―38― 少し切ない味
「あ……ど、どうも」
わたし――リリア=ヴェルトは椅子の背もたれから背筋を伸ばし、フォークを置く。まさかこんなところで会うなんて思っていなかったものだから、なんだか気まずい。
なにしろ、セツさんを探していたわたしは、ギルド内であれこれ迷惑をかけたこともあって、ミレイさんにはよく思われていないかもしれない。
そんなわたしの居心地の悪さを感じたのか、ミレイさんはほがらかに微笑んだまま、カウンターの奥に目をやる。
「リリアさん、こんなところで会うなんて偶然ね。その、せっかくだし、ちょっと隣に座ってもいいかな?」
「え? あ、はい、どうぞ……」
なぜわざわざ一緒に?
と思ったものの、むげに断るわけにもいかず、わたしは素直にうなずいた。すると彼女は「ありがとう」と言いながら、わたしの隣の椅子を軽く引き出して腰をおろす。
店主のシルフィさんが「いらっしゃいませ~。ミレイちゃん、はお仕事はもう終わったの?」と声をかけてくると、ミレイさんは「今、お昼の休憩中よ」と返しながら、ハーブティーを注文した。
ハーブの湯気がふわりとあたりを包むなか、ミレイさんがわたしのほうを向いて、すこし上体を乗り出してきた。
「ねぇ、リリアさんって……騎襲闘技の選手なのよね?」
「え?」
一瞬、飲みかけていたハーブティーを吹き出しそうになる。まさか、こんなところでわたしの過去が話題に上るなんて。
思わず「ど、どうしてそれを……?」と問い返そうとしたけど、そういえばけっこういろんなところでしゃべっていたし知られていて当然か。
ミレイさんは、わたしが動揺しているのを気に留める様子もなく、微笑を保ったまま続ける。
「やっぱりそうだよね。……実は、最初にリリアさんをギルドで見かけたときから、なんだか既視感があったの。だけど全然思い出せなくてね」
ミレイさんがどこか照れくさそうに続ける。
そのあいだ、わたしはフォークを置き、ハーブティーのカップを両手で包み込むように握りしめていた。
カップを見つめるわたしの耳に、ミレイさんの話が続く。
「うちの父が騎襲闘技の大ファンでね。家には何冊か専門の雑誌があったんだけど、その中にリリアさんの写真が載っていたのを思い出して……あぁ、あの子だ! って」
や、やっぱり……。本格的に嫌な予感がしてきた。
というのも、雑誌の中にはわたしを散々こき下ろす記事もあったはず。たとえば「まぐれのMVP」とか「伸び悩みの天才崩れ」とか……。それを読まれていたらすごく嫌だな、と心のどこかで思わずにはいられない。
そんなわたしの心配をよそに、ミレイさんはハーブティーに唇をつけながら、瞳を輝かせた。
「それから色々見ているうちに、わたしも騎襲闘技の大ファンになっちゃってね! 今度、現地で観戦もしたいなって」
「そうなんですね……」
思わず、わたしはイスに座り直し、ミレイさんの言葉に耳を傾けた。
驚きとちょっとした照れで、心臓がどきどきする。プロの世界で結果を残せず挫折気味なのもあって、いまは『騎襲闘技』の話題ってちょっぴり苦手だ。
「うんうん。父が読んでた雑誌に、リリアさんの写真が載っていたんだけど……たしか、当時の学生リーグで大活躍して、MVPを取ったって解説があったわ。わたし、実はそれを見て『こんな年若い子が、こんな派手な競技で大活躍するんだ』ってワクワクしたのよ」
ミレイさんの頬がわずかに上気し、まるで少女のような表情になっていくのがわかる。
その無邪気ともいえる喜びがまぶしくて、わたしは無意識に視線を落としてしまった。最近は自分のことを語るのが怖かったから、それをこんなふうに歓迎されるなんて、正直想定外だ。
「……で、でも、あんまりすごいことじゃないんですよ。プロに上がってからは全然ダメでしたし……」
謙遜混じりにそう言うと、ミレイさんは「そんなことないわよ!」と首を横に振る。彼女がわたしの肩に手を乗せてきたものだから、ちょっとドキッとしてしまった。
「雑誌には、リリアさんのスピードはプロの中でトップレベルって書いてあったわ。これだけ速い選手は他にいないって。わたし、それを見てすっかりリリアさんのファンになったの。だから、これからリリアさんのこと応援するね。それでえっと、せっかくの機会だし、サインとか……って思ったけど、うーん、やっぱり図々しいかしら?」
ミレイさんの声が急に小さくなる。彼女が申し訳なさそうに目を伏せるものだから、わたしは思わず吹き出しそうになった。
まさか、こんな裏路地のスイーツ店でサインを求められる日が来るとは。ちょっぴり嬉しいのは、正直な気持ちだ。
「サイン……ですか? あ、あはは……もちろんいいですよ」
そう答えながら、わたしは内心「サインなんて、久々すぎてまだ書けるかな……」と少し焦った。だけど、ミレイさんの瞳がきらきらしているのを見てしまうと、断る理由はない。
ハーブティーを一口飲み、わたしは鞄からペンと小さなメモ帳を取り出す。
恥ずかしながら、人前でサインを求められるのはいつ以来だろう。
