―48― 本当に久しぶりじゃない?
今日は朝からシーナの気配がなかった。
いつもなら窓から堂々と侵入して「だーりん♪」と抱きついてくるか、トラップにひっかかって「ぐえっ」と呻いているか、どっちかなんだが、きっと用事でもあるんだろう。
あの魔女がいない朝――平穏。すばらしい。
「さて、コーヒーでも淹れるか……」
そう言いながら、伸びをする。それから、キッチンで豆をひいて、湯を沸かして……香り豊かなコーヒーの準備は万端。
「今日は畑と庭の様子もみたいし、コーヒーで一息ついたあとはガーデニングでもしようか」
うちの庭は、ちょっとした畑を併設していて、ハーブやミニトマト、あとは季節ごとにいろんな野菜を気ままに育てている。
黙々と野菜をいじる時間がオレにとっては最高の癒やしなんだよな。
「よし、コーヒーもいい感じに淹れ終わったし……」
カップを持って居間のソファに腰を沈める。飲み慣れた苦味とほどよい酸味の香りが口の中に広がって、思わず頬がゆるむ。
ああ、幸せだな。そういえば最近、森で摘んできた山菜を使った料理ばかりしていたから、今日は昼食に庭のハーブを使うのもいいかもしれない。
「うん、平和が一番……。今日はのんびり過ごすぞ」
そう決意し、ソファに背中を預けて、小説でも読もうかと思った瞬間。
コンコン。
扉をノックする音がした。
シーナにしては珍しくまっとうにノックしてくる……わけがない。むしろ「ドアなんて飾り」くらいに思っているあいつにとってはノックなんぞ不要なはずだ。
となると、別の誰か……リリアが「また遊びに行きたいです!」とか言い出してたし、リリアの可能性もあるか。
まぁ、いずれにせよ騒がしい展開にさえならなければいいが。
立ち上がって玄関へ向かい、ゆっくり扉を開けてみると――そこには何やら不審な人影が立っていた。
黒っぽいローブに身を包み、長い鼻のようなマスク……ペストマスクかよ、とツッコミを入れたくなる妙な被り物をしている。不審者か?
「……誰だ、お前?」
思わず身構えるオレの視線に気づき、そのペストの被り物はバッと扉の影に隠れつつ、小声で言い放った。
「セツくん、中に入れて……あたしだよ、フィネア」
「……フィネア?」
思わず聞き返す。声を聞けば確かにあいつかもしれないが、なぜにこの格好……?
いまや世間で「賢者フィネア」と呼ばれ、国際魔術協会や各国から引く手あまた、栄誉と注目を一身に浴びている人物。
……ただ、その理論ってのは、実はオレがどぶさらい用に効率化した魔術を彼女名義でこっそり発表しただけというオチなんだが。
それがバレるとオレが注目を集める一方フィネアはバッシングにあう……というわけで、秘密を抱えたまま過ごしている。
「早くいれて! 外で見つかったらどんな騒ぎになるかわかんないんだから!」
急かすフィネアをとりあえず家に引き入れる。ドアを閉めた瞬間、フィネアは大きな息をついて、さっきのマスクをむんずと取り外した。
「ふう……ここまでくるのに、何度見つかりそうになったかわからないよ」
「そりゃあんな目立つ衣装なら逆に怪しまれるだろ……」
口に出すと同時にじろりと被り物を眺める。どこで仕入れたのか、この長い鳥のくちばしみたいなマスクはぎょっとする造形だ。
「なにさ、むしろこの顔を見られるほうが大変なんだよ。最近、わたしの人気がやばいの。行く先々でサインやら握手やらで身動きがとれないぐらい」
フィネアは頬をふくらませながら言う。顔をあげると、いつものてんねんっぽい表情がのぞいていて、なんだか懐かしい気もしてくる。
「はいはい、大変だな」
「もう他人事なんだから……こうなったのも全部セツくんのせいなんだからね」
「お前が安請け合いしたのが原因だな」
フィネアは一瞬むっとした顔をしたが、すぐに「はぁ……」とため息をつく。なんだかお疲れのようだ。
「とりあえず部屋で落ち着いていけよ。コーヒー入れるか?」
「そ、そうさせてもらう。はぁ、ここに来るまでに、二回は人混みに絡まれそうになったんだから……」
フィネアは肩のローブを脱ぎつつ、腰を下ろす。
「それでもわざわざこんなところに来たってことは、なにか用事でもあるのか?」
そう尋ねると、再びフィネアはむっ、と不機嫌そうな表情になる。
「まるで用事がなければ、ここに来ちゃダメみたいじゃん」
「別にそういうわけじゃないけどな」
今日のフィネアはいつも以上にめんどくさいな。
正直、せっかくシーナが不在で静かな時間を楽しんでいたから、あまり騒がしいのは歓迎しないけど……。まぁ、追い返すわけにもいかない。
「そういえば、この前セツくんの家に来たときは色々と相談したんだったね」
たしか「特許をフリーにする」とか「がっぽり入ってきた使用料を寄付に回す」とか、いろいろ決めたんだったな。
それ以降、フィネアは「聖女の生まれ変わり」とか謳われ、より一層フィネア自身の名声が空に昇るように高まりまくってしまった。
それで今もなお、彼女を慕う人々が大量にいて、街へ出るだけで人が殺到するというわけだ。
「……まぁ、ゆっくりしていろよ。オレは庭でもいじってくるわ」
そう言って、オレはリビングを出ようとする。
「ちょっと待ってよ、せっかく来たのに、いきなり置いて行く気?」
「だって特に要件ないんだろ? だったらオレはいつも通り自分ひとりの趣味を楽しむだけだ。好きにくつろいでくれて構わんぞ」
フィネアが拗ねた顔をするのを横目に、玄関でガーデニング用の籠を手に取り、外へ出る。ドア越しにふっと振り返ると、彼女は何か言いたそうな目をしているが、オレからなにか言うつもりはない。
「庭仕事……そ、そうだ、あたしも手伝う!」
慌ててフィネアが立ち上がり、顔を輝かせる。
「おい、外でお前の顔が見られたら、騒ぎになるって話をしたばかりだろ」
「ふふん、心配ご無用。それを回避するための被り物ってわけだよ」
そう言って彼女が取り出したのは、さきほどの長いクチバシマスク。まじまじと見ると、やっぱり不気味だ。
「うわあ……」
オレは率直な感想がそのまま口をつく。
目立つわ、それ。町中を歩けば余計に奇異の目で見られるに違いない。でも、まぁ小さな庭先くらいなら問題ない……のか?
「これなら顔バレしないし、OKでしょ? ほら、早く庭に行こうよ!」
フィネアがドヤ顔でマスクを掲げる。うーん……まぁ、好きにしてくれ。




