―55― どうやって生きていけば……
わたし――黒鴉は、路地裏でただ座り込んでいた。
いや、正確にはうずくまっていると表現したほうが近いかもしれない。薄暗い石畳の上で膝を抱え、周囲をまるで警戒しきれないまま、ぼんやりと虚空を見つめている。背中は壁にもたれかかっているし、尻もすっかり地面になじんでしまった。
かつては暗殺者として名を馳せ、どんなに難しい狙撃依頼でも完遂する自信があった。
おかげで闇の業界ではそれなりに信頼され、常に新たな依頼が舞い込んできたから、路銀や装備に困ったことなんて一度もなかった。
……少し前までは。
しかし、今のわたしに金はない。
狙撃銃イクリプスを何度も暴発させたせいで評判はがた落ち。
ボスから見放され、すべての闇ルートでの依頼も閉ざされ、わたしの元に仕事は一件たりとも舞い込まなくなった。
――暗殺者として生きる。
それ以外の人生は想像したこともなかった。
わたしは幼い頃から暗殺術を叩き込まれてきたのだ。金のために標的を仕留めることしか知らない。だというのに、いまや標的が見つからないんじゃ、金を稼ぐ手段さえない。
ぼろぼろのローブはもう洗った形跡もないほど埃と泥にまみれ、ところどころ布が裂けて風を通す。
髪だって適当にナイフで刈っただけでずいぶん伸び放題だ。街角の窓ガラスに映る自分の姿をちらと見て、あまりの惨めさに思わず顔を背ける。
朝はいつも空腹で目が覚める。
そもそも昨夜も眠った気がしない。石畳の上でうとうとしては冷え切った背中が痛くなって、また意識を引きずり戻された。それを何度もくり返していたら、夜が明けてしまった。
「……何か、食べるものを探さなくちゃな」
そう呟いてはみるものの、あてもない。
以前なら食べ物に困るなんて想像すらしたことがなかったな。
胃袋がひどく音を立てている。ベルトをきつく縛って空腹感を紛らわせようとしても、燃えるような痛みが消え去るわけではない。それどころか、痛みとだるさが、じわじわ広がってくるだけだ。
――足元にふと目を落とすと、雑草の切れ端らしきものが生えていた。前に試しに口にしてみた雑草とはまた別の種類。どのみち味がどうこう言ってられない。
わたしはそいつをちぎって、口に運ぶ。
「……苦い」
そのひと言をつぶやき、吐き出すのももったいなくて、なんとか唾液で流し込む。腹の底でまるで焼けつくような苦味が染み、喉を通っていく。
急にふわりと気が遠くなりそうになるが、このまま気絶でもしたら、その隙に唯一の所持品であるイクリプスが盗まれるかもしれないと、わたしは慌てて頭を振った。
いや、いっそのことイクリプスを売ってしまえば、それなりのお金になるはずだ。
そしたら、数日分の食料も……いや、それをやってしまえば、自分が本当に終わってしまうような気がする。
通りを行き交う人々の姿が視界の端にちらついた。
皆、わたしの存在を見ないふりだ。そりゃそうだろう。この町の浮浪者の一人――元暗殺者であることなど誰も気づかない。
わたしはそれほどまでに雑多な人物に成り下がっている。
「これから……どうやって生きていけば……」
そう独りごちても答えはない。
――どこへ行けばいい? このまま野垂れ死にするのを待つだけなのか? そんな絶望的な思考をぐるぐる巡らせながら、わたしは路地裏に尻をつけたまま、ただ動けずにいる。
ごう、と体の奥で空腹の風が吹き荒れる。けれど寒さと飢えに疲れきった身体は言うことをきかない。
まばたきするたび、かすむ視界が遠のいていく。
……もう、限界だな……。
意識を失いかけたそのとき、わたしの耳をかすめるようにして足音が聞こえた。その足音はわたしに近づいてくる。
暗殺者だったときなら、一瞬で警戒態勢にはいった。暗殺者というのは、常に誰かから命を狙われている。それを常々に口にしていたのはボスだったような。
しかし、今のわたしは顔をあげる気力すら残っていなかった。
いっそこのままわたしのことを殺してくれ……。
ふと、そんな思いが駆け巡る。
「あれぇー? おねえちゃん、こんなところでなにしてんのー?」
え? と、顔をあげる。
そこにいたのはわたしの後輩――桃兎が軽薄そうな笑みをうかべて、愉快そうにわたしのことを見つめていた。




