―30― 外界から来た侵略者
その死骸を踏みつけるかのように、夜の闇からにじみ出るように姿を現したのは、異形の生命体だった。まるで漆黒の外骨格に覆われた巨大な昆虫が二本脚で立ち上がったような姿で、カマキリじみた鎌状の腕が胸のあたりから複数本生えている。
頭部には円錐形の突起があり、左右に大きく張り出した甲殻の奥に多面体レンズがぎらりと輝いていた。あまりにも常軌を逸した異様なフォルム——人間の概念でいう「人型」とはかけ離れたシルエットだ。
「……フフ。やっぱり大地の浅い場所では、この程度の兵隊しか作れないのか」
その甲殻の下から漏れる声は、奇妙に振動しながらも、どこか人語のイントネーションを感じさせる。
冒険者たちは息を呑んで振り返る。今や無惨に倒れた怪食竜グランドイーターを見下ろしながら、その異形の生命体が鎌の先で死骸を軽くつついている。
鎌が死肉を切り裂くと、ズブズブと粘着質な音が立ち上る。見る者すべてが身震いをした。
「おい、なんだあれ……!?」
「化け物……いや、化け物どころじゃない……。こ、こっちを見てるぞ……!」
冒険者たちが後ずさる中、その異形の生命体はつかつかとグランドイーターの頭へ歩み寄る。
頭蓋をこじ開けるように、節くれ立った甲殻の腕を突っ込むと、さらにゴリゴリと肉を削るような不快音が響く。
顔を背ける人々を尻目に、侵略者は楽しげに首を傾げるようにして笑っていた
「せっかくの囮でも、こんな短時間でやられちゃあ話にならないな。……ま、奴らの生態実験には十分役立ったか。ボクの名はアルハルド。キヴァ・シェアリスの調査員みたいなもんだと思ってくれればいいさ」
その呼称に支部長アルフォンスが口を開く。
「キヴァ・シェアリス……? いったい何者だ、おまえたちは……!」
アルハルドは不気味にうねる複数の鎌腕をひらひら振りつつ、頭部の外骨格をかちりとかみ合わせるように鳴らす。そのたびにチリチリと発光するような生体ランプが点滅し、彼の体表に浮かび上がる甲殻の模様がうごめく。
「君たちにとってボクたちは侵略者、あるいは外界の住人さ。ゆっくり時間をかけて、この大陸の魔力を根こそぎ吸い上げるんだ。地殻に巣穴を広げ、地脈を食い荒らし、人類もついでに資源として取り込む。……まぁ、地表の連中がどんなに頑張ろうと、最終的にはあぶくみたいに散ってもらうだけなんだけどね」
ざわめきが冒険者たちに広がる。人類を家畜どころか、もっと無機質な「素材」扱いするような言い草だ。
シーナは、まるで興味深そうにその侵略者を眺めるが、焦りはみじんも感じられない。
「ふうん。つまり外から来た化け物ってわけ? で、このグランドイーターを囮にしたんだ」
アルハルドはカマ腕を一つ、わざとらしく振り上げて、グランドイーターの肉塊を振り払う。飛び散った肉屑が地面に落ち、じゅくじゅくと真っ黒い液を広げていく。
「そ。これはただの栄養サンプル、あんたたちの戦力を測るための囮なんだよ。だけど、まさか瞬殺されるなんてね。……ボクらが本気を出す前にもうちょっと遊べると思ったのに」
人の目からかけ離れた多面体レンズの目が、シーナと冒険者たちを交互になぞる。
その瞳には、獲物を見下す嘲りと共に、どこか好奇心も見え隠れしているようだった。
「へえ。じゃあ、今度はあなたが代わりに遊んでくれるの? あたし、まだ暴れたりないと思っていたんだよね」
シーナは相変わらず飄々とした口調だが、拳には冷えきった空気がうっすらと降りはじめている。
彼女の空間が歪むほどの魔力が放出されている合図――それを感じ取り、冒険者の何人かが思わず距離をとる。
「うっは。すごい殺気だ。……でも、ボクが自ら戦う気はないんだよねえ。むしろこれから仕掛ける本命のほうが、ド派手で面白いと思わない? ……さあ、あれを見てごらん」
アルハルドが指し示す先を見上げると、暗青色の大気を切り裂くように、黒々とした巨大球体がふわりと浮いていた。
まるで夜空に浮かぶ星の一部を切り取って歪ませたような漆黒の塊——サイズはグランドイーター以上で、しかもゆっくり高度を下げているらしい。
「破星彗核。あれが落ちれば、この近辺は跡形もなく削り取られてボクらの糧になる。ずっと仕込んでたんだ。ま、わざわざ言うまでもなく、こんな町を一つ潰すくらい、パクンと簡単だろうけどね?」
侵略者アルハルドの声は、甲殻の下からくぐもった笑いを漏らす。
