―60― わ、わぁっ!
わたし――リリア=ヴェルトは、人通りのある道を歩きながら、隣にいるフィネアちゃんの奇妙な姿にちらちらと視線を送っていた。
黒っぽいローブに、あの鳥のくちばしみたいな長い鼻のマスク……うん、やっぱりこれってどう見ても変な格好だよね。
「…………」
道行く人たちが、すれ違いざまにじろじろとフィネアちゃんを見ている気がする。そのたびに、なんだかわたしの背中までむずがゆくなってきて、少しだけ恥ずかしい。
でも、フィネアちゃん本人はマスク越しで表情こそわからないけれど、足取りは軽やかで、全然気にしていないみたいだった。
「フィネアちゃん、本当にこの格好で平気なんですか? むしろ余計に目立ってるような……」
思わず小声で尋ねると、フィネアちゃんはマスクのくちばし部分をぷるんと揺らして答える。
「しょうがないよー。この前、マスクなしでちょっと買い物に出たら、あっという間に人だかりができちゃって、サイン攻めにあって大変だったんだから! 賢者フィネアだってバレるより、変な人だって思われるほうがずっとマシなんだよ」
「うぅ……人気者は大変なんですね……」
わたしがそう同情すると、フィネアちゃんは「ま、これもセツくんのせいだけどね!」なんて軽く付け加えて、少し楽しそうに笑った……気がした。マスクのせいで確信はないけど。
今日はこれから、セツさんの家でチョコマフィンを作る予定だ。そのための材料を買いに来たというわけ。
「それで、バターとかお砂糖ですけど、どの辺りのお店にありそうですか?」
「うーん、確か中央広場に近い通りに、品揃えのいい食材屋さんがあったはずだよ。そこならきっと揃うんじゃないかな? ほら、あっちの角を曲がった先!」
フィネアちゃんが指さす方向へ二人で歩き出す。お菓子作りなんて久しぶりだから、なんだかちょっとワクワクする。セツさんも手伝ってくれるって言ってたし、きっとおいしいマフィンができるはず。
そんなふうに、他愛ない話をしながら角を曲がろうとした、その時だった。
「きゃあああっ!」
鋭い悲鳴がすぐ近くで響いた。続いて、ガシャン! と何かが落ちる音と、しわがれた声が聞こえてくる。
「ど、どろぼうーっ! わたしの鞄が……!」
見ると、少し先で腰の曲がったおばあさんが地面に倒れ込み、買い物かごらしきものが散らばっていた。そして、そのすぐ横を黒っぽい服の男が駆け抜けていく。手には確かにおばあさんのものらしき古びた革鞄が握られている!
「ひったくり……!?」
「待ちなさい!」
わたしとフィネアちゃんは、ほぼ同時に声を上げていた。考えるより先に身体が動く。フィネアちゃんもペストマスクを揺らしながら、わたしと一緒に男が逃げ込んだ細い路地へと駆け出した。
「フィネアちゃん、こっち!」
「うん、追いつめよう!」
路地裏は薄暗く、ゴミ箱などが置かれていて走りにくい。それでもわたしたちは足を止めなかった。わたしのスピードなら、すぐに追いつけるはず――!
路地をいくつか曲がり、少し開けた袋小路のような場所に出た。そこには、息を切らせて立ち止まるひったくり犯の男の姿が。
「ほら、観念して、鞄を返しなさい!」
わたしがそう叫ぶと、男はゆっくりと振り返った。けれど、その顔には焦りの色なんてまったくなく、むしろ……ニタニタと気味の悪い笑みを浮かべていた。
「……え?」
おかしい。なんで笑ってるの? 逃げ場はないはずなのに。
わたしの隣でフィネアちゃんも「あれ……?」と戸惑いの声を漏らす。
すると、男はわざとらしく肩をすくめて言った。
「へへっ、お前たちがお人好しで助かったぜ」
その言葉と同時に、路地のあちこちから、ぞろぞろと人影が現れ始めた。薄汚れた服を着て、ナイフや棍棒のような武器を手にした、いかにも悪そうな男たちが、じりじりとわたしたちを取り囲んでくる。その数は十……いや、もっと多いかもしれない。
「なっ……!?」
「えっ!? ど、どういうこと……!?」
わたしとフィネアちゃんは背中合わせになり、警戒する。完全に包囲されてしまった。
最初にいたひったくり犯役の男が、吐き捨てるように言う。
「お前らに恨みはねぇが、頼まれたんでな。ちょっと痛い目にあってもらうぜ」
――頼まれた? 罠だったんだ……!
わたしはハッとして振り返る。路地の入り口を見ると、さっき倒れていたおばあさんが、いつの間にかすっくと立っていた。しかも、腰を伸ばし、悪そうな笑みを浮かべている。よく見れば、顔には皺を描いたような不自然な化粧……変装だ!
「そんな……ひったくりは、わたしたちをおびき寄せるための……!」
なぜ? どうしてわたしたちが狙われるの?
理由はわからない。でも、もしかしたら……狙いは賢者であるフィネアちゃんとか? 彼女を快く思わない誰かが、こんな汚い手を使ってきたのかも……!
「わ、わぁっ! リリアちゃん、どうしようか!?」
隣を見ると、フィネアちゃんはペストマスクの下で明らかに慌てている。
そうだ、フィネアちゃんは……セツさんのおかげで賢者になれただけで、彼女自身は戦いが苦手だって言ってた。
わたしが……わたしが、フィネアちゃんを守らないと!
わたしはぎゅっと拳を握りしめ、襲いかかってくるであろう男たちを睨みつけた。数では不利だけど、わたしだって騎襲闘技の選手だ。ただでやられるつもりはない。
「フィネアちゃんは下がってて! ここはわたしが!」
そう叫び、わたしは身体強化の魔力を練り上げ、いつでも飛び出せるように身構えた。




