―28― で、でかすぎる……!
――怪食竜グランドイーター、難易度SS級。
ギルドの職員がそう口にしたことをわたし――リリア=ヴェルトは確かに聞いていた。
「怪食竜……? SS級?」
周囲の冒険者たちが顔を強張らせ、武器を握りしめる手が震えるのが見える。怪食竜という名前は知らなかったけど、SS級という言葉の持つ重みは痛いほど理解できた。
冒険者ランクは最低のFから最高のSまであって、それに対して魔物の難易度もF級からS級まである。
そのS級にさえ収まらないモンスターに与えられるのが、SS級という特別な難易度だ。
「ありゃ……さすがにでかすぎるだろ……」
「おい、なんでこんな辺境の町にこんなのが来るんだよ……」
誰かがそう呟くと、わたしも全く同感だった。モンスターの巨体はゆっくりと近づいてくる。目の前の古びた牧場を踏み潰し、畑をなぎ倒していく。
近くに集結していた冒険者たち――数はざっと三十人以上。みんな顔は恐怖を押し殺しながらも戦意を高めているようだ。
「リリアさん、大丈夫?」
優しげなフローラがわたしを気遣って声をかけてくれる。彼女も魔導書を握りしめながら、目の奥に一抹の緊張を宿している。
「ええ……平気、たぶん。そっちこそ大丈夫なの?」
「わたしは……結界魔術が、どこまで通じるかって感じです。でも、やるしかないよね」
フローラは大きく息をつくと、背中に背負っていた魔導書をパラリと開く。大丈夫、と自分に言い聞かせるように笑みを作る姿が、むしろ痛々しい。
「おい、始まるぞ!」
レオンが焦りまじりに声を上げる。視線を向けると、怪食竜グランドイーターがこちらへ一歩、また一歩とゆっくり近づいてきていた。地響きのような振動に、周囲の冒険者たちが一斉に武器を構え、呪文の詠唱を開始する。
「隊列を乱すな! 前衛は合図まで踏み込むなよ!」
けたたましい声が会場に響き渡る。ギルド支部長、アルフォンス=バイリッツ……彼が先頭に立ち、号令をかけている姿が見えた。
もともと支部長は元・凄腕の冒険者だったという噂を以前聞いたことがある。年の功か、落ち着いた面持ちで全体を指揮しつつ、同時に大きな大剣を背中に担いでいる。その姿だけで頼もしさを感じさせるが……相手はあまりに規格外だ。
「射撃班、準備せよ! 結界班、結界をダブルで張るんだ! 前線はまだ動くな!」
アルフォンス支部長の指示で、冒険者たちがさっと役割ごとに布陣を組む。やはり指揮官がしっかりしていると違う。町の冒険者たちが皆、連携できているのがわかる。これなら……多少、勝機があるのかもしれない。
だけど、その甘い思いはすぐに打ち砕かれることになる。
「う、うわあああぁぁぁぁぁっ……!!」
悲鳴。
そのとき、先陣を切っていた斥候らしき冒険者が、巨体の怪食竜グランドイーターに向けて魔力弾を放った。それが胴体に当たったように見えたが、その巨大生物の動きすら止められない。わずかに肉が抉れたように見えたけど、その瞬間、ぼこり、と瘴気めいた液体が飛び散り、周囲の冒険者を巻き込んでいく。
「あつっ……ぐあぁぁぁぁ!!」
数人の冒険者が、まるで酸に焼かれるように苦悶の叫びをあげて倒れ込む。瞬時に治癒班が駆け寄るが、この暴走は今後も続きそうだ。
「やばい……やっぱり普通の攻撃じゃ通用しない! 装甲が硬いし、変な液体を撒き散らしてるみたいだわ」
わたしは焦りに飲まれそうになりながら、咄嗟に身体強化の魔術を唱える。いつでも突っ込めるよう準備しておかないと、仲間が危ない。
「全体、引くな! 気を抜けばやつが街まで突っ込むぞ!」
アルフォンス支部長がさらに声を張り上げる。彼自身、前のほうへ踏み出し、剣に魔力を集中させている。その姿は、年齢を感じさせないほど迫力がある。白髪まじりの髪をたなびかせ、ビリビリと槍先に魔力を纏わせる。
「巨体とはいえ、頭部の『眼』を潰せば奴の動きは鈍る。射撃班は目を狙え。前線は一斉に足を狙うぞ!」
さすが元・凄腕と言われるだけあって、指示も的確だ。