冒険者たちが必死に攻撃魔法や狙撃を試みようとするが、破星彗核がここから離れていて、かつ空高くにある以上、届くはずがなかった。
「……いくらグランドイーターを簡単にぶちのめしたキミだとしても、ここからでは破星彗核の破壊には間に合わないだろ」
破星彗核はあまりにも遠くにあるためわかりづらいが、よく目を凝らせばとんでもないスピードで落下し続けていることがわかる。
「へぇ、確かに、いくらわたしが頑張っても間に合いそうにないわね」
そうぼやくシーナの声を聞き、アルハルドは甲殻をククッと動かし、嘲笑したように震える。
「ククッ、楽しみだなあ。これからラグバルトの町を灰も残さず壊滅すると思うと。データは十分取れたし、あとはここでのんびり眺めていようと。さぁ、ここからが本当の星喰いの始まりだよ」
すると、シーナの耳には、あちこちの冒険者たちが絶望的な声を漏らすのが聞こえていた。
「う、嘘だろ……。あんなデカい塊が空から降ってくるなんて……。もうおしまいだ……」
「か、家族に一目会いたかった……。お母さん、ごめん……!」
「頼む……頼むから、最後に一言言わせてくれ」
中には腹ばいになり、慌てて遺書を書き殴っている者や、通信機のマイクを握りしめながら「最後に妻と話を……」と涙をこぼす者までいた。
支部長のアルフォンスも顔面蒼白で、
「くっ……どうすればいい……? あんな上空にあるなら、手が出しようが……! シーナさま、どうにかならないのですか……!?」
と、混乱を隠せず視線をさまよわせる。
異形のアルハルドが、そんな混乱に満ちた冒険者たちを見回し、ケタケタと愉快そうに笑いこけた。
「ぷはは! 泣き崩れたり謝罪の言葉を吐いたり、なかなか面白いじゃないか。やっぱり下等生物は絶望の表情が一番だねぇ。ああ、きみたちの反応を収集するのは退屈しないなあ!」
見れば、彼の甲殻の一部が怪しく発光して、まるで記録か観測か何かをしているようにゆらめいている。やたら楽しそうね、とシーナは内心肩をすくめる。
周囲が絶望に染まりゆくなか、シーナはどこ吹く風といった顔で、宙に浮かぶ漆黒の巨大球体を見つめた。
アルハルドが本命と呼んだそれ。
破星彗核。
まるで星の一部を切り取って歪めたような、黒々とした巨大な球が遠方の上空に浮かんでいる。ゆっくりと落下を始めているようだけれど、こっちからは手も足も出ない距離だ。
それが地表に衝突すれば、街が灰も残らず吹き飛ぶという。実際、こんな位置からでは、いかにシーナといえど干渉は難しい。
「シーナ様!」
支部長が食い下がるように叫ぶ。
「あなたさまなら——あの球体を破壊できるんじゃないですか? 絶界の魔女だろう?」
だが、シーナはぽつりと無関心そうに返した。
「ううん、無理ね。……あんな遠くじゃ、さすがのわたしでも間に合わないわ。飛んでいくにしても落下のほうが先だし、ここから魔術を使おうにも距離が遠すぎる。流石にどうにもならない」
「ははっ、そうだろうとも!」
アルハルドが勝ち誇ったように口を開く。
「全部計算済みなんだよ。キミではここからではどれほどがんばっても間に合わない。大陸最強候補かもしれないけど、あれを破壊できないならそんな称号無意味じゃないか。はは、いいぞ、その絶望顔をもっと——」
——ところが。
シーナはまったく絶望していなかった。むしろ「退屈そう」という表現が正しい。
あまりに呑気な態度に、アルハルドは明らかに苛立つ。
「……きみ、さっきから変に落ち着いてないか? 今からラグバルトは文字通り、消し飛ぶんだぞ。数多の下等生物が潰れ、跡形もなくなるというのに、なぜ笑っていられる?」
シーナはふん、と鼻を鳴らし、まばたきをしながらその蟲のような怪物を見上げる。
「別に面白くはないわよ。でも、怖くもないわ。あの町が壊滅するなんて、まずあり得ないからね」
「ほう……? どこをどう見ても、間に合わない状況にしか見えないが? まさか奇跡でも信じてるわけじゃないだろうな」
アルハルドは鎌腕を振り上げて馬鹿にしたように笑う。
しかし、シーナは軽く両手を広げて肩をすくめるだけ。まるで「それが何か?」と言わんばかりに返した。
「わたしなんかと比べ物にならないくらい規格外の最強が、あの町にはいるんだもん。だから怖がる必要もないし、別に大騒ぎするほどのことじゃないわね」
そう、彼女の頭の中には一人の男の姿があった。




