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排水溝につまったスライムを日々かたづけるだけの底辺職、なぜか実力者たちの熱い視線を集めてしまう  作者: 北川ニキタ


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―63― 怖すぎるよね……

 わたし――フィネア=エルストラは、背後で完全に退路を断たれた袋小路の中心で、静かに息を整えていた。

 それにしても、どうしてわたしがこんな悪党たちに囲まれる羽目になったんだろう。考えられる理由は……やっぱり、セツくん、なのかなぁ。


 ふと、昔のことを思い出す。

 あれはわたしがまだ今より若かった頃。

 実家は羊と牛と、あとは広大な畑しかない、絵に描いたようなド田舎だった。

 わたしは昔から魔術が好きで、本を読むのが好きだったけど、周りはそんなわたしを変わり者扱いした。もっと外で遊びなさい、もっと家の手伝いをしなさい、って。

 だから、わたしは家を飛び出した。ここラグバルトの町に来れば、もっと魔術のことを深く学べると思ったから。王都に比べたらずっと小さい町だけど、わたしの故郷に比べたら、ここは光り輝く大都会に見えたんだ。


 でも、現実は甘くなかった。

 ラグバルトで学べる魔術は、冒険者がモンスターと戦うための実践的な魔術や、鍛冶師さんが武器に魔導刻印を刻むような実用的なものばかり。

 わたしが知りたかったのは、もっと理論的で、世界の法則に触れるような、専門性の高い魔術だった。そういうのは、やっぱりちゃんとした学校に行かないと学べない。そして、そういう学校は貴族やお金持ちじゃないと、とてもじゃないけど通えなかった。


 結局、ラグバルトに来たって、わたしの学びたい魔術への道はすぐに行き詰まってしまった。

 それでも諦めきれなくて、わたしは冒険者ギルドに登録してみた。他の冒険者さんの真似をして、身体強化の魔術なんかを一生懸命練習した。魔術理論なら誰にも負けない自信はあったけど、いざ実戦となると全然ダメ。魔物と対峙すると足がすくんじゃうし、とっさの判断も苦手。冒険者に必要なのは、魔術への探求心よりも、まず生き残るための戦闘センスなんだって、すぐに悟った。

 わたしにはそれが、決定的に欠けていた。


「わたし、やっぱり冒険者向いてないのかな……」


 そんなふうに落ち込んで、ギルドの隅っこでため息をついていた時だった。

 彼と出会ったのは。

 セツくん。彼もわたしと同じくらいの年頃に見えた。

 冒険者だって言ってたけど、受ける依頼はいつも「どぶさらい」ばかり。雨の日も風の日も、毎日毎日、黙々と排水溝の掃除依頼をこなしている、ちょっと不思議な男の子だった。

 話してみると、両親はいないって言ってた。「ずっと遠いところから、気がついたらこの姿でいたんだ」なんて、よくわからないことを言うものだから、「それって、両親に捨てられたってことじゃないのかな?」って内心思ったけど、流石に口には出さなかった。

 わたしはよく彼に話しかけた。同じように、この町で自分の居場所を見つけられずにいる冒険者同士、何か共感できることがあるんじゃないかって。


 でも、それはわたしの大きな勘違いだった。

 セツくんは、挫折なんてこれっぽっちもしていなかった。彼はただひたすら、「どうすればどぶさらいをもっと楽に、もっと効率的に終わらせられるか」ってことばかり考えていたのだ。

 そのために、彼は魔術を猛烈に勉強していた。

 わたしなんかよりもずっと熱心に、庶民でも手に入るような安い魔導書(偉い人が書いた魔術理論の論文みたいなもの)を読み漁っていた。その分野ならわたしも少しは知識があったから、えらそうにアドバイスしたりもしてたなー。

 そうしたら、どうだろう。いつの間にかセツくんは、わたしが逆立ちしたって理解できないような、まったく新しい魔術理論をいくつも生み出していたのだ。

 どぶさらいを楽にするためだけに。


 わたしは驚いて、そして、どうしてもその理論が知りたくて、彼に「教えてほしい」って何度もお願いした。

 そうして、彼がまとめた研究成果を、なぜか「面倒だから」という理由でわたしの名前で発表することになって……気がついたら、わたしは『刻環の賢者』になっていた。


『刻環融合のアーティクル理論』。


 わたしが賢者と呼ばれるきっかけになった、あの理論。セツくんが考え出した、魔術の新しいルール。

 これのおかげで、従来の魔導刻印よりも何百倍も情報量の多い魔導刻印を誰でも比較的簡単に作れるようになった。

 魔導コンロも、便利な通信機も、街灯だってそう。この町の便利な魔導技術は、ほとんど全部、あの理論の影響を受けている。

 それは、目の前でわたしを囲んでいる、この野蛮な男たちが使おうとしている魔術だって、例外じゃない。

 彼らは今、自分の体内に刻んだ魔導刻印に魔力を込め、身体能力を高めようとしている。そんな便利な刻印を、彼らが苦労なく手に入れられたのは、セツくんがあの理論を生み出してくれたおかげだってこと、きっと自覚なんてしていないんだろうな。