冒険者たちが広がりながら、狙撃や魔術で怪食竜グランドイーターの頭部を射抜く体勢へ入る。わたしの視界には、ユージンが銃を構えている姿や、フローラが結界の補強をしながら援護射撃の呪文を唱えている姿も映る。レオンも魔力矢を懸命に放っていた。大剣のガルドもいつでも動けるように集中していた。
「前線も準備はいいか! 突撃だ!」
支部長の号令とともに、前線の冒険者たちが一斉に動き出す。
わたしも魔力を脚に集中させ、速度を上げた。前衛組として、怪食竜の右前足を狙うグループに加わる。
「……わたしも、やるしかない!」
わたしは一呼吸おいて、いっきに地面を蹴り出す。スピードを武器に、その巨体の側面へ回り込み、決定打になる隙を探そうという魂胆だ。けれども――。
「で、でかすぎる……!」
想像以上に接近したときの圧力が凄まじい。
頭部を狙うなんて、塔の天辺を狙うようなものだ。しかも奴は痛覚らしきものを刺激されれば、容赦なく瘴気や尻尾の振り回しを繰り出してくるだろう。ちょっとした誤爆やカウンターをもらえば、命がいくつあっても足りない。
「でも……このままじゃ街が……っ!」
必死に踏み止まろうとする冒険者たちが、尻尾の一撃で吹き飛ばされ、悲鳴があちこちから上がる。
治癒師の声、混乱する冒険者の声、支部長の叱咤。まるで戦場のど真ん中――いや、まさに戦場なのだろう。苦戦は明らかで、このままではじりじりと追い詰められるのが目に見える。
セツさんがいれば……あの人なら、こんな巨大な化け物だろうと一瞬で粉々にしてしまうのに……!
ふと、わたしの胸をよぎる絶対的な存在感。わたしはその力を知ってしまっている。だけど、当のセツさんは来ていない。
――どうするの? こんなの、わたしのスピードでどうにかなる相手じゃないよ……!
それでも足を止めちゃいけない。そう思って、下唇を噛む。
そのときだった。
あちこちで負傷者を治療する光景。うめき声や叫び声が飛び交う中、支部長は眉間にしわを寄せて考え込んでいた。
「もう少し粘るんだ! 援軍が向かっている!」
「援軍?」
わたしは思わず顔を上げる。
「絶界の魔女シーナが来るらしい。あと少しで到着するとの連絡が入った」
シーナ? あの恐ろしい魔女が来る?
ほっとするような、でも同時に恐怖も感じる。あの女は確かに強かった。でもあの残虐さで、こっちまで巻き込まれそうだ。
……セツさんじゃないのか。
思わず期待してしまった自分がいる。あのセツさんなら、この巨大魔獣だって一撃で倒せるんじゃないかと思えた。あの時見た圧倒的な力は、どんなモンスターにも通用するはずだ。
「もう少し持ちこたえるぞ! 全員、気合を——」
支部長の言葉が途切れた。空から響く大きな轟音。全員が上を見上げる。
「あれは……?」
空を切り裂くように、何かが猛スピードで接近していた。最初は一筋の光のように見えたが、やがてその正体が見えてくる。
巨大な風車のような羽が回転し、魔力の渦を巻き起こしながら飛行する奇妙な乗り物。まるで大きな竜が卵を抱えているような形にも見える。
「魔導飛行船!?」
周りの冒険者が驚きの声を上げる。存在は知っている。高価な乗り物なので、こんなはげしい戦場に持ち込まれることなんて滅多にない。
魔導飛行船はまだ上空にあるというのに、甲板から小さな人影が飛び降りる。着地した衝撃で周囲に砂埃が舞い上がる。そして、それが晴れると——
「ふふん♪ 絶界の魔女、シーナ参上」
派手なポーズを決めながら、シーナが現れた。
「このわたしが怪物を退治してあげる」
彼女はまるで舞台に立つ演者のように高らかに宣言して、怪食竜に向かって笑みを浮かべた。
「なにこれ? 大きくて可愛いじゃない。でも、ダーリンに褒めてもらうためには倒さないとね!」
わたしは思わず唖然とした。こんな化け物を相手にしてもあれだけ平然として立っていられるなんて。
「みんなはわたしの魔術に巻きこまれないように気をつけてね♪」
そう言って、絶界の魔女シーナは口元に笑みを浮かべた。




