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排水溝につまったスライムを日々かたづけるだけの底辺職、なぜか実力者たちの熱い視線を集めてしまう  作者: 北川ニキタ


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―58― おじゃまするねー!

 ソファでぼーっとしながら読書をしていると、扉の向こうからコンコンとノックの音が聞こえてきた。

 ノックの音でなんとなく誰なのかわかってしまうな。


「セツくん、おじゃまするねー!」


 案の定、玄関を開けたのはペストマスク姿のフィネア。

 賢者っていう、世界的に有名な人間のはずが、まるで友達ん家に遊びにくるみたいなノリで勝手に上がり込む姿には、今でも若干の違和感を覚える。


「フィネア、今日もそのマスク着けてるのか?」


「うん! だって顔バレしたら大騒ぎになるもん。余計な人だかりができないように変装するしかないの。おかげで毎日落ち着いてここに来られるんだから、助かるよー」


 フィネアはマスクのくちばし部分をぴょこぴょこと揺らしながら、リビングへ向かう。

 彼女の言うとおり、賢者フィネアといえば今や誰もが知る有名人だ。街を歩けば即座に人に囲まれるらしい。だからこそ、こんなあやしいマスク姿で移動しているのだろう。


「連日家に来るのは別にいいんだが、前は忙しくてまともに休んでなかったじゃないか。最近、暇なのか?」


 オレが尋ねると、フィネアはドヤ顔で背筋を伸ばした。


「そりゃもう、セツくんのアドバイスどおり、仕事を全部きっぱり断るようにしたからねー! そしたら国際魔術協会から『もっと論文を書いて』って言われなくなったし、貴族からの宴席の誘いも極力パスしてる。だから今は結構ヒマしてるんだー」


 以前はあっちこっち引っ張りだこで胃を痛めまくっていたフィネアが、うまいこと仕事を減らせるようになるとは。まぁオレの適当な助言が効いたのなら何よりだ。


「そうだ、あとからリリアちゃんも来るから!」


 思い出したかのようにフィネアが補足する。

 勝手にオレの家を待ち合わせ場所にするなよ。まあ、暇してたからいいんだけど。そう考えてると、フィネアが左右をきょろりと見回す。


「ところで、魔女ちゃんは今日は不在? 最近、わたしけっこう仲良くなれた気がしたから、できれば一緒に遊びたかったんだけど……」


「いないな。どっか行ったんじゃないか? そもそもいつも勝手に出入りする奴だから、オレも詳しくは知らん」


「そっかぁ……残念」


 フィネアはちょっとがっかりした様子。

 シーナとも仲良くなっているのは意外だが、わりとフィネアは誰とでも打ち解けるというか、マイペースなんだよな。

 賢者という肩書きが嘘みたいにフレンドリーで、むしろ世話焼きなところもある。


「セツくんは今日忙しいの?」


「いや、特になにも予定はないが」


 オレが答えると、フィネアは「やった!」と満面の笑みで叫んだ。


「じゃあさ、あとで一緒にお菓子でも作らない? この前ピザ作ったときに思ったんだけど、誰かと一緒に料理するの楽しいなって。セツくんが教えてくれるなら、あたしでもなんとかお菓子を作れそうだし!」


「お菓子か。悪くないな。何を作るんだ?」


「そこはリリアちゃんも呼んで一緒に考えようよ。もう声かけてあるし、たぶんそのうち来ると思うんだ」


 フィネアが言った瞬間、ちょうど扉をノックする音が響いた。さすが賢者、妙にタイミングがいい。オレは苦笑しながら玄関へ向かう。

 扉を開けると、リリアが勢いよく顔を出した。


「セツさん、こんにちは! フィネアちゃんから『お菓子を作ろう』っていう約束をしてたんですが?」


「もう聞いてる。ま、ゆっくりしていけよ」


 リリアが中へ入りかけたところで、オレはなにか異様な存在に気がついた。通りの少し先、石造りの塀のかげに、なにやら気配を感じる。

 ――ん? なんだ、あれは。


「セツさん、どうかしました?」


 リリアが不思議そうに首をかしげる。

 オレはとっさに「いや、なんでもない」と言って、ドアを閉める。何者かはわからんが、どうやら、あんまり首を突っ込みたくない部類の面倒事な予感がする。

 胸の内でそうぼやき、リリアを室内へ誘導した。リビングへ戻ると、フィネアがわくわく顔で待ち構えていた。


「さて、みんな揃ったし、さっそくお菓子のメニューを決めよっか!」

 

