつとつぶやきながら調香をするリーリエ。その表情は真剣そのものだ。そんなリーリエを見てピノがぽつりともらす。
「……貴族様のご令嬢は、ご自分で香水を作成されるのですね」
「貴族? ふふ、リーリエはただの調合士よ。貴族に見えた?」
「すごく、綺麗な方ですから……」
ピノはどこか熱っぽい瞳でリーリエを見つめる。それは尊敬か、憧憬か、それとも恋か。その視線に含まれる感情に気が付いているのか、リディアがぽつりと独り言ちる。
「クロード。悠長にしていると、あっという間に取られるわよ」
◇
「そりゃリディア様の言うことがもっともだな」
リディアにお叱りを受けてから数日後、クロードはオズヴァルトのもとを訪ねていた。要件はもちろん、女性の扱い方についてだ。
「しかし、私はリーリエに特別な感情は抱いていない。女性の扱い云々の前に、女性として見ていないんだ」
「お前は本当にあほだなぁ」
オズヴァルトはあからさまにやれやれと首を振った。そんな彼の様子にクロードがムッとするが、どこ吹く風だ。
「たまたま飲んだポーションがリーリエの作成したもので、それポーションの魔香に心惹かれたんだろう? そりゃ、もう恋みたいなもんだろうが」
「しかし、たかが香りくらいで……」
「俺の親父は、おふくろの顔が好きで求婚したっていってたぜ。それと何が違う」
「違うだろう。見た目で好きになれば、それは恋だ」
「じゃあ性格だったら? 声だったら? その人の生きざまだったら? 歩き方や所作だったら?」
「それは……」
「人が人を好きになるなんて、要素は何だっていいんだよ。顔でも声でも性格でも。もちろん、香りでもな。いや、むしろ香りの方が恋に近い。知ってるか? 自分と近い血の人間のにおいって不快に感じるらしいぞ」
「それがどうしたんだ」
「近親相姦が起こらないようにだよ。だから逆に言うと、においで惹かれる相手は血が遠い。つまり遺伝子を残すための愛称が良いってことなんだよ。言ってることは分かるよな?」
「それは……まぁ……」
「百歩譲って恋かどうかは置いといたとしても、塞ぎ込んでるお前を引きずり出してる時点でリーリエはお前にとって『特別』な存在なのは確かだろうが。だったらそれ相応の態度を取ってやれよ。少なくとも彼女はお前のせいで住み慣れた家を離れて、一人でこの王宮に来てんだ。王族の近侍とかはよくわかんねぇけどよ、王族の前に男だろ。男として恥ずかしくない対応を取れ」
「王族の前に男……確かにそうだな」
シルヴィアの一件から、クロードは極力親しい人を作ろうとはしなかった。親しくなった人をまた失うのが怖かったのだ。だからリーリエのことも、あくまでも調合士という記号としてしか見ていなかった。一人の人間として接して、親しくなるのがこわかったのだ。
「ありがとう、ヴァル。お前にはいつも助けられるな」
「時機に騎士団長になる男だぜ、俺はよ。王族を助けるのは当たり前のことだ」
どこまでも快活なオスヴァルトに感謝を伝えてクロードは歩き出す。
調合士リーリエ、いや、リーリエという名の少女のもとへ。




