―61― ドゴォンッ! バキバキッ!
わたし――黒鴉は、息を殺して物陰に身を潜めていた。
はるか前方、木々が不自然に開けた空間で、小柄な少女――絶界の魔女シーナが、まるで玩具を壊す子供のように暴れまわっている。
「でてきなさーい! 隠れてないで、さっさと勝負しなさいよぉ!」
ドゴォンッ! バキバキッ!
甲高い声とともに、彼女の小さな拳が振るわれるたび、そこらの大木が根元からへし折れ、派手な音を立てて倒れていく。土煙が舞い上がり、砕けた木片が宙を舞う。人間業じゃない。あれは、人の姿をした災害そのものだ。
……なんて力だ。化け物め。
背筋に冷たい汗が流れるのを感じる。ゴクリ、と喉が鳴った。
桃兎の指示で、わたしはこの魔女を足止めするためにここへ来た。
勝つ必要はない。ただ、時間を稼げばいい。桃兎が本命のセツを仕留めるまでの、ほんのわずかな時間でいいのだ。
だが、それがどれほど困難なことか。
わたしは狙撃手。遠距離からの精密射撃こそがわたしの真骨頂だ。反面、接近されれば脆い。あの化け物に間合いを詰められたら、一瞬でひき肉にされるだろう。
だから、気づかれていない今しかない。この距離から、確実に、強力な一撃を叩き込む。それが唯一の勝ち筋だ。
もし外せば……いや、考えるな。外した瞬間に射線からこちらの位置が特定され、あの怪物が猛然と襲いかかってくる。
わたしは――新調したばかりのイクリプスを静かに構えた。スコープを覗き込み、暴れまわるシーナの姿を捉える。
木々が無秩序に生い茂る森の中は、狙撃手にとって最悪の条件と言っていい。だが、この程度の障害、わたしの腕なら問題ないはずだ。
銃身に魔力を込め、高威力の魔力弾を生成していく。圧縮された魔力が、銃身をわずかに震わせた。
「……いける」
狙いは完璧。あとは引き金を引くだけ。
その瞬間、ふっと嫌な記憶が蘇った。
――セツという男を狙った、三度の暴発。
あの悪夢のような失敗。桃兎は「暴発の原因は魔女シーナがセツを守っていたからじゃないか」と言っていた。
だとしたら……?
「……まさか、シーナ本人を狙っても、暴発するのか……?」
ぞわり、と全身の毛が逆立つような感覚。嫌な汗が、額からこめかみへと伝う。
もし、今回も暴発したら?
狙撃銃がまた木っ端微塵になり、わたし自身が重傷を負うだけならまだしも……それで魔女に位置を知られたら?
だが、撃たないという選択肢はない。ここで躊躇すれば、いずれ気づかれる。桃兎の作戦も失敗し、わたしにはもう次はないのだ。ボスから見放されたわたしが、この依頼すら完遂できなければ……。
……それに、また暴発するようなら、わたしはもう狙撃手として終わっている……!
焦りが胸を締め付ける。心臓がドクン、ドクンと嫌な音を立てて早鐘を打っている。指先がわずかに震える。
それでも――撃つしかないのだ。
「……っ!」
覚悟を決め、わたしは息を止め、引き金にかけた指に力を込めた。
「――射撃」
カチリ、という内部機構のわずかな作動音。
そして――暴発は、起きなかった。
ホッと安堵の息が漏れる。凝縮された魔力弾が、銃口から撃ち出される。
魔力弾は青白い光の筋を引きながら、木々の隙間を縫うように一直線に飛翔していく。完璧な弾道だ。
その先には――魔女シーナ。
木を殴り倒した直後で、一瞬の隙を見せている。
「やった……!」
わたしの腕は落ちていなかった。この一撃は確実に当たる!
そう確信した、次の瞬間だった。
パシンッ!
乾いた、軽い音が森に響いた。
スコープ越しに見えた光景に、わたしは息を呑む。
シーナは、こちらに顔を向け、迫りくる魔力弾を――こともなげに、手のひらで叩き落としていたのだ。
まるで、鬱陶しい虫でも払うかのように。
弾かれた魔力弾はあらぬ方向へ飛び、遠くの木に当たって霧散した。
「……嘘だろ……? 魔力弾を……素手で……?」
ありえない。わたしの魔力弾は結界すら貫通する威力があるのだぞ。
ましてや、素手で弾き返すなど……。彼女は、わたしの狙撃を完全に見切っていたというのか?
「みーつけた」
スコープ越しに、シーナの唇がそう動いたのが見えた。
目が、合った。
そこに浮かんでいたのは、楽しげで、残酷で、底知れない恐怖を感じさせる――獣のような笑みだった。




