―34― わたしは凄腕の暗殺者
わたしはプロの暗殺者――黒鴉だ。
闇の業界において、どれほどの難しい依頼でも必ず完遂させてみせる凄腕の暗殺者として名が知られている。
そう、わたしは凄腕の暗殺者なのだ――。
わたしは町外れの鍛冶師の工房へ向かう道を、包帯だらけの身体を引きずりながら歩いていた。
前回もこの男に銃を直してもらったのだが、その後の狙撃でまた暴発が起こり、さらに身体中を火傷と破片で痛めつける羽目になった。おかげであちこち包帯まみれ――服の上から見てもボロボロだ。
「……ここだな」
工房の扉を押し開けると、金属を打つ音が一瞬止む。無骨な外見の鍛冶師が、前回会ったときと同じように奥の作業台から顔を上げる。
かつて「ここが町で一番腕がいい」と噂を聞いて頼ったが、もう信用できるかどうか。
「お、おい……黒ずくめのお客さん、また来たのか。前に直したイクリプス、何か不具合でもあったか?」
鍛冶師は、わたしの包帯姿を見て少し身構える。ハッキリ言って、わたしの形相は血走っているだろう。口を開く前からイラついている自覚がある。
「不具合なんてもんじゃない。また暴発したのだ」
そう言って、ズタズタに壊れかけた魔銃をカウンターの上にドンと叩きつける。引き金付近の部品は歪み、銃身には黒ずんだ焦げ痕がべったり。見るも無惨な姿に、鍛冶師も青ざめた顔になる。
「う、嘘だろ……? こんなに酷いとは……」
「どういうことなんだ? 前にしっかり調整したって言ったはずだ」
わたしの声が荒くなる。鍛冶師の鼻息が少し震え、慌てたように両手を振った。
「し、したさ! かなり入念に調整したはずなんだ! 今度は暴発なんて絶対起きねえって自信あったんだが……」
「では、わたしの腕が悪いっていうつもりか……!」
「そ、そんなつもりはねえ! 勘違いするなよ!」
まるで修羅場のような緊迫感に、工房の奥から弟子らしき若者がこそこそと隠れるのが見えた。鍛冶師はごくり、と唾を飲み込みながら、わたしの怒りをなだめるように声を落とす。
「とにかく……あんたの腕のせいにする気はない。オレの見立てが甘かっただけかもしれねえ。今回も、ちゃんと直す。そうだな……今度こそしっかり見極めるから、もう一度だけ時間をもらえねえか?」
「……今日中だ。今日中に仕上げろ。今回が最後だと思え」
わたしはそれだけ言い残してくるりと背を向ける。
工房の扉を閉めるとき、ちらりと鍛冶師の焦げ臭い汗の匂いが鼻についた。正直、これ以上失敗されたら別の鍛冶師を探すつもりだ。もともと「こいつは町一番の腕前」だと聞いていたが、ガセネタだったのかもしれない。
◆
その翌日。わたしは新しい借宿――今までとは違うアパートの一室に潜んでいた。
二度もあの古アパートで失敗している以上、どうにも縁起が悪い。気づかなかっただけで、なんらかの条件が悪かったのかもしれない可能性もある。
工房から受け取ってきた修理したばかりのイクリプスは、今度こそ完璧……のはず。
早朝から森の中で試射を何度も重ねてみたが、暴発の兆候はいっさいなかった。精度は前より上がっているし、トリガーの引き感覚も指に馴染む。集中すれば狙撃に一分の狂いもない……そんな充実感がある。
「今度こそ……絶対に外さない。ここで殺れなきゃ、さすがに依頼主に見限られるだろう」
狙撃ポイントは窓からセツの家を確認できる位置だ。幸い、引き払った部屋より見晴らしがいい。
わたしは深呼吸をしながら魔銃に魔力を込める。圧縮された魔力が銃身を震わせるが、恐怖や躊躇はない。この痛んだ身体に鞭打ってでも、やり遂げるしかないのだから。
――そろそろか。
セツの家の窓が開き、奴の腕か肩がわずかに外に出る。奇妙にのんびりした動きだ。こちらを警戒している様子は全くないみたいだ。
「狙いは……ばっちり」
わずかにスコープを微調整し、息を止める。引き金の重みが指先に伝わり、わたしの脈がすぅっと静まる。ここだ――トリガーを引く。
「射撃」
カチリ、と内部の機構が動くはずだった……はずなのに。
「な……?」
またしても轟音。轟く閃光。
シューッ……という魔力の漏れ出す不吉なうなり。
「――嘘だろ、なぜぇぇっ……!!」
ドカァンッ!
暗く重い衝撃音が響き、わたしの身体は爆圧に巻き込まれた。今度もまた魔銃が暴発してしまったのだ。三度目。しかも、今日こそ万全のはずだったのに。
視界が一瞬ホワイトアウトして、次に戻ったときには、床へ背中から倒れ、鼻と口から吹き出る血にまみれていた。焼け焦げた硝煙のにおいが鼻腔を刺す。床には散乱した破片と、私の零れた血の跡。
「ぐっ……痛……い……こんなの……なぜ、なぜなんだ……!」
意味が分からない。どぶさらいのセツごときに、こんなに手こずらなければいけないなんて……悔しさで胸がいっぱいになり、口から漏れる声はもう怒りとも嘆きともつかない唸り声だった。
◆
「おいおい、またこんな酷い怪我を……!」
治癒師にそう叱られながら、わたしは情けなく横たわっている。
すでに三度目の暴発騒ぎだと見抜かれたらしく、治癒師は厳しい顔をして手当をしてくる。加えて、「今度ばかりは安静にしろ」と怒鳴り声をあげられ、わたしはロクに言い返す余裕もない。
くそ……あの鍛冶師が、また失敗したのか……!
