第12話 第二王妃 リディア
クロードが気にかけている少女がいる。第二王妃リディア・ヴェランクールが侍女からそんな噂話を聞いたのは夕餉の時だった。
クロードの許婚であるシルヴィアが不幸な事故に遭う前までは、夫こそ中々顔を出すことは無いものの、息子のクロードと娘のソフィアとは毎日のように一緒にご飯を食べていた。
しかしクロードが塞ぎ込んで、ソフィアまでも元気がなくなってしまってからは一人で食べることが多くなった。
今日もため息混じりに味のしない豪華な夕餉を食べていると、侍女がそんな話を持ち出してきたのだ。
「あの塞ぎ込んでいたクロードが?」
「はい。どうやら自分の専属調合師にするほどに気に入っているとか」
「専属調合師に!? そんなに気を許しているというの!?」
リディアは夕餉中にもかかわらずガタリと立ち上がった。
「リディア様。まだお食事中でございます」
「良いじゃない。どうせ貴女と私しかいないのだから」
許婚を亡くして塞ぎ込んでいた息子が、再び人に心を開こうとしているのだ。この機会を逃すわけにはいかない。
それにもし二人が良い仲になって結ばれるようなことがあれば、早々に孫を抱っこすることができるかも知れないのだ。
王子と調合師では格が違い過ぎて周囲に反対されるかもしれないが、そんなことはどうでもよい。第二王妃リディアは、はやく孫の顔が見たかった。
「アリス。早くその少女のもとに案内しなさい。今直ぐに!」
「しかしリディア様。まだお食事中でございます」
「構いません。案内しなさい」
「承知いたしました」
リディアは王妃とは思えぬフットワークの軽さで、調合班の建物へと向かう。
「それで、その少女の名前は何というの?」
「調合士の、リーリエです」
◇
「リーリエ! 調合士のリーリエはどこ!?」
リディアは侍女のアリスを連れて、調合班の建物を早足で歩く。ただならぬ様子に調合士たちは顔を引きつらせつつも頭を下げる。騒ぎを聞きつけてリッツが走って来た。
「リディア様! 調合班にどのようなご用件でしょうか?」
「リーリエという調合士のもとに案内しなさい!」
「承知いたしました」
リッツは理由も聞かず、深く頭を下げてリディアを案内する。内心はひやひやであるが。もしリーリエの作成したポーションに不備があって王妃がお怒り、だなんてことになれば、最悪自分の首が飛びかねない。物理的に。
リッツは表面上は冷静を装いリーリエの部屋の扉をたたく。
「リーリエさん、いますか?」
「あ、はい。リッツさんですね。今開けます」
何も知らないリーリエのあどけない声。扉を開けた先に王妃がいるなど、大層おどろくだろうなとリッツは思った。
ガチャリと扉を開けて顔を出したリーリエ。
「どなたでしょうか」
そしてそんなリーリエの懐からひょっこりと顔を出した美しい少女。まさかの第二王女、ソフィアだ。
「ど、どうしてソフィア様がこちらに!?」
リッツは大層驚いた。
「あ、お母様!」
「ソフィア!? どうしてここに!?」
第二王女、第一王子に続いて、第二王妃の登場である。また平穏な日常から遠ざかるのだろうかと思い、リーリエは深い溜息をついた。
リーリエの部屋に四人も入ると手狭なため、場所を調合班の応接室に変えて話をすることに。
柔らかなソファに腰掛けリッツの淹れた紅茶を飲む。リディアもそれですこし落ち着いた。
まず口を開いて話を始めたのはソフィアだった。楽しそうに事の経緯を説明する。気落ちしてどこにいくでもなく散歩をしていたこと。母と同じような良い香りが漂ってきたこと。調合班の建物に行くと、リーリエが香水を作っていたこと。
「それでですね! リーリエさんに専用の香水を作っていただいたのです!」
ソフィアがとても嬉しそうに話す様子を、リディアは微笑ましく見ていた。最近ずっと元気がなかったのだが、どうやら少し調子を取り戻したらしい。
「それは良かったわね」
「はい! リーリエさんは香水だけでなく、御香というものもつくられるので、今はその話を聞かせてもらっているのです! ところで、お母様はどうしてこちらに?」
一通り話をして満足したのか、ソフィアがかわいらしく小首をかしげて問いかけた。リッツがタラリと冷や汗を流す。いよいよ本題だ。
「こほん。そうでした。リーリエ、貴方がクロードの専属調合士となった少女で間違いないわね?」
「えぇ、はい。間違いないと思います。自分でも信じられませんが」
「まずはお礼を言うわ。塞ぎ込んでいたあの子を、部屋から出してくれてありがとう。どうやったのかしら?」
「えっと、ごめんなさい。私も急に王宮に連れてこられて、調合士になって、いつの間にかクロード様の専属になっていて、状況が理解できていないのです。その、クロード様は塞ぎ込んでおられたのですか?」
