―50― 生地から作る
オレはフィネアと一緒に、収穫したばかりのバジルやキャベツ、サヤエンドウを抱えて家へ戻った。
部屋に入ってすぐ、フィネアは「ちょっと泥がすごいから洗面所を借りるね」と言い残し、バタバタと奥へ駆け込む。
あんな重たいマスクつけて庭仕事してりゃ、蒸れて仕方ないだろう。しばらくして戻ってきたフィネアは、顔を洗ってさっぱりしたのか、どことなく息を吹き返したように見えた。
「ふぅ、すっきりした。……で、セツくん、ピザ早く作ろうよ! セツくんの料理なんでもおいしいから、楽しみだなぁ」
フィネアがソファに腰を下ろしながら、ワクワクした様子で肩を揺らす。庭仕事の泥を落とすのに頑張ったのか、髪先がほんのり湿っていた。
「せっかくだし、生地から作るか」
「えー!? セツくん、生地から作ることができるの? すごっ」
「まぁな。本格的なピザ職人ってわけじゃないが、それっぽいものなら意外と作れるんだよ。魔導コンロのおかげで、生地を焼くときの温度管理もそんなに難しくないし」
そう言いつつ、キッチンへ移動し、まずは生地づくりのために粉を取り出す。小麦粉だけじゃなく、少しだけライ麦粉も混ぜると香ばしい風味が出るからオレは好きなんだよな。
「最初は粉を計量して……えーと、二人分だから……小麦粉とライ麦粉を合わせて軽く……こんな感じでいいか」
「へぇ、分量って適当でも大丈夫なの?」
「適当すぎると失敗するけど、こういうのは感覚でもなんとかなるんだよ。あとは発酵させるから、そのときの調整でカバーできる」
真面目な職人ならちゃんと計測するんだろうが、オレはそういう面倒なのはパスだ。
「じゃあ、粉はこんなもんで……次は塩と砂糖をちょっと。イースト菌を入れて……水を少しずつ足しながら混ぜていく」
「へー、ねぇ、あたしにもやらせてよ」
フィネアがいつの間にか着ていたエプロンをまくりあげて、張り切った様子で粉を触り始める。だが、慣れない手つきのせいか、いきなり粉を飛ばして自分の頬に白い斑点を作ってしまった。
「あはは、いきなりこぼしやがって……ほら、こねるときは内側からまとめるように、なるべく空気を均等に含ませるイメージだ」
「う、うん……こう? うわ、手がベタベタする……」
フィネアの手についた生地がぴよーんとのびて、まるでスライムみたいな状態になる。最初は誰でもそうなるもんだ。
オレはちょっと笑いをこらえながら、お手本がわりに横から生地をこねてみせる。すると彼女も、それを真似しながら少しずつ手さばきが上達していった。
「いい感じになってきたじゃないか。じゃあ、ある程度こねたら丸めて、大きめのボウルに入れて発酵させる。適度に温かい場所で時間をかけるのが大事なんだよ」
「そっか。待つ時間も楽しむ、ってやつ?」
「そんなところだ。まぁ、そのあいだにトマトソースや具材を用意しておこう」
そう言って、オレはボウルに布巾をかけ、キッチンの片隅に寄せる。発酵を待つあいだ、バジルやキャベツ、サヤエンドウなど、さっき採ってきた野菜を改めて仕分けする。
「バジルは定番だからたっぷり使うとして、キャベツはピザの具にするなら、さっと炒めるか下茹でしといたほうがいい。サヤエンドウは色鮮やかだから、そのまま軽く茹でて散らしても面白いかもな」
「いいね! あたし、キャベツ切るの手伝うよ。家事とかまともにやってないけど、包丁を使うくらいはできるから」
フィネアが慣れない手つきでキャベツをざくざく刻む。ややサイズが不揃いだけど、細かいことは気にしない。ピザの具材なんて大らかなくらいが丁度いい。
「うん、そのくらいの大きさで問題ない。じゃあ、軽く炒めるか。……魔導コンロは使い慣れてるか?」
「一応……ただ、温度管理が不安かも」
「大丈夫だ。焦がさないようにじんわり炒めればいい。バターと塩、ちょっとだけニンニクを加えて……それで充分に甘味が出るし、トマトソースとも相性いいと思う」
フィネアが魔導コンロの火力を控えめにして、キャベツを炒め始める。ジュワーッと音が立ち、バターの香りが漂って、そこにほんのりニンニクが混ざる。ああ、いい匂いだ。
「サヤエンドウは軽く茹でるだけだし、タイミング見て鍋に入れておくか。……よし、手が空いたから今度はソースを準備しよう。トマトの水煮を鍋に入れて、オリーブオイルと塩コショウで整える。余裕があれば玉ねぎのみじん切りを少し足すのもいい」
「玉ねぎはあたしが刻むよ! ……うっ、目にしみる……っ!」
「大丈夫か? ま、慣れないうちは涙が出るのは仕方ない」
フィネアが玉ねぎに翻弄されながらも、トントン切り進める。その姿に思わず苦笑するものの、意外と嫌がらずにやってくれる。
「さて、こんなもんか。ソースを煮込んでいるうちに、生地がいい感じに発酵してきたんじゃないか?」
発酵させていたボウルの布巾をめくると、ぷっくりとふくらんだ生地がお目見えする。指でちょっと押すと、しゅわっと空気が抜ける感じが気持ちいい。
「わぁ……なんか、ほんとパンみたいにふくらんでるね。これを伸ばしていくんだよね?」
