ー47ー わたしとあそぼうかー?
「あ、兄貴! なんでこんなボロボロに……!? この町の誰より強いって言ってたのに……!」
カイルは驚きの声をあげながら、ずるずると地面を這うレオンさんへ駆け寄る。
「……カイル……」
レオンは必死に瞼を開き、弟の名を呼ぶ。
その声は消え入りそうなほど弱々しく、これまでの自信家っぽい姿など微塵も感じられない。
「お、俺は……弱い……」
ぽつりと、そんな言葉を落とした直後、レオンさんは意識を手放すようにがくりと首をうなだれ、そのまま気絶してしまった。
「兄貴ぃいいいいいいいいいいいいいい!!」
カイルの必死の叫びが広場にこだまする。
悲痛な声なのに、わたしは「うわあ……こ、これは……」と、なんとも言えない気まずさに包まれてしまう。見てはいけないものを見てしまった、というか……ごめん、ドン引きしてる自分がいる。
「ふふ……あんたたち、こんなところにいたんだぁ」
低い声音がすぐ近くから聞こえた。
そこに立っているのは……絶界の魔女シーナ。
うわぁ……。血まみれのレオンさんを踏みつけていた張本人だ。
「こ、講習会は中止です!」
不意に、わたしの隣でフローラさんが声を張り上げた。ピシッと背筋を伸ばし、堂々と前に出てくれるその姿は、まるでみんなを守るために立ち上がる勇者みたいに見える。
わたしは心の中で「うおぉ、フローラさん、勇敢だ……!」と尊敬の眼差しを向けてしまった。
しかし――。
「みんながんばってぇー!! あたしは退散しまーすっ!!」
次の瞬間、フローラさんは何を思ったのか、くるりと背を向け、「ごめん! あたしムリ!」と叫びながら全力疾走で逃げはじめたではないか。
「えぇぇぇっ!?」
わたし、思わず叫んだ。
講習会を中止にするのは大賛成だけど、まさかフローラさんがまず先に単独ダッシュするなんて……! どういうこと!? わたしたちを置いていく気!?
「ははっ。状況判断だけは速いじゃん、そこの結界使いちゃん」
シーナはまるで猫がネズミを追いかけるように、スッと足を一歩踏み出す。すると、その足運びだけで一瞬にしてフローラさんの上空に迫り、そのまま踏み潰した。
「ぐはぁっ!?」
フローラさんはまるで紙くずのように吹っ飛び、地面でごろごろと転がる。ああ……やっぱり……またいつもの暴力的な展開になってしまった。
鼻血を噴きながら気絶しかけているフローラさんを横目に、シーナがゆっくりとわたしのほうを振り向く。
「さて、リリアちゃん……わたしとあそぼうかー?」
口元が歪むと同時に、ぞわりとした寒気が背筋を駆け上がる。なんだろう、この身体が固まる感覚は。前に講習会でボコボコにされて、二度と立ち上がれないかと思ったあの悪夢がフラッシュバックする。
――逃げなきゃ。
こんなところでシーナさんに捕まったら、ぜったい酷い目にあう!
「す、すみませんっ……! わたし、失礼します!」
反射的に疾風を起動させ、全力疾走でその場を飛び出した。まさかこんなに早く逃げ出すことになるとは思わなかったけど、仕方がない。スピード型の最大の利点は回避と逃走なんだもん。
「あーれー? どこ行くのー?」
涼しい声が耳に届く。同時に、わたしの横を誰かが併走している気配がした。
「……ひっ!?」
ちらりと視線を向けると、わたしの全力疾走にぴたりとついてきているシーナさんの姿が。
なんで追いつけるんですか、これ……!
「しかも、わたしは学術院時代に中距離部門で大会新記録も出してんだよぉぉおお!!」
「なにそれ? おいしいの?」
シーナがあくび交じりに答える。全然理解されてない。てか、なんで涼しい顔でわたしに追いつけるんだ!
「ちくしょぉぉぉ……! わたしの唯一の誇りなのに!」
なんなのこの化け物はぁ……!
息を切らせながら、さらに脚に魔力を集中する。せめて少しでも遠くへ逃げなきゃ。どこかに助けを呼べる相手はいないの?
そう思った矢先、遠くに人影が見えた。見ると、大柄な男が大剣を構えて仁王立ちしている。
あれは! ギルドマスターのアルフォンス=バイリッツさんだ。
「魔女シーナ……! これ以上、貴様に好き勝手はさせんぞ!」
見事な啖呵。わたしは思わず「おお……!」と感嘆してしまった。さすがは支部長! 元凄腕の冒険者みたいだし、きっとなんとかしてくれるはず!
「いいねぇ……気骨のある奴は嫌いじゃないよ。あんたの手並み……拝見しようじゃない」
シーナが楽しそうに笑みを深めながら、ずいっと前へ出る。アルフォンスさんも気圧されることなく、大剣を両手に構え直す。
「下がってろ! お前は巻き込まれるな……!」
彼がわたしを庇うように声を飛ばし、一気に踏み込む――その瞬間、
「……え?」
わたしの目には、アルフォンスさんがどこに飛んでいったのかわからないくらいのスピードで吹っ飛ばされる光景が飛び込んできた。
衝突の一閃すら見えなかったのだ。気づけば、アルフォンスさんは地面に叩きつけられて転倒している。あまりにも一瞬すぎて、わたしは声も出せない。
「今ので終わりー? あは、つまんな~い」
シーナがほんの少し小首を傾げてがっかりしたように言う。大剣がぽとりと地面に落ちる音が、やけに大きく耳に残った。
「う、嘘……アルフォンスさんが……一瞬で……」
ギルドマスターがまさかの秒殺。どうしたらいいわけ……!?
絶望感がドドドッと押し寄せてきたけれど、ここで立ち止まってはいけない。止まったら終わりだ!
「……逃げるしかない!」
わたしはその場を離脱するように再び走り出した。わたし以外、みんな倒されちゃった。こんなとき、頼れる相手は……もうひとりしかいない。
「セツさん……助けてくださいっ!! 化物に追われてます!」
呼びながら、一秒でも早くセツさんの家へ向かう。
あの規格外の魔女シーナを止められる人がいるとしたら……セツさん以外、わたしは思いつかないんだ。
セツさんならなんとかしてくれる。
そう信じて、わたしは全速力で石畳を駆け抜けていった。




