第10話 瀉血
「そろそろこのボディミストも無くなってしまうな。リーリエに作ってもらうか」
朝。クロードは少量しか残っていない小瓶を振ってつぶやいた。リーリエに作ってもらったこのボディミストを寝る前に使用すると、睡眠の質が驚くほど良くなる。入眠までの時間が短くなったし、さらに睡眠の質も上がったのか、短時間でもしっかりと眠れて寝起きも良くなったのだ。貰ってからというもの、使わない日はないくらいである。そのボディミストがなくなってしまうのは辛い。
今日は陽の日。調合班は休暇の日だ。休みの日に頼みごとをするのは忍びないが、背に腹は代えられない。クロードは朝食を食べてからリーリエのもとへ向かった。
「リーリエ、いるか?」
リーリエの部屋をノックするも、返事はない。
「研究室か?」
休みのため、静かな調合班の建物を歩き、研究室へ向かう。
クロードの予想はあたっており、リーリエが一人、何かをやっている。
また変な香料でも作っているのかと若干の不安を抱きつつリーリエの手元を覗き込むクロード。
「……は?」
クロードは目を疑った。不健康な程に細く精気のないリーリエが、その細い腕に注射針を刺して血を抜いている。そしてその血を排水溝へとためらいなく流し捨てているのだ。頭の悪い貴族の娘が色白になりたくて行う瀉血とはわけが違う。そもそも細く、血色の良くないリーリエがそんなことをしてしまえば、倒れるのも時間の問題だ。
リーリエは後ろにクロードがいることに気が付いていないのか、再び注射針を血管に刺し、真っ赤な鮮血を捨てる。もう一度刺そうとしたところで、固まっていたクロードが動いた。
「何をしているんだ!?」
「うわぁっ! びっくりしたぁ!」
クロードは叫びながらリーリエの手から注射針を奪い取った。血を抜いた直後に驚かされて、リーリエの血圧が急激に下がりふらつく。ふらりと後ろに倒れたリーリエの身体をクロードが支えた。
「リーリエ、お前は一体何をしているんだ! 今救護班のところへ運んでやる!」
自分を抱きかかえて走りだそうとするクロードを、リーリエが止めた。
「え、あ、く、クロード様。大丈夫です。大丈夫ですから、おろしてください」
「お前は馬鹿か! ただでさえ血の気が少ないのに、瀉血なんてしたら死んでしまうだろうが!」
「あ、いえ、いつもやっていることですから」
「だとしたら大馬鹿だ!」
「理由があるんです、理由が。私は大丈夫ですからおろしてください」
大したことなさそうに言うリーリエに疑義の視線を送りながらも、クロードはそっとリーリエを椅子に座らせる。そして己の両腕を見た。最近めっきり筋力が落ちた己の腕。なのに抱きかかえるのに何の苦労もいらなかった。一体何キロなのだろうか。下手をしたらソフィアとあまり変わらないかもしれない。
「それで、事情とやらは何だ。貴族の娘のようなくだらない理由じゃないだろうな」
「貴族の娘が瀉血をする理由がわかりませんが……。あの、言わなければなりませんか?」
できることならば、リーリエは己の特異体質のことを秘密にしておきたかった。伝えても特段問題があるわけではないが、微妙に言いづらい理由だからだ。
「リーリエ。言っておくが、私はこの国の王子だ。あまりこういうことをしたくはないが、良からなぬことを企てているとしてお前を処すことなど造作もないぞ」
これだから王族は、と内心でため息を吐いた後にリーリエが口を開く。
「私の、魔力の香り……魔香のせいです。私の魔力は常人のそれよりも、香りがきついのです。なので魔力の多く宿る血液を捨てることによって、香りを抑えているのです」
「魔力の香り? 確かに人によって異なるが、よほど近くで魔力を使わねばたいして香るものでもないだろう」
「それが、私の場合はそうではないのです」
リーリエがそういっても、クロードはいぶかし気な顔のままだ。信じていないのだろう。
「論より証拠、ですね。少し失礼します」
「おい!」
リーリエは注射針を己の腕に刺した。止めに入ろうとしたクロードを手で制止する。
「少しだけなので大丈夫です」
リーリエは言葉の通り、ほんの少しの血だけを抜き、それを己の掌に載せた。人差し指で円を描くように伸ばす。甘く濃い香りがクロードの鼻に届いた。まるで強い酒を煽った時のようにクラリとする感覚がクロードを襲う。
「なっ……この香りは……」
「お判りいただけましたか? 魔力だけであればここまではないのですが、それでも周囲の方に不快な思いをさせてしまいます。だから瀉血をして、少しでも香りがしないように抑えているのです」
リーリエの言葉を聞きながらクロードは考える。この甘く、どこか胸を締め付けるような香り。オズヴァルトにもらったポーションと同じ魔香……
「クロード様?」
「……すまない。少し考え事をしていた。お前の魔香が強い香りを放つことは分かった。しかし、だとしても瀉血までする必要はないだろう」
「しかし、念のために……」
「もう一度言う。瀉血はするな。お前の為ではない。お前に倒れられるとソフィアが悲しむ。我が妹を悲しませるようなことは決してするな」
「……クロード様の命であれば」
リーリエはしぶしぶ頷いた。王子の命令であれば聞かぬわけにはいかない。
「しかし、そうなると私の作るポーションに香りが強く移ってしまいます。変な香りのするポーションなど、誰も使いたがらないでしょう」
「お前は俺専属の調合士になれ」
「専属?」
「王族にはそれぞれ専属の調合士が付く。どこの誰ともわからん調合士が作ったポーションなど、王族が飲むわけには行かないからな。反対に専属の調合士は担当の王族以外のポーションは作らなくてもいい。それだったら問題がないだろう」
唐突なクロードの提案にリーリエが驚愕する。王族の専属調合士など、調合士の中でも最も腕が立ち、最も信頼されている者しかなれるものではないだろう。そんな立場に、王宮に来てたった数か月の自分が抜擢されるなんて、誰が信じられようか。
「私が送り込まれた暗殺者だったらどうするのですか? リッツさんも言ってました。調合士は王族の暗殺に一番近い職業だと。もっと警戒した方がよいのではないでしょうか」
「構わん。そもそも毒殺を企てるのであれば、もう達成しているはずだろう。お前の作ったボディミストを使用しているのだから、それに毒を仕込んでおけば終わりだ」
「……確かに、それはそうですが」
「リッツには私が話を通しておく。お前は明日からリッツの指示に従え」
「……分かりました」
抵抗しても無駄だろう。そう悟ったリーリエは素直にうなずいた。




