表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
排水溝につまったスライムを日々かたづけるだけの底辺職、なぜか実力者たちの熱い視線を集めてしまう  作者: 北川ニキタ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

66/67

―66― 話し合い

 わたし、リリア=ヴェルトは、目の前の光景に完全に呑まれていた。

 さっきまで何もなかったはずの空間に、突如として現れた『アレ』。

 白金の翼、無数の目、光る輪っかの顔、光の帯の手足……。モンスターというにはあまりにも異質で、神話に出てくる超越存在か、あるいは悪夢そのものが形を持ったような、そんな畏怖すべき存在。全身の肌が粟立ち、本能がけたたましく警鐘を鳴らしている。

 これは、絶対に、関わってはいけないヤバいものだ。


 その、ヤバいもののすぐ隣で。

 さっき「暗殺者」とかなんとか叫んでいた見慣れない女の子が、顔を真っ赤にして固まっている。今はもう真っ赤を通り越して、真っ青になっているけど……。

 この子はこの子でなんなのだろう?

 さっき口にしていた「暗殺者」っていうのは、わたしの聞き間違い……だよね?

 だって、彼女が本当に暗殺者なら、セツさんは彼女も警戒しないとおかしいような……?


 それよりも、信じられないのはセツさんだ。

 彼は、その異形の存在を前にしても、まったく動じていない。それどころか、心底面倒くさそうに話しかけている。


「ワレワレハ……コノウチュウノ……チツジョヲ、カンスル……(ザザッ)……『シリウス』ノ、メ……(ジジジッ)……コノ、ジゲンカンソク……タンマツ……(ピ――)……ワガ ナハ ルミナス……」


 ルミナスってのが名前なのかな?

 そのルミナスは、ノイズまみれの声で語る。

 宇宙の秩序? シリウスの目? 次元観測端末? なんかスケールが大きすぎて、単語は拾えても意味が全く頭に入ってこない。


「要するに、あんたたちは宇宙の秩序を守る監視者で、オレがこの世界のルールを乱すかもしれない危険分子だから、チェックしに来たってことか?」


 セツさんは、やっぱり平然と要約している。どうしてこの人は、こんな存在の言葉がわかるの……?


「……ソウトオリダ(ガガッ)……キデンノソンザイ……ハ……キケンナ……(ブツッ)……フカクテイヨウソ……」


 ルミナスは肯定し、そして敵意を明確にした。


「ワレワレノ……カンリ(ザーッ)……カニ、クダレ……サモナクバ……ハイジョ……スル……」


「ふざけんな。悪いが、オレはこの静かな生活がすごく気に入ってるんだ。あんたたちの都合で、それを乱されるのはごめんだね」


 セツさんは、きっぱりと拒絶。


「ナラバ……(ザザッ)……ザンネンダガ……(ジジジッ)……ハンダンヲ……ジッコウ、スル……」


 ルミナスの光輪が高速回転し、翼の目が一斉に不気味な光を宿す。空気が重く、濃密な圧力となって肌を刺す。

 セツさんは、ふぅ、とひとつ大きなため息をついた。まるで、厄介な虫でも見つけたかのように。


「……話しても無駄みたいだな。しょうがない、ちょっと本気をだすか」


 その言葉が、世界の法則を書き換えるスイッチだった。

 瞬間、世界が壊れた。

 視界が、幾千幾万の光の破片となって砕け散る。存在しないはずの色が溢れ、目の前の路地裏が万華鏡のように回転し、歪み、溶けていく。セツさんとルミナスの姿は無数に分裂し、時間軸がズレたように残像を残しながら、ノイズの嵐の中へ明滅を繰り返す。

 音は、脳に直接響く轟音の奔流だ。ガラスが無数に砕け散る音、空間が引き裂かれる悲鳴、逆再生されるような不快な音、意味不明な電子ノイズ、そして冒涜的な囁き声が混ざり合い、わたしの意識を掻き乱す。

