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排水溝につまったスライムを日々かたづけるだけの底辺職、なぜか実力者たちの熱い視線を集めてしまう  作者: 北川ニキタ


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―33― まあ、頑張れよ

 ひとまず、落ち着いてもらおうと、コーヒーが湯気を立てるマグカップをフィネアの前に置いてやると、彼女はすぐに両手で包んで「あったかい……」とため息まじりにこぼす。


「ほら、こうして無事に『賢者』になれたんだから、むしろ喜べよ。名誉なことだろ?」


「喜べるわけないでしょ!」


 突っ伏しそうな勢いで彼女がバンとテーブルを叩く。


「こっちは毎日、国際魔術協会から呼び出されて「新理論をもっと発展させましょう」とか、「次なる魔術革命を一緒に!」とか言われて、帰ろうとしても会議会議会議の連続……! 挙句の果てには貴族や商人から要請が殺到して、あっちこっちに視察や実演をしなきゃいけないのよ!? もう無理、胃が痛い……!」


「うわ……それは確かに面倒だな」


 想像しただけでオレまで胃が痛くなる。前世で抱えた過労とストレスの記憶が蘇りそうだ。


「まあ、頑張れよ」


「頑張れ、じゃないです! なんで他人事なんですか! 元はといえば、セツくんが『面倒だからオレの代わりに公表してくれ』って言ってきたせいじゃん!?」


 フィネアは涙目になったまま、身を乗り出してくる。


「この前なんて、各国の魔導具メーカーがいっせいにわたしを崇拝しだして、勝手にわたしの肖像画を商品に載せるんですよ!? ミニフィギュアを作ったり、公式の看板娘にしたり……わたし、普通に街を歩くだけでサインを求められるし、凄い人波ができちゃうんですからね!?」


「おぉ……すごいな」


 さすがにこの話を聞いて、オレは心底「自分じゃなくてよかった」と思ってしまう。サインなんて絶対書きたくないし、町歩きで人波ができるなんて考えただけで息苦しくなる。


「賢者なんて呼ばれて注目されるの、本当に胃が千切れる思いなの! しかも、新作理論はいつ発表してくれますか? とか、次はどんな革新的魔術を完成させるんですか? とか、みんな期待しすぎ! 実際に研究してるのはセツくんでしょ!」


 確かに、あのあともオレが地味にちょこちょこ改良してはフィネアへ書類を送っている。

 もっとも、そっちは「自分のどぶさらいがちょっと楽になるかも」という小規模な修正ばかりで、まさか「賢者の新たな研究」として取り上げられるような代物じゃない……はずなんだが。


 フィネアはしばらく泣きそうな顔でコーヒーをすすり、一息ついたところで、落ち着きを取り戻したようだ。


「……もう、正直にばらしたらダメ? 『あの理論はわたしじゃなくて、本当はセツくんの発明でしたー!』って」


 その提案に、オレは即座に首を横に振る。


「やめてくれ。オレはこの世界で注目されるなんて死んでもゴメンだからな。お前、前にも話したよな、昔社畜として過労死寸前まで働かされてトラウマなんだって」


「う、うん。聞いたけど……」


「もしバレたら、あっという間にオレのところに依頼が殺到して、また『ほら、あれもこれもやってくれ』ってなるに決まってる。その先に待ってるのは結局同じ地獄だろ? 絶対にいやだ」


 フィネアはしゅん、と肩を落とす。


「それなら……せめて、わたしのストレスをもうちょっと軽くしてよ! セツくん、最近、わたしへの追加の理論書をちょいちょい送るでしょう? あれを公表するたびに、わたしの周囲は大騒ぎなのよ……『新理論きたー!』って!」


「ええ……別に無理に公表しなくていいぞ。あくまでオレがどぶさらいの効率化に使ってみて気づいたことをメモって送ってるだけだし」


「送り方ぁぁぁ! 事前にそう言ってよぉ! こっちは重大発見だと思って発表しなきゃって思ってたのに……!」


 あー、確かに悪かったなと思う。最近、「なかなかいいのができた!」「フィネアに送っとけ」くらいのノリだったしな。

 しかし、フィネアは完全に涙目だ。手に持ったコーヒーマグをぎゅっと握りしめ、今にも溢れそうな声で問いかけてくる。


「このままずっと……世間を騙し続けるんだよね? 本当に、それでいいの……?」


 フィネアは不安そうにマグカップをぎゅっと握りしめたまま、オレを見上げてくる。疲れと眠気が混ざったような、そんな目だ。


「わたしとしては、このことを世間に公表していいんじゃない? セツくんがやってたんだってことを正直に言えばいいんじゃ……」


「いや、ちょっと待てよ」


 オレはフィネアの言葉を遮るように手を上げた。


「もし、本当のことを言ったら、お前が世界中からバッシングを受けることになるぞ」


「え……?」


 フィネアの顔から血の気が引いていく。先ほどまでの不満気な表情が一変して、今度は純粋な恐怖に支配されていった。


「考えてみろよ。お前はすでにすごい人気者になってしまった。賢者として崇められ、誰もが尊敬の眼差しで見てる。それが全部嘘だとバレたら、誰もがすごく怒るに決まってる」


「……」


「『あの人、実は何も発明してなかったんですよ』なんて真実が広まったら、今まで応援してた人たちはどう思う? 裏切られたって感じるだろ? なのに、本当に公表するのか?」