学生リーグでまだ活躍していたときはサイン色紙をよく書いたっけ……なんて、遠い記憶がよみがえる。
ひょい、とペンを動かすと、自分でも懐かしい筆跡が紙に浮かび上がる。すこしぶれた文字だけど、ミレイさんはとっても嬉しそうに微笑んでくれた。
「本当にもらっていいの……? ありがとう、リリアさん!」
「いえ、こちらこそ……なんだか、久々にサインを書くと緊張しますね」
照れ笑いを浮かべながらメモ帳を渡すと、ミレイさんは大事そうに胸に抱えて「宝物にするわ!」とまで言ってくれる。そんな彼女の笑顔を見ていると、わたしの胸の奥もあたたかい気持ちになった。
「これからも応援してるわ。騎襲闘技の試合にでるときには、わたし絶対観戦に行くからね!」
その言葉に、わたしは曖昧な笑みを浮かべつつ「ありがとうございます」と頭を下げたけど、心の中では少しチクッと痛みが走る。
騎襲闘技の試合か。シーズンが始まったとして、試合に出られない可能性のほうが高い。
サインを受け取ったミレイさんは、ハーブティーを飲み干すと「そろそろ仕事に戻らなきゃ」と席を立つ。
名残惜しそうにサイン帳を見つめながら、「これ、本当にうれしいわ。ありがとう」と繰り返す彼女に、わたしはなんとか笑顔で答える。
「いえいえ、こちらこそ、いい時間をありがとうございました」
そんなやり取りのあと、ミレイさんはシルフィさんに軽く挨拶し、ギルドの制服を直しながら店を出ていった。
「はぁ……」
彼女が去ったあと、わたしはもう一度チョコのケーキを一口味わう。甘くて、でもほんの少し切ない味がした。わたしを応援してくれる人がいるのは嬉しい。でも……。
「『次に試合にでるとき』なんて……」
本当に自分に次があるのか……。考えると胸がぎゅっと締めつけられる。
結局、ケーキを食べ終え、店を出るころまで頭の中はもやもやしていた。ミレイさんの暖かな応援がむしろわたしの心をチクリと刺す。空が明るく、澄んだ風が街を撫でているのに、わたしの胸には薄い雲がかかったままだ。
◆
お店をでたわたしは相変わらず目的もなく町の通りを、ふらふらと歩いていた。
「はぁ……」
それでもここ最近のことを思い出すと、どうにも落ち着かない。この町に来てからというもの、自信をなくしていく一方だ。
──ふと視界の端に、人混みの隙間から見覚えのある後ろ姿が見えた。
「……セツさん?」
思わず小声が漏れた。心臓がびくりと跳ねるのを感じる。
こんなことでなにをしているんだろう? 話しかけたいけど、迷惑じゃないかな……。
迷っているうちに、セツさんが気づかずに通りを曲がろうとしている。ここで声をかけなかったら、それっきりになっちゃうかもしれない……。
わたしの脚は、気づいたら勝手に駆けだしていた。
「セ、セツさん!」
自分でも急すぎる呼びかけにドキリとしながら、狭い路地を抜けると、セツさんがようやく振り返ってくれた。
「ん? ああ、リリアか。久しぶりだな」
どこか穏やかな笑顔を浮かべている。ほんのちょっと、それを見るだけでわたしの胸は温かくなるから不思議だ。
「その、たまたま見かけたので……今日もドブさらいのお仕事ですか?」
わたしが問うと、セツさんは「ああ、今日は休暇なんだ。どぶさらいの依頼は昨日のうちに片付けたからさ」と、さらりと答える。
きっと何十件もある依頼を数時間で片付けてしまったのだろう。相変わらずセツさんは規格外だ。
「じゃあ、いまは何をしに行くんです?」
「これから山菜でもを探しに行こうかと思ってな」
無意識に首をかしげるわたしに、セツさんは簡単に返してくる。
山菜……? もちろん、わたしは山菜なんて探したことがない。でも、なんだかおもしろそう。
「あ、あの……、セツさん。その、迷惑じゃなければ、山菜探しわたしも一緒についていっていいですか……!!」
気がついたら言葉が飛び出していた。自分でも「あれ、いまわたしってなんて言った?」ってなって、ちょっと頭が真っ白になりかける。
とっさの勢いだっただけに、後から恥ずかしさが込み上げてきて、「ごめんなさい、やっぱり迷惑ですよね。聞かなかったことに――」と言いかけて口をつぐむ。
けれど、セツさんは嫌がるどころか微笑んでいる。
「あぁ、全然いいぞ。でも、山菜採りなんて地味で退屈だぞ。それでもいいのか?」
そんな風にあっさり言われるものだから、わたしはかえって驚いてしまった。てっきり嫌がられるかもと思ったのに。
「い、行きます! 絶対行きます! ……山菜とか、全然知らないですけど、それでも迷惑じゃなきゃ」
自分でも声が上ずってしまい、少し焦る。
けれどセツさんは、そんなわたしの戸惑いなんか気に留めないようで、「大丈夫、大丈夫。適当に回るだけだし。道中で教えてやるよ」と軽く手を振る。
その態度が、どこか優しくて、気恥ずかしさと同時に胸の奥がほんわり温かくなるのを感じる。わたしも「ありがとうございます!」と、緊張のあまりぺこりと頭を下げてしまった。
そんな軽いやり取りのあと、わたしはセツさんと並んで歩くことになった。