リーリエはクロードの様子を思い返す。確かに顔はやつれていたが、塞ぎ込んでいたようには思えない。
「そう。貴女は何も知らないのね。隠すようなことではないから、説明してあげるわ。クロードはね、二年前に事故で許嫁を亡くしているのよ」
「許嫁を?」
「ええ。ローデリア王国の第一王女だったわ。銀髪の綺麗な優しい子で、クロードとは小さいころから面識があったの。歳も近いし、お互いの格も問題ない。友好国の王女ということもあって、ヴェランクール王国もローデリア王国も婚姻に賛同していたわ。それで二年前の春の日に、婚姻の儀を行うためにシルヴィアを招待したのだけれど、その道中で不慮の事故があって……。山道を進む馬車が道を外れたみたいで、崖の下に落ちてしまったの。本当に、不幸な事故だったわ。あの事故さえ起きていなければ、今頃ヴェランクール王国はクロードとシルヴィアの結婚の話でもちきりだったでしょうね」
リディアは一度大きくため息を吐く。
「シルヴィアを事故で亡くしてから、クロードは変わったわ。それまでは笑顔が多くて、誰にでも優しくて、ちょっと天然なところもあったけれど、とても情に厚い子だった。けれど、あの子は塞ぎ込んでしまった。シルヴィアが死んだのは自分のせいだと。自分がシルヴィアを招待しなければ、自分がシルヴィアに好意を持たなければ、自分がシルヴィアと出会わなければ、自分が生まれてこなければ……ってね」
「そんなこと……」
「えぇ、そんなことはないわ。あれは不慮の事故だった。誰のせいでもない、ただ運が悪かっただけ。だけどあの子はそんなことでは納得できなかったのよ。何か納得できる原因が欲しかった。そしてその原因は自分にしかなかった。だから、あの子は心を閉ざしてしまったの。一年ほど塞ぎ込んで、ようやく部屋から出るようになったと思ったら、今度は仕事仕事、そしてまた仕事。まるで自分に罰を与えるかのように無理に仕事を詰め込みはじめたわ」
リーリエはクロードの顔を思い出す。濃いクマの張り付いた、疲れた顔を。笑顔の多い好青年だったとはとてもではないが思えなかった。
「クロードは伴侶を作ろうとしなくなったわ。お見合い話には聞く耳を持たず、むしろどの女性とも距離を置いている。まともに話をしてくれるのは、母の私と妹のソフィアくらい。人に好意を持つことが怖くなってしまったのね」
言いながらリディアは隣に座るソフィアの頭を撫でた。
「だから、専属調合士にするくらいに心を許している貴女を一目見ようと思ってここに来たのよ。塞ぎ込んでいたあの子の心を開かせた女性は、いったいどれほど魅力的な子なのかしらって」
「……すみません。多分、そういうのではないと思います。見ての通り、私には女性の魅力など全くございませんから」
リーリエは自らの身体に視線を落とす。精のつかないものだけを食べ、瀉血をしてきたその体を。まるで鶏ガラのようにやせ細った身体。油分が少ないためツヤのない髪と皮膚。どこまでも貧相な胸部。
「あら、伸びしろしかないじゃない。大丈夫、女の子はね、恋をするればどこまでも可愛く美しくなれるものなのよ」
優しく微笑むリディアを見て、まぁ困ることでもないし勘違いしていてもいいか、とリーリエは思った。
「ところでリーリエ。貴女、香水を使っているわよね? それは貴女が作ったものなの?」
クンクンとリディアが鼻を鳴らす。爽やかな柚子の香りが鼻孔をくすぐった。
「はい。これは私が作った『柚香』という香水で……」
「『柚香』!? いま『柚香』と言ったの!?」
リディアは勢いよく立ち上がり、ずいとリーリエに詰め寄った。
「は、はい。言いましたが……」
「あなただったのね! 香水を作ってくれていたのは! 毎月ヴァールデン商会から一本降ろして貰っていたのだけれど、数か月前から入荷がなくなってしまって……。お気に入りの香水だったからとても残念だったのよ!」
「す、すみません……」
「リーリエが謝ることじゃないのよ。全くクロードったら。私のお気に入りの調香士を独占しようだなんて、今度文句を言ってあげなくちゃ」
プンスコといった様子で頬を膨らませるリディア。王妃とは思えない気さくな様子に、思わずリーリエに笑みがこぼれた。
「うふふ、ようやく笑顔を見せてくれたわね。女の子は笑顔でなくちゃ。笑えば誰だって可愛くなれるのよ」
リディアがリーリエに笑いかけ、立ち上がる。
「急にお邪魔してしまって悪かったわね。ソフィア、今日は遅いからもう帰るわよ」
「はい、お母様」
「それじゃリーリエ。また遊びに来るわ」
嵐のようにやって来たリディアは、嵐のように去って行く。
「あ、そうそうリーリエ。私、孫は女の子と男の子の両方が欲しいの。よろしくね?」
「……え”?」
そんな爆弾発言を残して。