「そう、適当に伸ばしながら大きめの円形にしていく。できるだけ薄めにしたいなら、がんばって均一に広げるんだけど、これまた慣れが必要だ。オレは手でやるけど、めんどくさいなら麺棒使ってもいい」
「じゃあ麺棒で! 力入れすぎないように……よいしょ、よいしょ……あれ、丸くならない……」
フィネアが苦戦しているあいだに、オレはちゃちゃっともう一枚分の生地を伸ばしておく。両方とも程よい大きさになったところで、オリーブオイルを塗った鉄板の上に敷く。
「具材は……トマトソースを塗って、さっき炒めたキャベツを広げて、その上にチーズとか、たっぷりのバジルとか……」
「サヤエンドウも乗せるの? へんな感じにならない?」
「むしろ緑色がいいアクセントになると思う。コリコリ食感もあっていいんじゃないか」
ソースと具材を満遍なく並べ、最後にチーズをこれでもかと散らす。
そうして出来上がった生地を、あとは魔導コンロに併設してあるオーブン機能に滑り込ませるだけ。火力をやや強めにして、限界まで熱くなった炉内にピザを突っ込むと、一瞬にして旨そうな香りが立ちこめる。
「おぉ……いい匂いだね。早く食べたい!」
フィネアが鼻をひくつかせながら笑う。楽しんでくれているようで何よりだ。
「これを5分か10分ほど焼けば完成だ。ちょこちょこ火力と中をチェックしながら、焦げすぎないかだけ注意してな」
「はーい! ……わあ、だんだんチーズが溶けてきた。ぐつぐつして、今にも食べられそう!」
ガラスの小窓からオーブン内を覗き込むフィネアの姿は、まるで子どものように無邪気だ。
そんなフィネアの様子を見ながら、ふと「何か足りない気がする」と思った。
「あれ……そういえばオレ、あれを用意してなかったかも」
ピザが仕上がる前の、いわゆる仕上げの段階で加えたい調味料があったはずなのだが、どこを探しても見当たらない。
「セツくん、どうしたの? もうピザは完成するよ?」
フィネアが、不思議そうにオーブンの小窓から顔を上げる。
「ああ……悪い。ブラックペッパー、さっきのでちょうど切らしたみたいでさ。最後の仕上げにひと振り欲しかったんだよな。なくてもいいけど、どうせならあったほうが味が締まるから」
「そうなんだ……。でも、それくらいなくても大丈夫でしょ? ニンニクも使ったし、充分香り出てるよ」
「ま、そうなんだけどさ。どうせ焼き上がるまでにしばらく時間あるし、近くの雑貨屋ならすぐ行って買ってこれるから。フィネア、ちょっとここ見張っててくれ。火力を上げすぎて焦がすなよ?」
布巾で手を拭きながら、オレは玄関へ向かう。
「今から行くの? じゃああたしはピザを見てればいいんだね。大丈夫、任せて!」
フィネアは少しだけ不安そうな顔をしながらも、「はーい」と快く返事をする。
「それと、もしオーブンが熱くなりすぎそうなら火力を少し弱めておけよ。……すぐ戻るから」
そう言い残し、オレは足早に家を出た。ドアが閉まる直前、フィネアは「いってらっしゃーい」と笑い声を添えて見送ってくれたのが聞こえる。
◆
家の中に残ったフィネアは、オーブンの小窓をじっと覗き込みながら、鼻歌まじりで温度計を確かめていた。
「ふふっ。セツくん、なんだかんだ料理好きだよねぇ……。こんがり焼けたら食べごろかな」
食欲をそそる香りが狭いキッチンに立ち込めている。
先ほど軽く炒めたキャベツも良い匂いだったし、トマトソースに溶け込む玉ねぎの甘味もさぞかし美味しいことだろう。フィネアはおなかがグーっと鳴きそうなのを必死にこらえながら、タイマーを気にしている。
「こんな感じでのんびりしてると、ほんとにいろいろどうでもよくなるな……」
つぶやきながら、フィネアはオーブンの窓をもう一度覗く。
トロリと溶け始めたチーズ、ジュワジュワと湯気を上げるサヤエンドウ。生地の縁もきつね色に色づいてきて、あと数分で完成しそうだ。
「はぁ……おいしそう。セツくん、早く戻ってこないかなー」
そんなことをぼやいた矢先――
ガンッ!
外から、玄関の扉が勢いよく開け放たれる衝撃音が響いた。続いて荒い息をつく誰かの気配。その足音は、ひどく切羽詰まった様子で廊下を駆けてくる。
「セツさん、助けてください!!」
悲鳴にも似た声とともに、玄関からリビングへ飛び込んできたのは――少女の姿。
「え……あ、あの……せ、セツくんはいま外出中で……」
フィネアはキッチンの奥から慌てて顔を出す。ピザの心配が頭をよぎったが、それどころじゃない空気が玄関先に漂っていた。
少女は息を整えようと肩を上下させ、必死に言葉を搾り出している。部屋の奥に立ち尽くすフィネアの姿を認めたのか、ちらりと目を向けた。
「え? だ、だれ? いや、それより、セツさんは……どこに……早くしないと、魔女が……」
息が乱れて、まともな文章になっていない。でも、相当な緊急事態なんだろう。フィネアは思わず背筋を伸ばし、焦りを感じながら答える。
「セツくんは……すぐ戻ってくるはずなんだけど……。いったい、なにがあったのかな?」
ピザの甘い香りが漂うキッチンに、一気に重苦しい緊張感が広がった。玄関に立つ少女の瞳には、涙と絶望が混ざり合ったような色が宿っている。
フィネアは胸がざわつくのをこらえながら、ただ状況を把握しようと身構えるしかなかった。




