―67― エピローグのような
わたし、リリア=ヴェルトは、目の前で起こった超常現象の余韻に、まだ震えが止まらなかった。
異形の存在、ルミナス……。宇宙の秩序の監視者?
そんなものが本当にいるなんて。そして、それをまるで隣の家の騒音に文句を言うみたいに「話し合い」で解決(?)してしまったセツさん……。
もう、なにがなんだか。
理解しようとすればするほど、頭がおかしくなりそう。
「じゃ、オレはこれで」
「えっ、もう帰っちゃうんですか!?」
「うん? 用事、終わったし」
用事って……あの、世界の危機みたいな状況が!?
呆気に取られていると、セツさんの視線が、ふと、さっきまで隣にいた女の子へと向けられた。
彼女は、未だに腰が抜けたまま地面にへたり込み、焦点の合わない目で虚空を見つめ、小刻みに震えている。顔色は真っ青で、とてもじゃないけど、まともに立てそうには見えない。
「そういえば、そこのキミ」
セツさんが、何気なく彼女に声をかけようとした。
「さっき、なにか言いかけてたよな? もしかして、オレになにか用事でもあったのか?」
セツさんが、彼女の方へ振り向こうとする。
まずい!
わたしは考えるより先に動いていた。
「セツさんっ!」
咄嗟にセツさんの肩をがっしりと掴み、無理やりこちらへ向き直らせる。
「え、わっ!? なんだよリリア、急に」
「だ、だめです! あちらを見ないでください!」
「はあ? なんでだよ」
怪訝そうな顔をするセツさんに、わたしは必死に訴える。
異性に、あんな姿を見られるなんて、絶対に嫌なはず! いくらなんでも、それはあんまりだ。
「か、彼女のことは、わたしがちゃんと話を聞いておきますから! セツさんは、先に帰っていてください! ねっ!?」
「いや、でも……」
「いいですから! お願いします!」
わたしは半ば強引にセツさんの背中を押して、家の方向へと促す。
セツさんは、わたしの剣幕にやや戸惑いつつも、「……まあ、リリアがそう言うなら」と、しぶしぶ歩き出してくれた。
その背中が見えなくなるのを確認して、わたしはほっと息をつく。
そして、改めて女の子に向き直った。
「だ、大丈夫ですか? 立てますか?」
優しく声をかける。もしかしたら、着替えとか、何か温かい飲み物とか、持ってきてあげた方がいいかもしれない。そう思って、次の言葉を探していると――。
「ひぃっ!?」
彼女は、わたしの声にビクッと肩を震わせ、弾かれたように顔を上げた。その瞳には、恐怖と、なぜか強い羞恥の色が浮かんでいる。
「ご、ごめ……ゆる、許してくださいぃぃぃぃっ!!」
次の瞬間、彼女はわけのわからない絶叫を上げながら、信じられないような速さで駆け出した。その動きは、わたしの《疾風》にも匹敵するほどの鋭さで、あっという間に路地の角を曲がり、姿が見えなくなってしまった。
「え……ちょ、待って……!」
あまりの出来事に、わたしはただ呆然とその場に立ち尽くすしかなかった。
大丈夫かな、あの子……。
しばらく心配していると、向こうから見慣れたペストマスク姿が歩いてくるのが見えた。
「あ、フィネアちゃん!」
「あ、リリアちゃん。ごめんねー、待たせちゃったかな?」
フィネアちゃんだ。彼女はいつも通りおっとりとした口調で、悪そうなやつらに襲われていたとは思えないほど、落ち着いている。服にも汚れひとつない。
「ううん、わたしも今来たとこ……。それより、フィネアちゃんこそ大丈夫だった?」
「う、うん、大丈夫だよ。全力で逃げてきただけだから」
フィネアちゃんはにこやかに言うけれど、その笑顔にはどこか、ほんの少しだけ、普段とは違う硬さがあるような気がした。全力で逃げただけにしては、息もまったく乱れていないし……。
まあ、無事ならそれでいいか。あまり深く追求するのも野暮だろう。
「そ、そっか。無事でよかった」
「うん。それより買い物の続きに行こうよ! それで早くお菓子作りしよう!」
それからわたし達は、まだ買うことができてなかったお菓子作りに必要な買い物を終えてから、セツさんの家へと向かった。
家に着くと、セツさんはもうリビングでコーヒーを淹れて待っていてくれた。
わたし達がオーブンを予熱したり、材料を準備したりしていると、玄関のドアが勢いよく開く音がした。
「ダーリン! ただいまーっ!」
現れたのは、絶界の魔女、シーナさんだった。
今日の彼女は、なんだか妙にご機嫌な様子だ。鼻歌交じりにセツさんに駆け寄り、後ろから抱きつく。
「ダーリンが近くにいなくて寂しかったんだから!」
「うおっ、やめろ、急にひっつくな!」
セツさんは迷惑そうに彼女を引き剥がそうとするが、シーナさんはまったく意に介さず、楽しそうに絡んでいる。なにか、すごくいいことでもあったんだろうか?