他に暴発する原因は見つからない。なぜなら、わたしは凄腕の暗殺者だからだ。
狙撃銃で三度も暴発なんて、まともじゃない。暗殺者として長年生きてきたわたしですら経験のない悪夢だ。
「はい、包帯を巻いておくからね。これ以上ムチャするんじゃないよ。ホントに命がいくつあっても足りないよ……!」
「……わかった、十分休養する。ありがとう」
ほとんど虫の息に近い声でそれだけ答えでていく準備をする。
流石に依頼の進捗を報告しなきゃならない。そうしないと、怒らせてしまうかもしれない。
「すまん、通信機はどこだ?」
治癒師の施設内を探していると、助手らしき少女が「そこの部屋ですけど……?」と怪訝そうな顔で扉を指す。
通信機。魔力の電波を用いて遠方との通話を可能にする装置。現代的な発明の一つだが、維持費や設置費用が高いため、公共施設など限られた場所にしかない。
部屋に入ると、大きめの機器が鎮座しており、横には番号板が備えられている。
わたしはこっそり依頼主から指定されていた番号を思い出しながら、慎重にダイヤルを回していく。複雑な魔導刻印を介して、遠く離れた相手と繋がる仕組みだ。
「これでつながるはず……」
しばらくのノイズのあと、微かに誰かの息遣いが聞こえた。
「はい、こちらユーヴェル商会です。ご用件をお伺いします」
静かな女の受付の声。わたしは事前に決められていた合言葉を口にする。
「先日ご相談した、『ソテーに使うトンビの仕入れ』の件だ。担当の方に繋いでほしい」
口調を抑えつつも、強引に要求する。受付の女は一瞬息を呑む気配を見せてから、「少々お待ちくださいませ……」と答えた。
やがて、ノイズ混じりのまま、低く落ち着いた声の男が通話の向こうに現れる。
「こちらユーヴェル商会の者だ。……黒鴉さんで間違いないかな?」
――間違いない、あの時倉庫で会った依頼主の声。名前も素性も詳しく知らないが、金の出どころはかなり大きい商会筋なんだろう。
「そうだ。前回お願いされた品物の納品について進捗を伝えたくてな」
他の者に聞かれても困らないよう他の言葉に置き換えて伝える。すると、相手の男は鼻で笑うように言葉を続ける。
「まだ終わってないんだろう? 知ってるさ。三度も派手に運送トラブルが発生して失敗してることも把握済みだよ」
――くっ、わたしの失敗はすでに筒抜けか。情報屋でも雇ってわたしのことを監視でもしていたか?
そう思うと途端、血が逆流するような嫌な感覚が襲った。
「ま、もう依頼は撤回だ。これ以上期待しても無駄だしね。悪いが成功報酬は払わない。手付金だけで満足してくれよ」
「ま、待ってくれ! 必ず届けてみせる! 時間をくれれば——」
「ふっ、悪いが品物はもういらなくなった。ふっ、悪いがはっきり言って、初めからキミでは無理だと思っていたんだよ」
電話越しに相手がクツクツ笑うのが聞こえる。ぞわり、と嫌な寒気が背筋を這い上がった。
「じゃあな。二度と連絡してくるなよ」
「おい、まっ……!」
ブツッ。通話が途切れる。あわてて再ダイヤルしてみても、呼び出し音がなる前に切れてしまう。ここからでは繋がらないようにされてしまったようだ。
「くそっ……ふざけるな……!」
わなわなと拳が震え、通信機の周りをぐるぐる回る。どうしてこうもうまくいかないんだ……?
思わず喉の奥から悲鳴じみた怒りがこみ上げる。
三回も失敗なんて、確かにわたしが悪いのかもしれないが……あの態度はなんだ!? こんな恥辱、初めてだ……!
依頼が撤回された以上、今さら暗殺を成功させても報酬はない。何しろ強力な後ろ盾がいないなか、暗殺をするなんてリスクしか生まない。だから、セツから手を引くべきだ。
「くそっ……こんなにムカつくことなんて、生まれて始めてだ……!」
依頼主に冷たく嘲笑され、完敗を認めるのは……あまりにも腹立たしい。そして何より、あのどぶさらい冒険者セツという男に自分が完全に振り回されている現実が許せない。
もう依頼はなくなった……それでも、あの男を……どうしても自分の手で……。
わからない感情が胸を満たす。恐怖か、憤怒か、それとも意地か。
でも、このまま何もせず終われる気がしない。
わたしは治癒師の制止を振り切って重い足取りで通信室を後にし、心の中でただひたすらに苛立ちと怒りを抱える。
「セツ……絶対に、ただじゃ済まさない……!」
その呪詛めいた言葉が虚空に消え、わたしの視界を黒い恨みが覆っていく。
もう、依頼人はいなくとも構わない。個人的な闘争心だけが、わたしを突き動かしていた。どぶさらいなどに手玉に取られっぱなしで終わるなんて、暗殺者としてのプライドが許すはずがない。
爪を立てるように指先を握りしめ、わたしは血のにじむ唇をさらに噛み込んだ。
——必ず、奴を仕留める。それが、わたしの暗殺者としての矜持だ。