 ドカン! とかバキッ! とか、そんな分かりやすい破壊じゃない。

 もっと根本的な、世界のルールそのものが書き換えられていくような、静かで、それでいて圧倒的な崩壊。

 時間が巻き戻るような感覚に襲われたかと思えば、次の瞬間には未来の光景が一瞬だけフラッシュバックする。

 物質が泡のように虚空から生まれ、瞬時に崩壊して消える。遠近感は狂い、すぐ隣に別の次元が覗く窓のようなものが開き、名状しがたい景色が垣間見える。

 重力がおかしくなって、体がふわりと浮き上がるような感覚と、地面に叩きつけられるような感覚が交互に襲ってくる。


「セ、セツさんっ! これ、いったい……!?」


 あまりの異常事態に、わたしは悲鳴のような声を上げた。

 セツさんは、ちらりとこちらを見た。その横顔は、信じられないくらい落ち着いていて、まるで他人事のように飄々としていた。


「ん? ああ、世界が根源ごと壊れてしまっただけだ。まあ、安心してくれ。すぐ終わる」


 世界が壊れた!? よくわからないけど、それが本当ならもっと焦らないといけないのでは! なんで、セツさんはそんな呑気な顔ができるの!

 そう叫びたかったけど、言葉にならなかった。

 セツさんはもうルミナスに向き直り、面倒くさそうに指先で何かを弾いている。そのたびに、光の奔流の中に、さらに複雑怪奇な幾何学模様や数式の奔流が走り、ルミナスの異形をさらに歪ませ、苦悶させているようにも見えた。ルミナスもまた、光輪から凄まじいエネルギーを放ち、翼の目から無数の光線を撃ち出すが、それらはセツさんの周りで奇妙な軌道を描いて霧散するか、セツさん自身に吸収されているように見えた。

 理解不能な力の応酬。これが、セツさんの本当の……。

 あまりの現実に、頭がくらくらする。吐き気が限界を超え、立っているのがやっとだった。


 ふと、隣で震えていた女の子に目をやると、彼女は焦点の合わない目で虚空を見つめ、ガタガタと体を震わせていた。


「だ、だいじょうぶですか……?」


 あまりにも不安そうにしているので、思わず声をかけた。


「はえ……、へは……」


 彼女がそんなうなずきともとれる言葉を発した瞬間だった。

 その時、ツンと鼻をつくアンモニア臭がした。

 彼女の足元の床が、じわりと濡れていた。

 ……うそ。

 この子、あまりの恐怖に、失禁しちゃったんだ……。

 かわいそうに。

 その事実に、わたし自身の恐怖も限界に達しそうになる。わかる。この状況は、人間の理解と精神の許容量を、遥かに超えている。


 どれくらい時間が経ったのか。永遠にも、一瞬にも感じられた時間の後。

 唐突に、悪夢が終わった。

 視界を埋め尽くしていた光と色の洪水が、嘘のようにすぅっと引いていく。

 目の前には、いつも通りのラグバルトの路地裏が広がっていた。壁の落書きも、地面のシミも、何も変わっていない。

 そして、セツさんが、やれやれといった表情で、服についた見えない埃でも払うかのように、軽く手をパンパンと叩いていた。


「ふぅ、うるさいのがいなくなったな。さてと……」


 さっきまでこの空間を歪め、宇宙の法則を語っていた異形の存在、ルミナスは……どこにもいない。

 まるで、最初からそんなものは存在しなかったかのように、完全に消え去っていた。


 ふと路地の向こうを見ると、通りを歩く人々の姿が見えた。楽しそうに話す親子、荷物を運ぶ商人、巡回中の衛兵……。みんな、普段通りだ。空には鳥がさえずり、平和な午後の空気が流れている。

 さっきまでの、世界が壊れるような異常な現象は、まるで無かったことになっている。

 気づいているのは、わたしと、隣で腰を抜かしてへたり込んでいる、見慣れない女の子だけ……?


「あの……セツさん……さっきの、アレは……?」


 かろうじて、震える声で尋ねる。

 セツさんは、わたしに向き直ると、にこりともせずに、まるでちょっとした隣人トラブルでも解決したかのように言った。


「ああ、あいつ? なんかオレのこと誤解してたみたいでさ。ちゃんと話し合ったら、わかってくれたよ。もう大丈夫だろ」


「え……? は、話し合いで……?」


 信じられない。あの、宇宙がひっくり返るような現象が、話し合い……?

 セツさんはそれ以上何も言わず、「さて、帰るか」とでも言いそうな雰囲気だ。

 わたしは、セツさんの言葉の意味を全く理解できないまま、隣で失神しかけている少女を見下ろし、ただただ呆然とするしかなかった。

 わかってはいたつもりだ。

 セツさんが規格外な存在なことは。

 それでも、言わずにはいられない。

 セツさんって、やっぱり規格外すぎる……!

 その底知れなさに、改めて、身の毛がよだつような感覚を覚えたのだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