 フィネアの声にリリアも頷き、「クッキーとかカップケーキとかですかね?」とか「クリームを絞るなら道具がいるかも」とか、いろいろアイデアを出し合い始める。

 オレは特に意見がないので、黙って聞いていると、最終的に「今日はチョコマフィンを作ってみよう」という結論になったみたいだ。

 リリアが紙を取りだし、メモをとりはじめる。


「チョコと小麦粉はあるとして……バターとかお砂糖は足りなそうですね。あと、溶かしたバターを混ぜるなら耐熱容器とかへらも要りますし……」


「なら、一緒に材料を買い出しに行こうよ! 近くに雑貨屋と食材屋がそろってるエリアがあったはずだよね! よーし、行こう!」


 フィネアは立ち上がって胸を張り、マスクを抱えて玄関へ向かう。すると、当然のごとくリリアもあとに続く。


「セツさんは一緒に行かないんですか?」


「……いや、オレはちょっと用事ができた」


 そう言うと、フィネアが目を丸くする。


「え? さっき『今日は用事ない』って言ってたよね?」


「今できたんだよ。仕方ないだろ」


 リリアが「どこへ行くんですか?」と聞いてくるが、オレは「家の近辺からそんなに遠くには離れないと思う」とだけ答えておいた。


「そっか、じゃあ仕方ないね。わたしとリリアちゃんで買い出しを済ませてくるから、セツくんも用事を済ませておいてよ。帰ったら一緒にマフィンを作ろう!」


「セツさん、先に行ってきますね」


 フィネアとリリアは連れ立って外へ出ていく。オレは二人が通りの曲がり角に消えていくのを窓から見届けて、深く息をついた。

 ……仕方ない、ちょっと確かめに行くか。

 内心放っておきたいが、放置するとこっちが落ち着いてお菓子作りに専念できなさそうだ。わざわざ向こうから目をつけてくるなんて、どう考えても碌でもない。

 かくして、オレはそそくさとコートを羽織り、何者かがいる方へ足を運ぶことにした。


◇◇◇


 町から離れた森の中。

 かすかな風に葉がざわざわと揺れる中で、ひとりの少女が紙切れをじっと睨んでいた。

 ――絶界の魔女シーナ。

 その手には、風になびく小さな紙。そこには「貴様と決闘がしたい――明日正午、森の中の巨大樹の前で待つ」と挑発的な文面が走り書きされている。

 いわゆる果し状のようなものだ。


「これを書いたのはいったいどこのどいつよ? 正面から喧嘩売ってくるなんて、いい趣味してるじゃない」


 シーナは苛立ちまぎれに、紙をくしゃりと丸める。

 目の前には、巨大な樹木が。ラグバルトの町で巨大樹といえば、決まってこれのことだ。

 その周囲に人の気配はなく、かろうじて風に乗った鳥の鳴き声が響くだけ。深い木立の影がぼんやりと揺らめき、まるで誰かが潜んでいるような不穏さが漂うが、シーナはまったく怯む様子がない。


「もうとっくに正午は過ぎてるんだけど! 隠れているっていうなら、早くでてきなさい!」


 その声をひそやかに聞きとめているのは、物陰に身を潜めている黒いローブの人影だった。

 ――黒鴉。

 鬱屈した表情で息をのむ。

 目の前には、国家をも揺るがすほどの力をもつ絶界の魔女。たったひとりを相手にするだけなのに、周囲の空気が張り詰めていくのを感じる。


(……わたしの仕事はここで時間を稼ぐこと。そうすれば、桃兎がセツを狙うあいだ、魔女はここから離れられない……!)


 黒鴉は自分に言い聞かせるように、狙撃銃を握りしめる。薄暗い森の中で、自分がどこまでこの魔女を引き止められるか――想像するだけで胃が軋むほどの恐怖だ。

 もう後には引けない。

 この作戦を完遂させる以外に、自分が生きる道はないのだから。

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