「あ、魔女ちゃんもきたんだー。ちょうどよかった! これからお菓子作りをするんだけど、魔女ちゃんもどう?」
そう言って、フィネアちゃんはシーナさんも誘う。
シーナさんは最初面倒そうにしていたが、なんだかんだ気になったようでいつの間にか混ざっていた。
いろいろとあったような気がするけど、気がつけば、いつもと変わらない賑やかな日になっていた。
◇
わたし、黒鴉は、薄暗い森の中でひとり、呆然と立ち尽くしていた。
あの魔女……シーナは、わたしの必死の覚悟と、その裏にあるであろう仲間の存在を、心底おかしそうに、腹を抱えて笑い転げた後……。
まるで飽きた玩具を放り出すように、満足した様子で、わたしをその場に放置して消えてしまった。
殺されなかった。
首を締め上げられた苦しさと、死の恐怖はまだ生々しく残っている。けれど、わたしは生きている。
安堵と、それ以上に大きな屈辱感と、そして理解不能な恐怖が、ごちゃ混ぜになって胸の中に渦巻いていた。あの魔女は、なぜわたしを殺さなかった? なぜ、あんなに笑っていた? まるで、セツが殺されることなど、万に一つも有り得ないと確信しているかのように……。
重い足取りで、待ち合わせ場所に指定されていたホテルの一室に戻る。
ドアを開けると、そこにはソファに深く沈み込むように座っている桃兎の姿があった。
彼女はシャワーを浴びた後らしく、髪はまだ濡れていて、バスローブを羽織っている。けれど、その姿はいつもの軽薄な彼女とはまるで違っていた。
「桃兎……任務は……」
達成したのか、と続けようとした言葉を、わたしは飲み込んだ。
聞くまでもなかった。
彼女は、ただ小さく、小刻みに震えていた。焦点の合わない瞳で虚空を見つめ、顔色は土気色。まるで、この世の終わりでも見てきたかのような、そんな絶望的な怯え方だった。
失敗したのだ。それも、おそらく、想像を絶する何かを経験した上で。
わたしは静かに彼女の隣に腰を下ろし、しばらく待った。
やがて、震えが少しだけ収まったのを見計らって、声をかける。
「……何があった?」
桃兎は、ゆっくりと、壊れた人形のようにぎこちなく首をこちらに向けた。その瞳には、まだ恐怖の色が焼き付いている。
彼女は、何かを言おうとして、しかし言葉にならず、ただ唇をわななかせるだけだった。
わたしは、辛抱強く待った。
「……あれは……」
ようやく絞り出した声は、掠れて、震えていた。
「……もう……ダメ。関わったのが……間違い……」
それだけだった。
何を見たのか。何があったのか。なぜ失敗したのか。
彼女は、それ以上何も語ろうとはしなかった。ただ、ぶるぶると首を横に振り、「関わるな」と、壊れたレコードのように繰り返すだけだった。
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これにて第二章完結です!!
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