 たぶん、この人たちがわたしを襲ってきたのだって、きっとセツくんが原因よね……。

 昔から、たまにいたのだ。普段はどぶさらいしかしないF級冒険者を装っているセツくんの、その異常なまでの才能や、隠された力の片鱗に気づいてしまう存在たちが。

 そういう人たちは決まって、なんらかのトラブルを起こす。わたしも何度か、そういうのに巻き込まれた記憶がある。


「うらぁっ!」


「死ねやぁ!」


 思考している間に、しびれを切らした男たちが、獣のような雄叫びを上げて飛びかかってきた。ナイフの切っ先が鈍い光を放ち、棍棒が風を切る音が耳をつく。


「まったく……セツくんは、本当に面倒事を引き寄せるんだから」


 わたしは小さくため息をつき、静かに目を閉じた。そして、意識を内へと集中させる。セツくんが教えてくれた理論、そして、わたし自身がその先に独自に見出した、深淵の力。


「――起動。《刻環浸蝕(こっかんしんしょく)・アビスリンク》」



 その瞬間、わたしの足元から、空間そのものが腐り落ちたかのような漆黒のなにかが、ぬるりと泡立ちながら滲み出した。

 それは影でも闇でもなく、おぞましい粘液を滴らせ、無数の不定形な触腕を蠢かせる、形容しがたい存在。まるで悪夢の臓腑が現実世界に溢れ出したかのようだ。

『それ』は脈打つたびに形を変え、ぶくぶくと膨張し、硬い鱗のような、あるいは腐肉のような、認識するたびに異なる不快な質感で地面を、壁を、空気すらも侵食していく。視界に入れただけで内臓が捩れるような吐き気が込み上げ、脳が理解を拒絶する。


「な、なんだこりゃ!?」


「目が……ぐあっ、頭が……割れそうだ!」


「ひぃっ、耳鳴りが……なんだ、この……声……?」


 男たちが次々に異変を訴える。

『それ』から冷気が放たれたわけではない。だが、肌を粟立たせるような、魂の奥底を這いずるような、言いようのない悪寒が彼らを襲う。存在が根底から揺さぶられるような、強烈な不安感。理性を焼き切る、本能的な拒絶反応だ。

『それ』は生きている。不定形の体表には、無数の眼球のようなものが開いては閉じ、粘つく偽足が伸びては縮み、鋭い歯が並んだ裂け目が現れては消える。それらは一瞬たりとも同じ形を留めず、見る者の理性を嘲笑うかのように変容し続ける。


「恐怖……強い負の感情。それが、あなたたちの心の鍵をこじ開ける」


 わたしの魔術のトリガーは、対象が抱く『恐怖』そのもの。

 感情の中で恐怖がもっとも対象を動揺へと導くことができる。

 だから、恐怖を感じれば感じるほど、対象の精神的な防御はガラスのように砕け散り、彼らの魔力の源――体内の魔導刻印が、無防備に晒される。

 セツくんの理論は、刻印の『接続規格』を統一した。だからこそ、セツくんのもっとも近くにいたわたしならその規格を応用して、外部から彼らの回路に強制的に『接続』するぐらいわけがない。


「う、動け……なんで魔術が……!?」


「指が……震えて……集中できねぇ……!」


 ぬるり、と黒く粘つく触手のようなものが、恐怖に引きつる男たちの足元から伸びる。それは皮膚や服など意にも介さず、まるで幻覚のように、しかし確かな感触を伴って彼らの体内へと侵入していく。


「ぎゃあああっ!?」


「やめろ……! 体の中に……! 何かが這いずり回っている……!」


 神経を直接焼かれるような激痛、意思とは無関係に体内の魔力が逆流し、吸い上げられていく絶望的な感覚。男たちの悲鳴が路地裏に響き渡る。


「あなたたちの魔術回路は、もうあなたたちのものではない」


 わたしの冷たい声が、彼らの絶叫にかき消されることなく届く。

 男たちの体表に、黒い複雑な幾何学模様――わたしが強制的に上書きした『永劫の恐怖』と『機能不全』を意味する呪いの刻環――が、焼き印のように浮かび上がり、激しい苦痛とともに定着していく。


「この刻印がある限り、あなたたちは二度とまともに魔術を使えない。使おうとすれば、今日のこの恐怖が、何百倍にもなってあなたたちの精神を苛む」


 この改竄は永久。治療法なんて存在しない。わたしが刻んだのは、癒えることのない精神的な傷痕そのものだ。彼らは魔術を使う資格を、今この瞬間、永遠に剥奪された。

 もはや悲鳴すら上げられない。

 男たちは、飛びかかろうとした姿勢のまま、あるいは恐怖に崩れ落ちたまま、完全に動きを停止していた。白目を剥いて泡を吹き、失禁し――さらには、胃の内容物をぶちまけている者もいる。

 ある者はただガタガタと震え続け、ある者は意味不明なうわごとを壊れた人形のように繰り返す。彼らの瞳孔は開ききり、そこにはもう理性のかけらも見当たらない。ただ、深淵を覗き込んでしまった者の、取り返しのつかない絶望だけが映っていた。

 わたしは、もう一度、深く息を吐いた。

 さっきまでの荒々しい怒号が嘘のように、路地裏には嘔吐物と汚物の臭い、そして死んだような静寂だけが満ちている。


「……うーん、やっぱり、わたしの魔術って怖すぎるよね……。リリアちゃんに見せないで正解だったなー」


 床に落ちていたペストマスクを拾い上げ、再び顔につけながらそんなことを思った。

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― 新着の感想 ―
なるほど、セツさんが新理論を譲った=やはり彼のお眼鏡に叶うだけの器量があったんですねフィネアさんにも。 しかしエグいですなぁ…敵には直接且つ一瞬で『終わり』を提供してくれそうなシーナさんのが、ある意味…
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