 フィネアは震える手でコーヒーカップを置くと、ブルブルと首を横に振った。


「や、やっぱりやめる! このままがんばって隠し通すよ……!」


 彼女の肩が落ち、完全に観念したような表情になった。予想通りの反応だ。どんな事情があるにせよ、今まで騙してたなんて言ってしまえば、周囲が怒るのは当然だ。そうなってしまった場合、さらに大変なことになるに違いない。


「だから、がんばってくれ。オレもすこしぐらいならバックアップするからさ」


「そ、そうだよね! バックアップ、セツくんがしてくれるなら、あたしもっと心強いかも……!」


 ぱあっと表情が明るくなる。こいつ、単純だな。だけど、続けざまに、どこか頬を赤らめて申し訳なさそうに指を動かし始める。


「そ、それなら……セツくん、わたしの近くにいてくれないかな。ずっとサポートしてよ? そのほうがわたしも楽だし、なにかと柔軟に対応できるでしょ」


 なんだろう、その言い方。フィネアの頬が真っ赤になっている。まるで告白されているような雰囲気だけど……なにも気がついていないことにしよう。


「いや、無理だ。絶対いやだ」


「えっ……!」


 フィネアの目が動揺でみるみる潤む。さすがに悪い気もするが、ここは譲れない。


「だってお前さ、国際魔術協会とか貴族連中とか、そういうヤバい連中に四六時中囲まれてんだろ? 一緒にいたらオレまでとばっちりだ。のんびり暮らせなくなるじゃん」


「え、でも、でも……」


「オレは地味な『どぶさらい』でちまちま稼ぎつつ、お酒のんで、カフェ行ってスイーツ食べて、あとはガーデニングして一日を終えるような平穏がいいんだよ。お前のところにいけば、下手すりゃ毎日会議やら記者会見やらでヘロヘロになるだろ。無理無理、ゴメンだ」


「い、いじわる……!」


 フィネアが今にも泣きそうな声を上げる。だけどオレだって、自分の人生が大事なんだから譲れないものは譲れない。


「ならさ、いっそ全部放り出して隠居でもすればいいんじゃないか? お前、オレの理論を発表してから特許料やら報酬やらでとんでもない収入得てるだろ。もう一生分どころじゃない金が貯まってるはずじゃん」


「そ、それはそうなんだけど……」


 フィネアが妙に視線をそらして口ごもる。どうやらそこに何か言いたいことがありそうだ。


「どうした? まさか、金がないとか?」


「ち、違うの。むしろお金がありすぎるの。セツくんのおかげで魔導刻印に関する特許が世界中から使用料ガンガン入ってきて、それがもう、桁違いなのよ。だから、流石にセツくんに返したいと思っていて」


「別にお前がもらっていいぞ」


 フィネアは椅子から跳ね上がりそうになった。


「いやいや、本当にとんでもないお金なんだって! このお金があれば死ぬまで豪遊できるぐらいすごいの! いくらなんでも申し訳ないよ。だから、セツくんもらってよ。流石に申し訳ないよ」


「いや、むしろいらないんだよな」


 オレはあくびをしながら答える。


「そんな大金がオレの懐に入ったら、役人たちに怪しまれて面倒になる。それにお金はそんなにほしいと思わないんだよ。今の生活で十分快適だし」


「でもっ、わたしだってこれだけお金あっても困るし」


 フィネアが困ったように呟く。彼女もお金持ちになることに戸惑いがあるんだろう。そこでオレはふと思いついた。


「だったら、特許フリーにすればいいだろ……」


「えっ?」


「すべての技術をただで使っていいことにすればいいじゃん。そうすれば、お金はこれ以上増えないだろ」


「そんな方法思いつかなかったよ!」


 フィネアが顔を上げる。


「あぁ、自由に使えるようにすれば、面倒な手続きとかに追われる必要もなくなるだろ」


「うん。『賢者フィネア様!』って崇められて、いろんな組織が特許使わせろと押しかけてきて、大変だったからそれがいいかも。あ、でも、すでに懐にあるお金どうしようかな……。正直、セツくんに申し訳なくて全然使えてないんだよ」


「気にせず使っていいけどな。ただ、それも嫌なら寄付すりゃいいんじゃないか。病院とか孤児院とかにさ」


「そっか!」


 彼女は勢いよく立ち上がった。


「セツくん、本当にありがとう! さっそく国際魔術協会に連絡して、特許フリーの宣言してくる! それに寄付先も探すよ。やる気出てきた!」


「ああ、好きにしろよ。どうせオレには関係ない」


「そう言いつつ、セツくんはいつも助けてくれるんだよね。……じゃあ行ってくるね! 本当にありがとう!」


 そう言い放つと、フィネアは外套を翻して玄関へ駆け出す。ドアをばたん、と開け放ち、「おじゃましました!」と振り返りざまにぺこりと一礼。そのまま風のように飛び出していった。

 思わず呆気に取られて見送ってしまったが……ま、あれだけ元気になったなら何よりだろう。あとは、そのまま上手くいってくれればいいが。


 コーヒーを啜り、ソファに腰を沈める。さっきのフィネアの勢いに引きずられたせいか、なんだか一仕事終えた気分になってしまった。自分が大したことをしてる気はないんだが……こうして誰かの背中を押すくらいなら、まあ悪くもないな。


 なお、特許の破棄と寄付によりフィネアの名声がますます高まり、「聖女の生まれ変わり」とまで言われるようになるのはまた別の話だ。

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