―44― 講習会ですか?
アルフォンス=バイリッツは、かつて名の知れた冒険者だった。
しかし今は、ラグバルト支部の支部長――通称ギルドマスターとして、冒険者たちをまとめる立場にある。
生まれは貧しい漁村。
幼いころから家族を守るために剣を握り、魔物退治で功績を積んだ結果、いつの間にか今のポジションへと上り詰めていた。
周囲からは「偉くなったな」と冷やかされるが、実際のところ、この職は常に胃痛や頭痛を伴う重責そのものである。
そんな彼が、今まさに悲鳴を上げそうな状況に直面していた。
ギルドの地下訓練場の床には、多くの冒険者たちが転がっている。誰もがひどい怪我を負い、痛ましい声をあげる者すらいる。
その中央には、血走った目で「た、助けてくれ……」と弱々しく手を伸ばす男がいた。
ところが、その手を無情にも踏みつけていた者がいた。
絶界の魔女シーナである。
彼女は笑いながら足を乗せ、まるで冒険者を痛めつけることを楽しんでいるかのようだった。周囲には倒れ伏す者たちの呻き声が広がり、まさに地獄絵図さながらだ。
「な、なぜこんなことになってしまった!!」
アルフォンスの慟哭は、虚しく地下訓練場に響く。
だがシーナには、その声すら届いていないらしい。どこ吹く風とばかりに、歯を見せて微笑んでいる。
どうしてこんな惨状になったのか――答えを求めるように、アルフォンスの思考は少し前の出来事へと遡っていく。
◆
ラグバルトは港町として貿易が盛んだが、王都からは遠く離れているため、A級やS級の猛者たちが常駐するような大都市とは違い、普段はどこかのんびりとした空気が漂っている。
「うちの冒険者たちにはもっと緊張感をもってもらわないとな」
ふと、アルフォンスはそんなことを思った。
今の頻度でモンスターが現れる分には問題ないが、いつ強力なモンスターが現れるかわからない。実際に、グランドイーターという巨大怪物が襲来したわけだし。
そこで思いついたのが、「世界屈指の実力者である魔女を招いて講習会を開き、レベルアップを図ろう」という案だった。
魔女とは、国家すら揺るがすほどの力を持った超常的な魔術師であり、普通なら敬遠される存在だ。
しかし、アルフォンスは「魔女といっても、心優しい人物がいると聞いたことがある」と、どこかで仕入れた曖昧な噂を頼りに、ラグバルトに偶然にも滞在していた「絶界の魔女シーナ」に依頼をしてしまった。
結果は、散々だった。
リリア、フローラ、レオン、ユージン、ガルドなど、そこそこ腕が立つと言われる面々が参加したが、シーナは「講習」という名目で圧倒的暴力を振るい、一方的に冒険者たちをねじ伏せてしまったのだ。
魔女の放つ圧倒的暴力の前に、誰もなす術がなかった。あっという間に彼らはボロボロとなり、気絶して倒れる者まで出た。
アルフォンスはその光景を目の当たりにし、「もう二度と魔女なんか頼むものか」と固く心に誓った。
ところが、その後すぐにラグバルトを襲ってきた難易度SS級の怪食竜グランドイーターを魔女シーナがあっさり撃退した。
それ以来アルフォンスは思った。
彼女が味方であるうちは心強いが、いつ暴走するとも限らない――そんな恐怖が現実を支配し始めた。
そしてつい先日、シーナがアルフォンスの執務室に勝手に入ってくる。
「ねえ、わたし、もう一回講習会をやろうと思うの。いいわよね?」
彼女はデスクに足をかけるようにして座り、サバサバとした口調で問いかけた。
アルフォンスは当然ながら断ったが、シーナは「は? この前、街を守ってあげたのに、わたしに何のお返しもないの?」と凶悪なオーラを漂わせて迫ってきた。
完全に脅しの形ではあったものの、その圧倒的な雰囲気にアルフォンスは屈せざるを得なかった。
結果として「検討する」とだけ伝え、どうにか追い返した――つもりだった。
どうせこの前にみたいに張り紙で募集したところで、冒険者たちにシーナが恐ろしい存在だと知れ渡っている以上、集まる者はいないだろうと思っていた。
だが、シーナは朝イチでギルドに現れ、「あなたたち全員強制連行ね」と高らかに宣言し、あれよあれよという間に冒険者たちを近くの広場に連れて行ってしまったのである。
そして今――冒険者たちは再び地獄のような仕打ちを受け、訓練場一帯が悲惨な修羅場と化していた。
「このまま続けたら、うちの冒険者が全滅してしまう……頼む、やめてくれ……」
アルフォンスは懇願するが、彼女が首を縦に振る気配はない。その代わり、シーナは薄い笑みを浮かべるだけだった。
◆
「え? 講習会ですか?」
わたし――リリア=ヴェルトは、首を傾げながら声を上げた。
目の前にいるのは、わたしと同じく冒険者ギルドに所属するフローラさん。結界生成を得意とする外部出力系で、朗らかな雰囲気をまとった女性だ。
シーナさんのあの講習会で初めて知り合って以降、あの地獄をくぐった同士として不思議と絆が生まれたのか、最近フローラさんとは何かと一緒に話すことが増えた。
この前なんて、一緒にモンスター討伐の依頼に行ったし、ついつい「フローラさん、次も一緒に行きましょう!」なんて誘っちゃうなんてことも。
そんなフローラさんが、今日わたしを呼び止めた。どうやら講習会とやらがあるらしい。
「講習会」と聞くとどうしてもあの悪夢を思い出してしまう。シーナさんの講習会では、体も心もずたずたにされ、いまだに軽くトラウマが残っている。
「そ、それって、もしかしてシーナさん絡みですか……?」
嫌な予感に身構えながら尋ねると、フローラさんはぷっと吹き出しそうになりながら、首を横に振った。
「ううん、そのことじゃなくてね。って、わたしも、あれはもう二度とゴメンかも。わたしが言っているのは、もっとほのぼのしたやつよ。講習会というより新人教育って言ったほうが伝わるかしら」
「新人教育ですか?」
わたしは貴族ということもあって、立派な学術院に通っていた。
けれど、そういう学校に行ける人は限られているため、一般の子供でも通えるような私塾のようなものがあるらしい。そこで子供たちに読み書きや簡単な計算を教えるんだとか。
「その中でも冒険者を希望する人たちに魔術を教えてあげているの」
フローラさんが言うには、私塾では普段、講師を務めている人がいるが流石に冒険者が使うような魔術は無理らしい。だから、現役の冒険者が教える機会を設けてるんだとか。
「それで、わたしひとりでもいいんだけど、わたしって外部出力系じゃない。だから、リリアちゃんみたいな身体強化系を見せてあげられる人がいたら、新人さんもためになると思うの。どうかな、力を貸してくれないかな?」
「そうなんですね……」
わたしが誰かに教えるなんてできるか正直不安ではあるけど、フローラさんの頼みっていうなら応えてあげたい。
「わかりました。講習会、ぜひお手伝いさせてください」
「やった、ありがとう! 子供たちも、絶対喜ぶと思うわ!」
フローラさんはパッと笑顔になり、さっそく日取りや場所の詳細を教えてくれた。
緊張するけど、ちょっとワクワクするような。誰かに教えるなんて、久しぶりだ。




