―52― ん……! 本当においしいです!
「……なんだ、このカオスは」
家の扉をくぐった瞬間、オレは思わずそんな言葉をこぼしていた。
まず目に飛び込むのは、天井に逆さまのまま宙づりになっているシーナ。部屋の隅で半泣きになっているリリア。
そしてまな板に置かれたピザの前で呆然としているフィネア――って、どう見てもおかしな組み合わせだろう。
玄関を開けてちょっと買ってきたブラックペッパーを見せびらかしながら帰ったオレだったが、そこに穏やかな風景なんてものは皆無。部屋の中にピリつく空気だけが充満していた。
……いや、正確にはピリついた空気と、ほんのり香ばしいチーズの匂いが混ざっていて、なんともいえない混沌ぶりだ。
「セ、セツさん……! ずっと待ってたんですよ……!」
リリアが、半分泣き声になりながらオレの腕にすがりついてくる。
どうもよっぽど怖い目にあったらしい。肩越しに覗けば、天井に貼りついたままのシーナが睨みをきかせていた。
「ダーリン、このトラップ全然抜け出せないんだけど……」
シーナは不満そうな声でぼやきながら、粘液のような捕縛網をぐいぐい押しのけようとしている。
オレが仕掛けた侵入者対策トラップ(ほぼシーナ専用)が、うまく作動したようだ。トラップはシーナが良からぬことを考えたときにしか作動しないはず。
つまり、なにか面倒な騒ぎを起こしたんだろう。
オレが深いため息をついたところで、フィネアが焦げかけのピザを握りしめたまま慌ててやってくる。
「セツくん、これ見て! ピザ、ちゃんと見てたよ! ちょっとだけ焦げちゃったけど」
真剣そのものな表情で差し出してくるのは、端っこがやや焦げたピザ。とはいえ、この軽い焦げ目がアクセントになっていてよりおいしそうだ。
「おぉ、完璧な仕上がりだな。フィネアが見てくれて助かったよ」
そう褒めると、フィネアは嬉しそう「えへへー」と顔を綻ばせる。
「……それで、二人はなんでオレの家にいるんだ?」
まず反応したのは天井に捕まっているシーナだった。彼女は粘液トラップに包まれたまま、上目遣い……というか下目遣いでこちらを見つめ、可愛らしく首をかしげてみせる。
「そんなのダーリンに会いたかったから、に決まってるじゃない♪」
媚びた声音に反応して、すぐさまリリアが大声で割り込んだ。
「嘘ですっ! シーナさんが追いかけてきたからセツさんを頼ってここまで逃げてきたんです! 他の冒険者たちはすでにシーナさんにボコボコにされて……」
リリアはオレの腕をぎゅっと握ったまま、怒りと不安の入り混じった表情でシーナを睨む。すると、シーナは目をそらして明後日のほうを向いている。そこにはちょっとだけ気まずそうな雰囲気が漂っていた。
「ほら、これ以上暴れるなよ」
指先で軽く刻印を描き、パチンと鳴らす。粘液トラップがシュルシュルとほどけ始め、宙づりになっていたシーナがどさり、と床へ落ちてきた。
「ヒィッ」
リリアが短く悲鳴をあげる。地面に尻餅をついたシーナを警戒して、リリアはビクビクと震えていた。
「ダーリンってば、なんだかんだ言いつつわたしに優しくしてくれるよね。そういうところ好き」
シーナは照れ隠しか、もじもじと両手を合わせながら好きって言ってくるが、オレは無言でため息をつくだけだ。
すぐに解いてやったのは、早くピザを食べたいからだ。さっきからおいしそうなピザの香りが鼻をつつくもんだから、お腹が減って仕方がない。
「いいから、ピザを温かいうちに食べるぞ。ほらお前たちも食べるだろ」
そう言って、リリアとシーナにテーブルに座るよう促す。
リリアは「えっ? 本当にご一緒していいんですか?」と遠慮するので、「いいから食っていけよ」と座らせる。
ちなみにシーナは、すでに椅子に座ってピザがやってくるのを待っていた。
「二人だけのつもりで作ったから……四人いると足りないかな?」
フィネアがキッチンからテーブルにピザを運んできた。
「足りなかったらまた作ればいいだろ。具材はたくさん残ってるんだから」
そう言いながら、オレはテーブルに乗せたピザをカットしていく。
そして、ピザを一切れ取り、さっそくかじってみる。
キャベツの甘みやサヤエンドウのシャキシャキした食感が、たっぷりのチーズとトマトソースによく合っていた。
「うおっ……うまいな、これ。フィネアが手伝ってくれたおかげだな」
「えへへ、セツくんの腕がいいからだよ。わたしはちょっと手伝っただけだもん」
恥ずかしそうに笑うフィネアを横目に、隣で控えていたシーナもそそくさと一切れを奪っていく。
「これ、ダーリンが作ったの? ……うん、すごくおいしいわね。特にサヤエンドウがいいアクセントになってるわ。流石、わたしのダーリン」
シーナも満足してくれたようで、チーズを堪能してくれる。
「わ、わたしも……。いただきます……。ん……! 本当においしいです! キャベツが思ったよりも甘いですね。それにサヤエンドウの歯ごたえとチーズのとろとろがいい感じに合わさってます。こんなの自分じゃ絶対に作れません……すごい……」
リリアは最初遠慮がちだったが、一口食べるたびに笑顔が増していく。どうやら緊張も少しは和らいだようだ。
「んー、焦げたところが意外とクセになるな」
オレも二切れ目を手に取ってかじりつく。ジュワッと溢れるチーズとバターで炒めたキャベツが口のなかで絡み合う。
荒れた空気の中で始まった食事会だったが、こうしてピザを囲んでいると、不思議な一体感が生まれてくる。シーナとリリアも、表情こそ微妙に警戒心は残っているものの、ケンカをするわけでもなく黙々と食べ進めていた。
「これはもう一枚焼く必要があるかもな……」
ピザを見やり、そう呟くと、フィネアが安心したように笑う。
こうして全員でピザを頬張る姿は、はたから見れば仲良しグループのように見えるから、美味しい料理ってのは不思議なパワーがあるよな、とか思わんこともないような。




